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<46・黒猿の洞窟>

 社によれば。

 このゲームにおいて〝危ないエリア〟と呼ばれるものは、基本的に二種類に分けられるのだという。

 つまり敵が多くて危ないか、環境が厄介で危ないか、だ。

 『№512 紫の迷宮』は、環境が危ない方だった。長居すると幻覚を見るという、メンタルハザードが起きているエリアである。

 対して『№223 黒猿の洞窟』は、純粋に敵がいて危ないエリア、だという。


「環境も完全に安全じゃないんですけどね。岩だらけで不安定なんで、急に穴があいて滑落するとか、上から落石が降ってくる可能性もゼロじゃないんで」


 でもそれ以上に、と社は眉をひそめる。


「ここにいるクリーチャー、〝黒猿くろざる〟がまた嫌―なかんじなんすよねえ……」

「あ、読み方そっちなのね。……嫌っていうのは、うざったいとか、攻撃的とか?」

「それもあるんすけど、まず数が多いんす。この洞窟は、奴らの巨大な巣みたいなもんなんすよ」


 この洞窟を根城としている黒猿は、書いて字のごとく真っ黒な猿だというのだ。黒い毛に真っ赤な目という不気味な見た目をしており、サイズは一般的なニホンザル程度だという。非常に排他的であり、侵入者を見つけるととにかく執拗に追いかけてきて攻撃してくるのが問題らしい。

 一体一体の攻撃力は、大したものではない。猿なので、他の動物達ほど鋭い牙や爪があるというわけでもない。

 しかし奴らは数が多く、一匹が攻撃を受けると何十匹で報復してくるという厄介な性質を持つのだという。しかも、猿なので頭が回る。武器を使って攻撃してくることもある。小石を掴んでの投擲くらいは当たり前、場合によっては簡単な槍やナイフを作って攻撃してくることもあるというから恐ろしい。つまり、なるべく奴らに気付かれないように、襲われないように進むしかないのだそうだ。


「特に発情期にブチ当たるともう最悪っす。奴らめっちゃ気が立ってるから、こっちが何もしてこなくても殺そうとしてくるっす」

「うっわ、怖いわ……」

「普通のニホンザルより知能があると思ってもらえれば。でもって、かなり狡猾っすね。奴らから逃げるには、とにかく早く次のエリアに逃げるしかない」


 で、次のエリアなんすけど、と社。


「洞窟のどこかに、色のついた温泉がたまっている穴があって、そこに飛び込むと次のエリアに行けるっす。唯一幸いなのは、この洞窟自体がめっちゃ広いわけじゃないし、空間が歪んでいるわけでもないのである程度マッピングができるってことっすね」

「ん、OK」


 猿は面倒くさそうだが、どっちみちここには四木乱汰がいる気配もないようだし、さっさと抜けてしまうに限るだろう。敵に警戒しつつ歩き続けたところで――ミノルたちは、十字路に出くわすこととなる。

 まっすぐのびる道、左右にのびる道。流石に分かれて探索するわけはいかないので、全員で進むしかないのだが――問題は。


「お、おい!?」


 十字路のど真ん中で、倒れている人間がいたことだ。

 それは、自分達と同じくらいの年頃の少年だった。ミノルは慌てて駆け寄る。

 何かがおかしい。彼は、ほとんど全裸だった。制服はもちろん、下着も、靴下もかろうじて布地が体にまとわりついているのみである。靴に限っては完全に落としてしまったらしく、裸足で逃げて来たのか足の裏がずたずたになっていた。そして、その他も頭や背中、手足、体中が無惨なほど傷だらけになっているではないか。


「な、なんだこれ……!?」


 彼の後頭部は、大きく陥没していた。そして、かっと見開かれたまま濁った眼。どう見ても、既に息絶えているのは明らかである。まるで、服をはぎとられてもなお必死で逃げているところ、後ろから鈍器で殴打されて殺されたかのような。


