「夏休みもあと少し。宿題は終わってるのかな?」
ぼくは公園で顔見知りのおじさんに声を掛けられた。ちょっとイケてるおやじ風で、どことなくテレビでよく見かける脇役俳優のような雰囲気なのである。
「まあね。それよりおじさんはたしか歯科衛生士だったんだよね」
先日ぼくは歯医者さんでこのおじさんを見かけたのである。
「なんだと思ってたんだ?」
「前に“DH”やってるって言ってたから、プロ野球の指名打者なのかと思ってたよ」
おじさんは苦笑いをした。
「それはDesignated hitterのことだろう。わたしはDental hygienistだ」
「ふうん。男でも歯科衛生士ってなれるんだ」
「もちろんなれるさ」
おじさんは魅力的な笑顔をつくって胸を張る。
「歯医者になれなかったから?」
「グサッ!・・・・・・そういう訳でもないよ。成り行きでなったんだ」
「あっそう」訊いてはいけないことを口走ってしまったのかもしれない。「ぼくはさあ。いつも歯科検診で“うまく歯が磨けていない”って言われるんだよね」
おじさんはまたもやにっこりと笑った。このひとは美男子でもないのにどうしてこんなに爽やかな笑顔を作れるんだろう。
「いつもどんな歯ブラシを使ってるんだい?」
「最近、電動に替えたんだよ。自分で磨くと手が疲れるからさ」
「そうか。わたしの持論を言わせてもらえばだね・・・・・・」
「おじさんの持論?」なんだなんだ。
「洗車に例えると電動歯ブラシは“機械洗車”、ふつうの歯ブラシは“手洗い洗車”だと思っているんだ」
「どう違うのさ?」
「要するに、きみがとっても高価な車に乗っているとする」
「フェラーリとかポルシェとか?」
「そうだ。もしきみがポルシェ911に乗っていたら、どっちで洗う?」
「それは手洗いだよ。だって機械洗車だと細かい傷がつくって誰かが言ってたから」
「その通り」おじさんは満足気に頷く。「だからわたしは大事な自分の歯は、手で磨くことを推奨しているんだ」
「持論でしょ」
「まあね」
「実際にはどうすればいいの?」
「簡単さ。歯磨きをする前にまず口を水で
「歯磨きしてからじゃなくて?」
「汚れやホコリがついたまま車を洗車したらどうなる?汚れが研磨剤になって、車に傷がついてしまうかもしれないだろう。だから先に濯ぐのがいいのさ」
「それも持論でしょ?」
「そうだよ。次に大切なのは歯ブラシに歯磨き粉をつけすぎないこと」
「それもボディを傷つけないためなんだね」
「えらい、その通り。それに柔らかめの歯ブラシを使うことだ。ところできみは歯をどこから磨くのかな?」
「どこからって・・・・・・だいたい奥歯からかな」
「上下どっち?」
「下」
「上から磨く方がいいと思うよ」
「なぜさ」
「汚れが上から下に落ちるからさ」
「それも洗車理論?」
「そして前歯を起点に4分割して磨く。右上、左上、右下、左下と・・・・・・できれば1区域ごと磨いては濯ぐを繰り返す」
「へえ、そこまでやるの」ぼくは眼を丸くした。「すごいねおじさんの理論は」
「洗車のノウハウは他にもいろいろある。完全に再現すればするほど完璧なんだ」
「わかったよ。今日からぼくも洗車理論を
※※※※※※
夏休みが終わり、ぼくは歯科検診を受けた。おじさんがぼくの歯を診てくれたのだ。
「おや、ずいぶん汚れているね。きみ最後に歯磨きしたのはいつ?」
「おじさんの言われた通り、洗車理論を自分なりに実践しているんだ」
「どんな理論だい?」
「洗車に適した日ってのがあるって本に書いてあってさ」
「まさか、きみ・・・・・・」
「日差しのない曇った日だから・・・・・・三日前かな」