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喜怒愛楽

「一本!」


 高々と主審の旗が上がった。会場に喝采が沸き上がる。やった。とうとう高校剣道選手権大会を制したのだ。斗馬とうまは盛大にガッツポーズを決めた。


「いまの一本取り消し!」


「え?」


 興奮した会場が一瞬にして静まり返った。


 やってしまった。剣道においてガッツポーズは不適切行為とみなされてしまうのだ。


※※※※※※


「元気出しなよ」


 帰り道。


 肩を落としたぼくに、一年先輩のあかねが慰めの言葉をくれた。彼女は髪が長くてスタイル抜群の美少女で・・・・・・少なくとも斗馬の憧れの女性である。


「だけど馬鹿だよねえ。なんであそこでガッツポーズを決めるかなあ」


「すみません」


 憧れの女性に追い打ちを掛けられて、斗馬はさらに落ち込む。


「斗馬くんさあ、次の試合で優勝したらデートしてあげよっか?」


「え、ほんとですか!」とたんに満面の笑顔になる。現金なものである。「よっしゃー、やったるぞぉ!」


「おいおい。その喜怒哀楽、なんとかならないの。でないと次回もまた失格になるよ」


「・・・・・・ですよね」肩を落とす斗馬なのであった。


※※※※※※


 翌朝、朝食を取りながら事の顛末を兄の正男まさおに話すと、兄は涙を流しながら大笑いする始末だった。


「ひでえな兄貴。弟がこんなに苦しんでるってのによ」


「悪い悪い」正男は目に涙さえ浮かべている。「昔からだもんな、お前のその性格」兄はバターを塗った食パンを牛乳で流し込む。


「何か手はないものか」


「あるよ」


「なに」


「今うちの会社で開発中のシャツなんだけどさ、感情を抑制する機能があるんだ」


 正男は大手アパレル企業で研究開発をやっているのである。


「へえ。そんなシャツがあるの」


「主にメンタルを大切にするゴルファー向けなんだけどな。どうだ、モニターやってくれるなら、貸出許可取ってやってもいいぞ」


「是非お願い奉ります!」斗馬はテーブルに頭を擦りつける。「やっぱり持つべきものはアパレルに勤める兄貴だねえ」


※※※※※※


「始め!」


 試合が始まった。


 斗馬は順調に勝ち抜き、この立ち合いで勝利すれば優勝が決まるのだった。相手は昨年優勝校のキャプテンを務める男であった。


 正眼に構える相手に対し、斗馬は竹刀を地面ギリギリまで下げた独特の構えであった。相手はジリジリと間合いを詰めてくる。斗馬は左に円を描くように移動する。


 相手はいきなり気合もろとも、斗馬の喉あたりをめがけて突きを繰り出して来た。斗馬が身体を左によじりながら、相手の竹刀を上にはじくと相手がそのまま斗馬の面を取りに来ていた。突きは面を取るためのおとりだったのである。


 とっさに斗馬は腰を沈め、相手の懐に潜り込んだ。相手の面と斗馬の胴がほぼ同時に決まったかのように見えた。


「一本!」


 審判たちの旗は斗馬の勝利を示していた。


 会場がどよめき、拍手喝采が沸きあがった。斗馬は、何事もなかったかのように礼をして下がって行った。


※※※※※※


「すごいじゃない。斗馬くん、優勝おめでとう」


 試合会場から出て来た斗馬を、茜が拍手で出迎えた。


「ああ。どうも」(やったぞ。茜さんどうもありがとう)


「なに、あんまり嬉しそうじゃないのね。どうかした?」


「別に。うれしいですが」(いや、チョーうれしいです!)


 斗馬はニコリともしない。


「じゃあ、明日デートする?」


「そうですね」(やった、やった。念願の茜さんとデートだ)


「なによその、よそよそしい言い方。デートしたくないんだ。ふうん、じゃあもういい」


 茜はソッポを向いて行ってしまいそうになる。


(そんなあ)


 斗馬は急いで剣道着を脱ぎ、シャツを脱ぎ捨てて茜に追いすがった。


「きゃあ、変態!」


 裸の斗馬はその場で警備員に取り押さえられた。斗馬のさけび声が、春の青空にむなしく

響き渡るのだった。


「茜さん!好きです!大好きです!」

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