「う、嘘……」


 そして、大空が呆然と口を開く。


「僕、この子、知ってる……」

「なに!?」

「水泳部の一年生の子の、友達……!前に、一緒に水泳部の見学来てたんだよ。名前忘れちゃったけど、その子で間違いない。なんで、ど、どうして……」

「お、おいおいおい……」


 名札がないので名前はわからないが、大空が言うなら間違いないだろう。つまりこの少年はNPCなどではなく、このゲームに巻き込まれて死んだ生徒だ、ということである。

 黒猿に襲われたのだろうか?しかし、ならばどうして衣服までもがずたずたに切り刻まれているのだろう?怪我のせいというより、服をむりやりはぎ取られた時についでに切り裂かれたような傷に見えるが、これは――。


「ウキキ……」

「!」


 突然、小さな鳴き声が聞こえた。はっとして見れば、左側の道の奥、一匹の猿が佇んでいるのが見える。真っ赤な目をしているが、体毛は随分薄く、そのせいで黒というより薄ピンクのように見えた。猿はキキキ、と小さく鳴くと、こちらを攻撃してくる気配もなく、そそくさと道の奥へ走り去っていく。


「あれ、攻撃して、こない?」


 ミノルが呟くと、社は「あれメスだと思うっす」と言った。


「メスの猿は、発情期になると体毛が非常に薄くなって、ピンク色っぽくなるんす。でもって、子供が生まれるまでは性格が大人しくなるんすね。反対にオスは子作りしたくて必死になるんで、非常に狂暴になるんすよ」

「え、なんかやだそれ……」

「自分に言われても困るっすよ!ゲームの公式ガイドに載ってたんですって!……オスの黒猿は、とにかく気性が荒くなってしまって攻撃性が増すんです。特に、強引にメスを襲おうと追いかけまわしたり、無関係の動物をむやみやたらと殺すこともあるんだとか。ゲーム内でもそうなんすよ。プレイヤーが近づくと、装備とかを無茶苦茶にはがして、致命的なダメージを与えることも少なくなくって。その理由の一つは、メスが発情期になると葉っぱや木の実で着飾ることもあって、それをはぎ取って相手を確認することもあるからだとか、そもそも奴らにとっては装備品は邪魔なものと認識されるとかで……」


 そこまで言って、彼は青ざめた。気づいてしまったのだろう――目の前に転がっている少年の死体と、その意味に。

 人間の衣服というのは確かに、全裸が当たり前の猿たちからすれば無駄でうざったい装備に見えるかもしれない。しかもメスがピンク色だったということは、猿たちにとってはそういう時期が重なった、ということで。


「……衣服もようは、装備のようなものですよね。……ずたずたにひん剥かれたら、まああんなかんじになりますか」


 静が身も蓋もないことを言う。


「なるほど、この洞窟に迷い込んだ生徒の一部は、メスと勘違いされて服や装備を軒並みむしり取られた挙句、『違うじゃねえかコノヤロー!』ってなかんじで八つ当たり嬲り殺される可能性がある、と。うわあ、最悪どころじゃないですねえ、これ」

「本当に、マジで、知りたくなかったよそんな情報……!」


 これはもう、ヤバイなんてどころの話ではない。ミノルは少年の遺体に手を合わせた。


「すまん、名前も知らない人。……弔ってやれなくて。ここじゃ埋めてやることもできねえ」


 さっき、メスの猿が逃げて行ったのは左の通路だった。そして、この少年は恐らく正面の道から逃げてきて、黒猿の攻撃を受けて死んだと思われる。ならば、正面の道の向こうに奴らの本拠地がある可能性が高い。メスの匂いと勘違いされるのも困るし、右の通路へ進むのが吉だろう。


