ぼくは街はずれの喫茶店に向かった。なんとなく予感はしていた。なぜなら、そこはぼくが夏子に愛の告白をした場所だったからだ。
喫茶店の扉を開けると、あの日と同じ場所に夏子が座っている姿が見えた。原色の洋服が好きな彼女にはめずらしく、今日は淡い紫色のブラウスを着ていた。
「待たせた?」
ぼくは夏子の正面の席に座った。切れ長の瞳がいつになく憂いをおびえている。黒髪が滝の流れのように鮮やか曲線を描いて夏子の胸のラインを浮き立たせる。
「ううん」
夏子は読んでいた雑誌を閉じてテーブルに置いた。白いマニュキアが目についた。それは今まで見たこともない目の覚めるような色だった。小麦色に焼けた夏子の肌によく似合っていた。それにオレンジ色の口紅も・・・・・・。
「何にする?」と夏子がメニューを差し出した。
夏子の飲んでいたアイスティーの氷が、溶けて転がる音がした。ウエイトレスが近づいてくる。
「ぼくはアイスコーヒーで」と注文をすると、眩しそうに夏子が窓の外を見た。
「もう夏も終わりだね」
それはぼつりと浮かぶ夏空の雲のようなセリフだった。グラスに汗をかいたアイスコーヒーが運ばれてくると、夏子が本題を切り出した。
「わたしたち、もうつき合い始めて1年になるわね」と、夏子は切なそうな瞳をぼくに向けた。
「うん。月日が経つのは早いものだ」
ぼくは当たり障りのないことしか言えなかった。いつだってこんな時に気の利いたことが言葉が浮かんでこない。
紫のブラウスは悲しみの色。そして白いマニュキアは愛が冷めたことを意味すると聞いたことがある・・・・・・。
「だからっていう訳じゃないんだけど・・・・・・これを読んで欲しいの」
夏子は隣の席に置いてあったセカンドバッグから、一通の手紙を取り出してぼくの前に静かに置いた。緑のインクで書かれた手紙は別れの合図だ・・・・・・。
ぼくはその手紙をしばらくじっと粘土で出来た枯れ葉のように眺めていた。タヌキでもキツネでもいい。だただの冗談だと言ってくれ。
「これは・・・・・・?」張り付いたのどの奥から声を絞り出した。「いま読むの?」
夏子は真剣な眼差しで頷いた。
ぼくはストローでアイスコーヒーをひとくちノドに押し流しにしてから封を開けた。
そこにはこう書かれていた。
“
今日であれからちょうど一年が経ったね。
あの日のきみの告白のしかたは衝撃的だったよ。
いきなりつき合ってくださいって言って渡されたのが、下着のプレゼントだったんだもの。
あれはメンズバレンタインだっていうのを後から知って、おもわず吹き出しちゃった。
無知なわたしを笑ってください。
そして1年間わたしを大事にしてくれたこと、とっても感謝しています。
だけど卓也くん。わたしを大事にしすぎだよ。
これからは大人の男女としてつき合ってほしいのです。
だからいままでのプラトニックな関係とは決別します。
もしよかったら今日からまた新しい関係を築きませんか。
PS.今日はあの日いただいたピンクの下着を身に着けているのよ。
セプテンバー・バレンタイン 夏子より”
ぼくは安堵して、いつしか自然と夏子の小麦色の手を両掌で包み込んでいた。
「あの・・・・・・こ、こちらこそよろしく」
ピンクの意味するところは・・・・・・たしか純粋な愛だったかな。