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<48・焔の覚醒>

 崖から落ちた時、ミノルが思い出したのはあの悪夢だった。




『くそっ……〝Protect〟!みんな、落ち着いて防御魔法を使え、そのまま後方へ下がれ!』




 魔王ルカインの焦った声。爆発に巻き込まれて崩れていく砦、罅割れる足元、崖下へ落ちていく己と仲間たち。




『魔王様あああああぁぁぁぁぁ!!』

『うわああああ!?』




 ああ、覚えている。あの時の絶望を、恐怖をよく覚えているのだ。

 ミノルは――ルカインは己の無力さを嘆いていた。自分がもう少し対策を打てていたら。もっと敵の作戦に気付いていたら。慎重に動いていたら。あんな恐ろしい罠にはまることはなく、たくさんの部下を無駄死にさせることはなかったのではないかと。




『なんで、なんでだよ!誰か、誰かいないのか!?他に……他に生きている奴は!?』




 右を見ても左を見ても死体、死体、死体。

 つい数時間前までは将来のことを冗談交じりに話していた者もいたし、昨晩は野営地でともに酒を飲み交わしていた部下もいた。誰も彼も、まるでついさっきのことのようにその笑顔を思い出せるのに、そのすべてが血の海に沈み、潰れ、砕け、跡形もない肉塊と化していたのである。

 自分にもっと力があれば、あんな惨劇を巻き起こさずに済んだ。

 そうだ、ルカインが本当に魔王として名を挙げたのは、あの惨劇の後だ。ルカインは、覚醒したのである。一人でも多くの仲間を守るため、鬼にも悪魔にもなろうと誓ったのだ。どれほどの命を踏みつけにしても、どれほどそれが心を粉微塵に砕く所業でも、自分が成し遂げなければいけないと思った。そして、そのための力を強く強く欲したのだった。


――強く、強く、強くならなければ。そう。


 今もそうだ。自分は、同じ過ちを犯そうとしている。力がないばかりに。弱いばかりに自分も守れず、誰かのことも守れず。

 暗闇に落下しながら、ミノルは拳を握りしめた。深い深い、深すぎる崖だ。このまま下まで落ちて叩きつけられたら、間違いなく素敵なミンチ肉になれるだろう。ここで自分が死ぬということは、静を悲しませるということだ。映を救えないということだ。そして、魔族の未来を閉ざすということなのだ。

 本当にそれでいいのか?元の世界の家族の元に永遠に帰れず、自分を助けてくれたたくさんの人の想いにも応えられず、それで終わって本当に無念ではないのか?悔しくはないのか?諦められるのか?


――答えは……否だ!


 ぶわあああ、と全身の毛穴が開くような感覚があった。その言葉が頭の中に浮かんでくる。今ならできる、そう確信があった。


「〝Flight〟」


 背中が熱くなり、翼が生えたのがわかった。奈落の底に叩きつけられる寸前で、体は宙へと浮き上がる。本当にギリギリだった。

 それでもどうにか怪我一つなく浮上し、落ちて来た空へと飛び立つことへ成功する。


「え!?」

「う、うそ、ミノルさん!?」

「なんと……!」


 大空が、社が、静が驚愕の表情を浮かべているのが見えた。彼らの眼前に戻ったミノルは、必死で訴えかける。


「なんか、よくわかんないけど飛べるようになった!つか、この魔法お前らも使えるよな!?」


 背中から生えた翼を動かしながら、叫んだ。


「俺、一足先に映を助けにいく!みんな、ついてきてほしい!」

「ちょ、陛下!一体、どういう……」

「俺もよくわかんねえ!でも大丈夫……生きてるから!」


 生き残った。今は、それが全てだ。空を飛べば、彼らもあの穴を越えて追いかけてこられるだろう。

 事は一刻を争う。映が黒猿たちにやられてしまう前に、さっさと連中をぶっとばして助けなければ。


――させない!この世界では……現世では、誰も犠牲になんか、させない。させるもんかよ!


「おおおおお!」


 暗い通路を、凄まじい速度で飛んでいく。やがて、青い光が照らす広場のような空間へ出た。藁の上に投げ出された映が、今まさに薄汚い猿たちに服を破り捨てられようとしている。本当に、ギリギリだったようだ。


「〝Lava〟!」


 それは、岩に焔を纏わせて落とす魔法。その名の通り、溶岩で敵を攻撃する魔法である。ぐらぐらぐらぐら、と地面が大きく揺れ動く。ミノルが魔法をかけた洞窟の天井が罅割れ、魔法の火を纏って猿たちへと落ちていった。

 コントロールは慎重に行わなければいけない。映に当ててしまっては本も子もないのだから。


「キイイイイ!?」

「ウキキ、キ!?」

「キキキ、キキキイイイ、き、ギイイイ!」

「キイイ、キキキ、キキキキキイイイ!!」


 降り注ぐ焔の岩から逃げまどう猿たち。しかし、落石の数はあまりにも多い。全てをよけきれるはずもなく、無数にいた猿たちが次々岩に押しつぶされ、そのまま焼き殺されていった。