「右へ行こう。……とにかく早く、温泉?を見つけて脱出だ」

「賛成です。猿にズタズタにされてほぼ裸にむかれて死ぬとか最悪がすぎます」


 今日は確実に厄日だ。すたすたと歩き始めながらミノルは、星占い何位だったかな、なんてこと思ってしまう。自分が令和日本の世界でハマっていた漫画に、やたら星占いを気にするキャラクターがいたのだ。そして、朝の番組では不思議と星占いを紹介しているケースが多いのである。

 まあ、今その結果を思い出したところで意味はないに違いない。この世界に星占いなんて文化があるのかもわからないし、この大規模ゲームに巻き込まれているのは自分一人ではないのだから。


――つか、星占いって結構理不尽だよな。ラッキーメニューでキムチ鍋とかトムヤンクンとか言われても一体どうやって朝から食えばいいんだよっつーか……。


 そんなことをつらつら考えながら足を動かしていた時だった。一行は、Y字路にさしかかった。進む道は左か、右か。ただ、左の道は水晶がほとんどないのか、真っ暗で何も見えない。あまり進みたくないのが本心である。


「右でいいか、おまえら……」

「しっ」


 ミノルがそう口にしかけた時だった。静がひとさし指を唇に当てて制止してくる。


「陛下、静かに。……何か、聞こえます」


 こういう時、聞こえてくる音というのはろくなものではないというのがお約束である。

 耳をすませたミノルは、うげっ!と呟いていた。左の真っ暗な道の奥から、どたばたどたばたどたばた、と走って来る複数の足音が聞こえたからだ。

 しかも、キーキーキー!という鳴き声も響いてくるような。


「うっわ、やっべえ!み、みんな逃げ……」


 逃げろ、と言おうとしたが、遅かった。

 次の瞬間、三匹の真っ黒な体毛の猿が、こちらにとびかかってきたからである。


「うわああああ!?」


 ミノルは慌ててしゃがみこんだ。しかし、猿はミノルの頭上をゆうゆうと越えていく。そう、最初から狙いは、先頭を歩くミノルでも静でもなかったのだ。

 奴らが標的にしていたのは――。


「映くんっ!」


 大空が悲鳴を上げた。真っ黒な毛の猿が、映の体にまとわりついていたからである。


「ちょ、やめて!離して!」


 再三になるが、黒猿たちの体格は一般的なニホンザル程度しかない。身長168cmばかりある映は、彼らからすれば充分すぎるほど体が大きいはずだった。しかし、連中は複数体いる。一匹なら無理なことでも、複数で協力すればできてしまうことは存外多いのだ。人間だって、一人で運べない重たい荷物は仲間と協力してなんとかするものなのだから。


「いやあ!ちょ、何するのよ、やめてえええ!」


 映がもがくが、どんどん増える猿たちには関係ないようだった。数匹がかりで映の体を持ち上げてしまったのである。


「映!くそ、お前らやめろっ!うわあっ!?」

「いたたたたた、痛いっす、痛いっすよう!!」


 助けるべく駆け寄ろうとしたミノルと社の方へ、容赦なく浴びせられる石礫。映を持ち上げていない猿たちが、こちらに次々小石を投げつけてきたのだ。これでは近寄れない。

 仮にミノルが真っ当な魔法を使えたとしても、猿に絡みつかれている映自身を攻撃してしまう可能性が極めて高い。これではどうしようもない。


「映くん、映くん!」

「映さん!!」


 大空も、静も猿たちに妨害されている。そうこうしているうちに、連中は映を持ち上げたまま、右側の暗闇の道へと走り去ってしまった。

 殺さなかったこと。そして、死んでいた生徒の様子。あの出血量から察するに、頭を殴られる前にはもう致命傷を負っていたのではなかろうか。その致命傷を負った原因は、無茶な行為による全身裂傷と考えられるわけで――。


「ちくしょうが!そんな目に遭わせるか!」


 ミノルは吠え、猿たちのあとを急いで追った。自分にもまだ何かできるはず。守れるものだってあるはずだと、そう信じて。



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