ディグレが泣いている私を心配して、伏せていた顔を上げた。
直ぐさま私の膝に顎を乗せるディグレのフワフワの頭を私はそっと撫でる。それだけで心が落ち着く様で私は頬の涙を拭った。
「でも……私はこの森を出る事は出来ません。陛下の命令に背いて私が勝手をすれば、ウォルフォード侯爵家にも迷惑が……」
「ここは牢獄じゃない。出ようと思えばいつでも可能だ」
「でも……」
私はここで亡くなったサラの事を思った。
サラだって此処を出て自由になる事を選ぶ事も出来た筈だ。ランドルフや自分の子どもと一緒に。しかし彼女はそれを選ばなかった。
その気持ちを今の私なら少しは理解できる。
彼女は国を混乱に陥れたくはなかったのだろう。聖女は一人で十分だ。自分の存在はきっとこの国には不必要なのだと。
躊躇う私にロナルド様は続ける。
「このまま兄さんをアナベルなんかに渡して良いのか?」
私はその言葉に動揺した。
「は?何で今ウィリアム様の事が……?!」
「好きなんだろ?兄さんの事」
「な!?ば、馬鹿な事を……!そ、そんな事ありません」
「そんなに動揺しながら否定しても誰も納得しないぞ」
ロナルド様が苦笑する。
「ど……どうしてそれを……?」
「ん?まぁ、何となく分るもんだよ。別に隠す様な事でもないだろう」
「でも……」
「良いのか?あのアナベルが兄さんの横で微笑むのを見る事になっても」
それを想像し、私の胸は少し痛んだ。
「いいか?俺は王太子の座が欲しい。お前は兄さんが欲しい。俺が王太子になった暁には、兄さんと結婚させてやるよ。約束する」
「そんな事、別に……」
「望んでないと言い切れるのか?別に王太子が聖女と必ず結婚しなきゃならんという法はない。多くがそれを選んできただけだ。聖なる力を王族が確保したいから、そうなる様に幼い頃から刷り込んでいるだけ。それならば、兄さんとお前が結婚したって何ら問題はない」
心が揺れた。
私を陥れたのはアナベル様だろうと薄々感じていた。確証も証拠もないが、私が追放された恩恵を一番受ける人物を考えれば、その答えに辿り着くのは容易なことだろう。
そんな汚い手を使う人物にこの国を任せて良いのだろうか?
ウィリアム様の笑顔が頭に浮かぶ。貴族という馴染めない場に居た私をいつも気遣ってくれた優しい王子様。
しかしそれと同時にあの場で呆れた様な顔を見せたウィリアム様を思い出して、またもや胸がツキッと痛んだ。
彼に魔女だと誤解されたままである事も、私の胸の痛みの原因の一つだ。
しかし……
「今から此処を出ても、私達がそこに到達する頃には、アナベル様達が既に魔王を封印しているかもしれませんよ?だってロナルド様が旅立たれてからもう六日程が経っているのですよね?流石に今からでは遅すぎます」
「魔王の封印されている山には王都からは約一週間はかかる。しかも聖女を連れて……となると、馬車だ。もっと時間はかかるだろう」
「だとしても……」
私は魔王が封印されている場所を知らない。
しかし、流石に今から此処を出発しても遅すぎるのではないか?
「実はこの森を抜け、隣の山を越えれば魔王の封印された場所へは辿り着ける。今から急げば三日程で着くだろう。きっとまだ間に合う」
「此処からそんな近く?」
「そうだ。だからこの森が選ばれたのかもしれないな。魔女の森として」
確かに、魔王の封印された場所の近くであれば魔物の出現も多かったのかもしれない。
それならば此処が魔が充満している森だと思われていても仕方なかっただろう。実際はサラの結界で守られた森だったのだが。
私が揺れているのがロナルド様には手に取るように判ったのだろう。彼はそんな私に畳み掛ける。
「このままでは魔王の封印が解けるかもしれない。その上、王太后が亡くなってしまったら?王都だって無事ではなくなるだろう。お前の大切な人達にも危険が及ぶかもしれない。王族や上級貴族は自分達の事しか考えていないぞ?近衛や自分達の兵を平民の為には動かさない」
養父母やロイは?彼等は自分達さえ良ければ……などとは考えない。
それに領地の魔物対策に多くの騎士を送り込んでいて、屋敷を守るのは最低限の護衛の筈だ。
もう悩んでいる時間はない。
「……やります。下剋上、やってみせます!!」
気づけば私は力強くそう答えていた。