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第14話 支えてくれる人

 図書館から帰宅したあと、私は私服に着替えてすぐ瞳さんの家に転がり込んでいた。


「紫音ちゃん、どーしたの? なんかあった?」


 春雨サラダを豪快にすすりながら、瞳さんは上目遣いに訊いてきた。こんなに色気のない上目遣いも珍しいが、茶化す元気もなかった。


「んーまあ、いろいろとねー」


 私はフォークの先でくるくると春雨を巻き取り、口に放り込んだ。小さいころは好きだった味が広がる。けれど、あまり美味しくはない。


「なんか、お母さんたちいつまでああしてるのかなーって」


 家に帰った時、自室に入ろうとしたところでお母さんとばったり出会した。相変わらずの仕事着に身を包み、二言三言会話をしてからタッパーの入った保冷バッグを私に手渡してきたのだ。

 私は聞き分け良く返事を口にしてバッグを受け取ってから、足早に自室に入った。閉まった扉の向こうから、微かにお母さんのため息が聞こえた。ため息をつきたいのはこっちだと思った。

 いったいいつまでこんなことを続けるんだろう。これまでは月一回程度だったのに、最近は週一回から三日に一回のペースになっている。私がいない間にどんな話をしているのかわからないけど、いつか二人は離れてしまうんだろうか。もしそうなったら、私はどうなるんだろうか。

 疑問や疑念は尽きないけれど、子どもの私にはどうすることもできない。たとえ不幸の青い糸が見えているからといって、なにかができるわけでもない。


「まあ、なんかもうどうでもいいんだけどね」


 それに、今の私の悩みはお母さんたちの問題だけじゃない。


 ――じゃあな! また明日学校で!


 図書館の前でかけられた言葉と、彼の手から伸びる青い糸が脳裏に蘇る。

 今になって、私は後悔していた。

 私は高坂くんに好きに絵を描いてほしくて、そして私も彼の絵を見たくてモデルを引き受けたけれど、本当に良かったんだろうか。

 お礼になにかしてあげると言われて勉強を教えてもらうことになったけど、本当に良かったんだろうか。

 私と高坂くんは、不幸の青い糸で繋がれている。彼を不幸な目に遭わせないためにも、決して結ばれてはいけない。

 それなのに、高坂くんから告白されてしまった。私の余計な言葉が原因だ。必死で心を押さえつけて、なんとか断ったけれど辛かった。

 辛かったのなら、結ばれてはいけないとわかっているのなら、モデルも勉強もするべきではなかったんじゃないだろうか。

 高坂くんの絵が見たいなんて気持ちも押さえつけて突き放せば、彼はこれ以上かかわってこなかったんじゃないだろうか。

 勉強を教えてもらうのだって、ダイエットとか関係なくジュースを奢ってもらうことにしておくべきだったんじゃないだろうか。そうすれば、高坂くんと過ごす時間だってずっと少なくなるんだから。

 なにもないフォークの先を見つめながら、思う。

 きっと私は、心のどこかで高坂くんのことを諦めきれていないのだ。

 高坂くんのことが好きで、なるべく一緒にいたいと思ってしまっているんだ。


「あーあ。失敗したなー」


 今さらモデルも勉強も取り下げることはできない。気持ちを伝えるのが苦手な私にできるはずがない。

 だったら、これからの私にはなにができるだろう。高坂くんが不幸にならないように、私はどうしたらいいんだろう。


「――ちゃん? しーおーんちゃん?」


「あ、はい!」


 呼ばれてハッと我に返った。しまった。思考の沼にはまっていた。


「大丈夫? なんか、失敗したーとかどうしたら好きな人が不幸にならないだろーとかぶつぶつ言ってたけど」


「え。ほんと?」


「マジマジ」


 瞳さんは大きく頷く。私の顔がひと息にボッと熱くなった。


「えーと、その、なんというか。あんまり気にしないでほしいというか」


「えー。そこまで言っておいて?」


「いやまあ、そのう……」


 迷った末に、私はかいつまんで高坂くんとのことを説明した。ひとりで悩んでいても仕方ないし、誰かに話を聞いてほしい気持ちもあったから。

 ひと通り話し終えると、瞳さんはふっと息をついて考え込む。


「なるほどねー。確かに悩ましいねー」


「だよね。私もどうしたらいいかわかんなくて」


「まあひとつ言えるのは、紫音ちゃんも考えてる通り、高坂くんの告白を受けない限りは大丈夫だろうね。これまで紫音ちゃんから聞いた不幸の事例は、全部カップルか夫婦だったし」


「そう、だよね」


 やはりそこは瞳さんも同じ見解らしい。つまり、私がこのままなにがあっても高坂くんからの告白を拒否し続ければ、少なくとも彼に不幸が降りかかることはないだろう。


「でも、紫音ちゃんは大丈夫なの?」


「それは……」


 大丈夫、といえば嘘になる。告白を断る心苦しさはもちろんのこと、私自身も彼のことが好きなのだ。悲しいし辛いししんどいし、もうこれでもかと泣きたくなる。

 でも、けれど。


「私は、大丈夫だよ」


 私が耐えるだけで不幸にならないのであれば、それでいい。

 恋はいっときの感情だし、小説や映画みたいな純愛なんて現実にはそうそうあるものじゃない。心変わりや移り気なんて珍しくもないし、結婚までしてるのに価値観の違いやらすれ違いやらで呆気なく離れてしまうことも多い。だから、お互いの恋心が薄れてくるまで我慢して、そのあとに不幸の青い糸で繋がれていないほかの誰かと一緒になれば、それはきっと幸せで、紛れもないハッピーエンドなんだ。


「……本当に?」


 私が心の中で飲み込んだ言葉を、瞳さんがすくい上げた。思わず息をのむ。


「ごめんね。でも、紫音ちゃんの話を聞いても、やっぱり私が言うことはこの前と変わらないかな。紫音ちゃんには、もっと自分の気持ちにわがままになってほしい。紫音ちゃんの気持ちだって、蔑ろにしちゃいけない大切なものだから」


「瞳さん……」


「それにね、紫音ちゃんはひとりじゃない。私はもちろん、紫音ちゃんを支えてくれる人は必ずいるよ」


 瞳さんの真っ直ぐな視線が私を射抜く。

 真剣に私のことを考えて言ってくれているのがわかった。

 そしてもちろん、瞳さんの言う“支えてくれる人"が誰なのかも……。


「うん……ありがとう。もうちょっと、考えてみるね」


 春雨サラダは、すっかりふやけてしまっていた。


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