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<47・美しいもの、美しくないもの>

「キキキ、キキキキキ、キキキ!」


 猿たちが鳴き声を上げながら走っていく。その鳴き声と、猿独特の跳ね回りながらの走り方がうざいことうざいこと。


「てめええらあああああ!いい加減にしろ、シバくぞ!?」


 段々むかついてきて、ついついミノルの言葉遣いも荒くなってくる。静が光を灯す魔法を使ってくれたので、辛うじて奴らの姿は見えているものの、いかんせん懐中電灯だけ使って走っていくようなものだ。視界は悪いし、足場はゴツゴツしているし、まったくもって走りにくいといったらない!


「喚くな走るな、見るな聞くな言うなコンニャロ―!」

「ミノルくん、それなんか違うやつ!」

「猿鍋にして食っちまうぞ!それとも頭割開いて脳みそすすったろかー!?」

「それ国際的に禁止されている料理なんでやめましょうねー。あと多分病気になりますよ」

「大空も静も冷静なツッコミしなくていいっつーの!!」


 ぎゃあぎゃあ叫びながら右へ、左へ、くねくねとと曲がる通路を追いかけ続ける。

 段々と、違和感を覚え始めていた。確かに奴らは映という荷物を背負っているのでそこまで早く走れるわけではない。それにしても、距離がぴったりと開くことも縮まることもないのはどうしてだろうか。

 なんだかまるで、どこかに誘導されているような嫌な予感がしてならない。


「……おかしいっすよ、これ」


 やがて、同じことに気付いたのか社が呟いた。


「ゲーム通りなら、あいつらもっとすばしっこいイメージだったんっすけど……」

「映を抱えてるから遅いんじゃないのか?」

「いや、そこまで速度は落ちなかったはずっすね。意外と力持ちなんすよ、あいつら。でもって、プレイヤーの荷物をかすめとってどっかに持っていく面倒くさい性質もあって……ものの持ち運びも結構うまいというか、なんというか」


 やっぱり、連中の動きは何か妙ということだ。もちろん、この空間はゲームそのものではなく、ゲームを模した空間であるのは間違いない。ならば、多少実際のゲームと異なるところがあってもなんらおかしくはないのだが。


「!」


 すると突然、映がぎょっとしたように顔を上げたのが見えた。そして振り返りこちらに何かを訴えている。


「み、ミノルくん!……に!……だから、あぶなっ……」

「キー!ウキキキ、キー、キイイイイイイ!」

「え、なんだなんだなんだ!?猿がうるさくて聞こえねえよ、映!」


 何かを言わんとしているのはわかるが、ノイズが大きすぎる。あれ、と思った瞬間、目の前の猿軍団が大きく飛び跳ねたのがわかった。何が、と思った次の瞬間。


「え」


 急速な浮遊感。突然、足場が消えた。やばいと思った瞬間にはもう、ミノルの体は落下を始めている。


――あ、足元が消え……い、いやちがう、穴か!


 どうやら、大穴が空いている場所に誘導された、ということらしい。暗がりのせいで足元の方が見えなかったのが災いした。猿たちは最初からそれを狙っていたのだ。


「へ、陛下!」

「し、しず……うわああああぁぁぁ!」


 直前で静たちは踏みとどまったようだが、ミノルは間に合わなかった。彼が伸ばしてくれた手が、空を切る。思った以上に深い。あっという間に、静の顔が遠ざかっていく。


――畜生、何やってんだ、俺!


 ギリ、と歯を食いしばる。なんせ、最後に見てしまったからだ。


――あいつに、あんな顔させるなんて、最低だ。


 落ちていく瞬間に見えたのは、静の初めて見るような――恐怖と絶望に歪んだ顔であったのだから。




 ***




――ああもう、最悪だわ。


 映は奥歯を噛みしめて、思う。


――私の人生って、なんでこんなのばっかり。


 猿たちに運ばれながら毒づく。思い返すのは、ろくでもないことばかりだった自分の人生だ。確かに、自分は母とウリ二つの顔を持って生まれたかもしれない。幼い頃から女の子と間違われることばかりだったかもしれない。けれどそれらは全て――けして映が望んだ結果ではなかったのに。

 映、という名前は映画の映から取っている。母と、それから亡くなった父が二人で考えてつけた名前だそうだ。なんでも、元々は映を俳優にでもしたかったらしい。いつか母と同じように銀幕で活躍するスターになってほしい、と。何やらそんな願いをこめられていたそうだ。

 まあ、その夢は父が亡くなった上、母が魔族だというせいで映画界から干されてしまったことから叶わぬ夢となってしまったわけだが。

 人間達の、魔族への風当たりは日に日に厳しくなる一方だ。

 実力も才能もあったはずなのに、魔族というだけで母の仕事は激減した。それでもこまごまとしたバイトをしながら今日まで自分を育ててくれた母に、映は心から感謝している。

 ただ――時々ただ、母の目に妙な色が宿るようになったことを覗いては。


――わかってるわよ。……私があなたの生き写しだったのが、段々嫌になったのよね。


 まさに、映は母の若い頃そっくりだと言っていい。男女の性差など一切感じさせないほどにそっくりなのだ。まあ、父も華奢な人であったし、映自身ちっとも男性的な体格にならなかったというのも大きいのだろうが。