「う、うそ……ミノル、くん?」


 映が呆然と目を見開いている。その場所にいられるのは少し危ない。彼が寝かされていた藁のベッドは燃えやすいからだ。


「洞窟の隅の方に、逃げてくれると助かる!可能なら、防御魔法とか使っておいて!」

「わ、わかったわ……〝Protect〟!」


 彼は驚きながらも、洞窟の隅へ逃げると同時に自身に物理防御の魔法を張った。これで、ちょっと無茶苦茶な魔法を使っても映を怪我させずに済むだろう。

 天井が、壁が、地面が罅割れて崩れていく。光り輝く水晶の一部が滑落し、黒猿の一匹を頭から串刺しにした。

 怒りが制御できない。目の前が真っ赤になって破裂しそうだ。

 果たしてこの感情はミノルのものなのか、それともルカインのものなのか。


――多分、さっきいた迷宮で……ルカインだった頃の幻覚を見たのが、でかいんだ。


 頭のすみっこの、冷静な部分が分析する。


――俺と、ルカインの境界線がどんどんなくなってる。でも……飲み込まれて、たまるか。俺は、俺だ。俺のまま……ルカインの力を使って、大事なものを守ってみせる。


「キキキイイ!」

「キイ、キイイイイ!!」


 生き残っていた黒猿の数匹が、怒りにまかせて遅いかかってくる。だが、もう遅い。準備は整っているのだから。


「くらい、やがれえええええ!」


 両手を空へと掲げ、そして。


「〝Purgatory〟!!」


 それは、煉獄を意味する、広範囲炎属性魔法。大量のマグマが足元から噴出し、ミノルに向かって走ってきていた猿たちを飲み込んでいった。

 彼らは哀れ、溶岩に捕まったせいで大火傷をくらい、足が固まって動けないまま生きたまま焼かれて死んでいく。あまりにも残酷な末路。しかし、同情してはいけないと知っている。

 守るためには、時に非情になることを知らなければいけない。甘ったれた対応をしていては、結局何一つ救うことなどできないのだから。


「陛下!」


 やがて、バタバタと足音が聞こえてきた。どうやら遅れて静たちが駆けつけてきたらしい。その頃にはもう溶岩は冷えて固まり、落ちて来た炎の岩の火も消えている。

 残っているのは、むっとするような熱と――鼻がまがりそうなほどの焦げた臭い。唖然としている映と、呆然と佇むミノルだけだ。


「み、ミノルくん!こ、これ、ミノルくんがやったの……!?」

「……ああ」


 尋ねてくる大空に、ミノルは引きつった笑顔を返す他ない。


「俺が、やった。……やっちまったよ」


 あの記憶が、自分自身のものだったとはっきり認識してしまった。それと同時に、恐怖と絶望とともに戻ってきたのだ――失われていた力の一部だ。

 そう、ほんの一部だというのに、それだけでこの地獄を作りだせてしまったのだ。


――マジか。


 怒りがゆっくりと引いていく。脳が冷えると同時に、目の前の凄まじい光景が自分に現実を見せつけてくるのだ。

 溶岩に足を飲み込まれたまま、真っ黒に焦げている複数の猿たち。それが猿だった、とわかるのは自分がその様を見ていたからに他ならない。知らない者が見れば、黒焦げの石像が立っているようにしか思わないだろう。

 地面には、無惨に水晶や岩で潰された猿の遺体がいくらでも転がっている。殆どが原型をとどめていない状態だ。これだけミノルが魔力を暴発させ、好き勝手に暴れたのだから当然なのかもしれないが、でも。

 ああ、そのすべてを、自分がやった。

 できて、しまった。

 あの時は怒りに任せて、後のことなど何も考えていなかった。猿たちのやったことを考えれば、連中は殺されても仕方なかったというべきだろう。しかも相手はモンスターだった。そこに罪悪感があるわけではない。

 ただ、あまにも恐ろしい。もしこの力を、うっかり人に向けてしまうことがあったら。そう、自分にはそれができてしまうほどの力があったという、この現実が。


――マジかよ、はは……は。こんな力が、俺にあったのか。……なんて。


 守るために必要だ。そう思った。それを後悔するつもりはない、でも。


――なんて、恐ろしい力なんだ……。


 わかってしまったような気がする。どうして人間が、魔族を過剰なまでに恐れたのか。そっくりな見た目だというのに差別し、バケモノのように扱う者が増えてしまったのか。




『人間は素手だったら飛んでくるのはパンチやキックくらいだけど、魔族は魔法が飛んでくる。優秀な魔導士は、たった一人で国一つ破壊できてしまうんだってさ』




 大空の言葉を思い出す。人間と魔族は、根本的に違う。魔族は何も武器を持っていなくても魔法がある。この力で、あっさりと命を踏みにじることができてしまう。その気がなくても可能だというのが、彼らには怖くて仕方ないのだ。

 クマが鋭い爪と牙を持っているというだけで、危害を加える可能性があるというだけで、人々に銃を向けられるのと同じ。

 自分達は彼らにとっては――猛獣なのだ。


「ミノルくん」


 足元が不安定なせいでややふらつきながらも、映がこちらに駆け寄ってくる。そして、ぎゅっとミノルの右手を掴んだ。


「ありがとう。……助けてくれて、本当に……」

「映……」

「あなたがいなければ、私は間違いなく殺されていた。命の恩人よ。だから……間違ってない。あなたは何も、間違っていないの」

「……うん」


 情けない。わかっていても、その言葉に涙が出そうになる。人間や魔族ではないとはいえ大量のイキモノを踏みにじった。相手がどれだけゲスだったとか、そういう問題ではないのだ。この空間の、ゲームだけのモンスターだとはいえ、その事実はけして消えることはない。

 自分は、殺した。

 命を簡単に殺せる存在になった。

 それでも――それがわかっていても、なお。


――救われたなんて、思うのは……本当に、ダメ、だよな。


 泣きそうになるミノルの背中を、映がそっとさすってくれた。その映自身も恐怖が蘇ってきたのか、小さく嗚咽を漏らしている。

 暫くミノルは、ただそうしていた。

 どこか複雑そうな、静の視線に気づかなかったフリをして。


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