 だからこそ、年老いていく自分と、若い頃の自分の姿である映の差で、母がどのように悩んだのかは想像に難くない。それが、嫉妬へと繋がったのだということも。

 一番最初に変質者に襲われそうになったのは、幼稚園の時だった。

 小学生の時は誘拐されそうになった。

 中学生以降は、私服で電車に乗れば確実に痴漢が出た。

 そして同じくその中学生の頃――母が再婚した男は、生粋のクズ男で。母がいない隙に、自分を襲ってきたのである。最初からあの女ではなく、若くて綺麗なお前を狙って結婚したのだとのたまいながら。

 必死で抵抗したせいで大事には至らなかったが、その一件は母に知られることとなった。そして、母は。


『そう。……結局、わたしよりもあんたの方がいいのね。みんな、みんな、若い子の方が……私なんかよりも……』


 あの時の、母の冷たい目は忘れられない。酷い暴力を受けそうになって怯える息子に、母は一切心配の声をかけることもなければ、慰め一つ言ってはくれなかったのである。

 愛情はあったはずだ。実際、この魔王学園にお金はちゃんと振り込まれている。でも、映をこの全寮制の学校に投げ込んだのはひとえに――少しでも息子から離れたかったのではないかと、そんなことも思ってしまうのである。


――いいわよ。そんなに言うなら本当に……女になってやろうじゃないの。


 その実、映は何もトランスジェンダーというわけではない。中学までは普通の男子らしい喋り方をしていたのだから。

 ただ、変態男に襲われ続けて男性嫌悪の念が募ったことと――母へのしょうもない対抗心を募らせたにすぎない。そもそも、女言葉も女っぽい服装も、自分には似合いすぎていたのである。自分が魅力的に見える格好なら、もうそれでいい。汚くて醜い男になんてなりたくないし、この格好で母が苦しむならもう苦しめばいい。それくらいの自由は、自分にだって許されるはずだからと。

 幸い、この学校には本物のトランスジェンダーやゲイも珍しくなかったため、おかしいと思われることはまったくなかった。中学時代からの知り合いもいたが、映が事情を話すと受け入れてくれたのである。

 高校時代だけの、ちょっとした反抗期。小さな小さなレジスタンス。自己満足だとわかっていても、自分がやりたい自分でいたかったのだ。


――それで結局……余計な変態を引き寄せてちゃ、まったく意味がないんだけど。


 本当に、巻き込んでしまったミノルたちには申し訳ないと思う。悪いのは自衛を怠った自分と、四木乱汰だけだ。他の生徒たちは何一つ悪くないというのに。


――これも罰なのかしら。こんなところで惨めに、醜く死んで行けと、そういうこと?……無様ね。


 さっきから魔法を唱えようとしているが、上手くいかない。どうやらこいつらの毛には特殊な耐魔特性があるらしい。捕まえられていると、腕力で逃げる以外に術がないのだ。奴らもそれがわかっているのか、映を抑えつけたまま一切手を離す気配がない。

 やがて辿り着いたのは、洞窟の中でも広い広い空間だ。

 天井には、さながらシャンデリアのように青い水晶が垂れさがっており、空間を青い光で明るく照らしている。そして、何十匹もの猿たちが、さながらベッドのように藁をしいた区画を取り囲むように集まっていた。

 まるで何かの儀式場のよう。ここが、連中が獲物を弄ぶ場所だというのか。


「キキキ、ウキ、キイイ!」


 ああ、最悪。映は唇を噛みしめる。藁のベッドには明らかに大量の血が付着していた。恐らく、ここで死んだ生贄は一人や二人ではないのだ。

 さっき死んでいた少年の無惨な姿を思い出した。どれほど痛く、恐ろしい思いをしたことだろう。さっきの社の話が本当ならば、攫われた少年はきっとメスに間違われたのだと思われる。こんな猿どもに服を切り裂かれてほぼ全裸にされたあげく、八つ当たり気味に体中をずたずたにされて殺されるなんて、本当に笑えもしない。それこそ人間の尊厳もへったくれもないではないか。恐らく自分達が偶然見つけた死体が彼だけだったというだけで、どこか別の場所で他にも死んでいた生徒がいたのではなかろうか。


「本当に、吐き気がするわ」


 中でもひときわ大きい猿を見て、映は呟いた。多分この群れのボスなのだろう。そいつは既に発情して攻撃性が増しているらしく、ぎゃんぎゃんと喚きながら飛び跳ねていた。目が血走り、まるで美味しい御馳走でも目の前にしたかのようにだらだらと涎が垂れている様がぞっとする。まさに、これから映の全てを食らいつくしてやらんと言わんばかりだ。「こんな醜いケダモノのどこにメスにモテる要素があるのよ」とやけっぱちで思う映である。

 しかも、その両手には明らかに血が付着しているのだ。犠牲者たちの体を引き裂いた時についたものなのだろう。気持ち悪いどころの話ではない。


「私とメス猿の違いもわからないくせに、気色悪いったらないわ。……そんなバカな真似ばっかりするから、本物のメスに嫌われるんでしょうが……!」


 ああ、もういっそ、舌を噛み切って死んだ方が幸せか。そうすれば、余計な苦痛など感じずに済むのだから。


「キイイイ、ウキキ、キイイ!」


 猿の数匹が、映の制服に手をかける。さっきの少年のように、邪魔な服をすべてはぎ取ってしまうつもりなのだろう。ボタンからみしり、と嫌な音がする。万事休すか――と映が舌を噛み切ろうと口を開けた、その時だった。


 ズズズズズ――――!


「え!?」


 思わず目を見開いた。

 何故なら突然唸り声のような地鳴りが、洞窟全体を震わせたのだから。


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