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<49・懐郷、自我、己というモノ>

 どうやらあの猿連中は、次のエリアへの入口を塞ぐ形で本拠地を作っていたらしい。

 派手に壊れた岩壁の向こうに小さな部屋があり、そこには緑色の液体で満たされた温泉のようなものがあったのだ。


「ここでいいのか?」


 ミノルは振り返って社を尋ねる。社は「あってるはずっす」と頷いた。


「ただ、まあ相変わらずといっていいか……次はどんなエリアなのかまったくわからねーっす。あと、次のエリアに誰かさんがいるとも限らないっつーか」

「四木乱汰、な。名前も呼びたくねえ的な?」

「まあ、外道の名前は口にしたら口も耳も腐りそうではありますよねえ」

「違いないわね」

「うーん静くんも映くんも辛辣う!少なくとも、名前つけた親御さんには罪はないと思うから、名前叩きは良くないと僕は思うなー」


 社、静、映、大空とまあそれぞれ好き勝手に言ってくれている。それを聞いてミノルは、「俺も真っ当な生き方しないとダメだなあ」なんてことを思ってみたり。自分が何かやらかしたせいで、親がつけてくれた大事な名前まで穢されるのは流石にごめんだ。

 ちなみにミノルの名前がカタカナなのは、両親の中で意見が割れた結果だと聞いている。木の実が実る=成果が結実する=努力出来る人間になってほしいなど様々な意味をこめたかったものの、漢字に大層悩んで決まらなかったとかなんとか。

 名前というのは、親が子に想いを託した象徴でもある。極端な話、その名前をつけられた人間が人の道を外れるということは、名前のイメージダウンにもなるし、親の想いを裏切る結果になってしまう。

 自分を生み育ててくれた親への恩を仇で返したくないならば、お天道様に顔向けできないような愚行など犯すべきではないのだ。

 そう考えると、四木乱汰の名前には、一体どんな意味があったのだろうか。少々想像しづらいのは確かだ。それでも彼の親が真っ当だったなら、そこには息子の将来を思った大切な意味がこめられていたのだろう。

 もし彼に少しでも両親への正しい感謝があったなら、罪悪感があったなら――こんな事にはならなかったのだろうか。


――やべ。なんか、ちょっとだけ……家族に会いたくなっちまったな。


 自分は、失踪した日と同じ時間軸に戻れることになっている。しかし、もしもこの世界でミノルが死ぬようなことになったら――ミノルは永遠に、あの世界に戻ることはなくなってしまうのだ。

 意外と、母は気丈な人だと知っている。だから最初は悲しんでもきっと立ち上がってくれるはずだ。案外ダメなのは男性陣の方だろう。無理をしそうなしっかり者の弟に、露骨にへこみそうな父それらが簡単に想像できてしまう。

 それくらいには、自分は愛されている。その自覚がある。そう考えると――やっぱり、何がなんでも生きて帰らなければいけないなと思う。


――そういえば、静たちの親って、どうしてるのかな。聞いたことねえや。


 この学園にいる時点でみんなある程度ワケアリだろうが、尋ねてもいいことだろうか。

 へたに突っつくと、お互いホームシックを起こしそうではあるけれど。


「次の世界に行く前に……陛下」


 そんなことをつらつらと考えていると、静が声をかけてきた。


「名前を言いたくないどっかのクソ野郎のことは置いておいて。……陛下、さっきの力のことなんですが」

「あー……」


 そういえば、背中の翼はいつの間にか消えている。時間経過で消したのか、自分で消したのかよく覚えていなかった。ぶっちゃけさっきは、完全に頭に血が上っていたのである。


「……俺が、魔王ルカインだった頃の記憶にさ。戦争中、敵の罠にはまって仲間と一緒に爆弾でぶっとばされて……崖下に落ちるってのがあって。さっき、それを思い出したんだ」


 ぐーぱー、と右手の拳を開いたり閉じたりしながら言うミノル。


「あの時俺、本当に悔しくて。自分が無力だったせいで仲間を守れなかった、慎重じゃなかったせいであんな罠にも気づけなかった、もっと力があればこんなことにならなかったのにってずっと後悔してたっつーか。……さっき崖を落ちていく時もそう思ってたんだ。力が欲しいって。大事なものを守れる力が、自分自身を守れる力が、とにかく何かを成し遂げられる力が。ここで死んだら何もできないまま終わる、それだけは嫌だって……」

「そしたら、飛べるようになった?」

「うん。なんか、魔法の呪文がいくつも頭に浮かんできて、無意識にそれ唱えてた。空を飛ぶ魔法、お前らも使えるだろ?」


 そう告げると、全員が揃って微妙な顔をした。何か自分、おかしなことを言っただろうか。


「それなんですけどね、陛下。確かに空を飛ぶ魔法はありますし、我々みんな使えなくはないんですが……さっきの貴方ほど長時間に、高速で飛ぶのは簡単なことじゃないんです」


 静がちらり、と大空たちを振り返った。


「そうそう。君は空飛んで追いかけてきてって言ったけど、あれ結構な無茶振りだったからね?静くんはともかく、僕や社くんは得意じゃないっていうか。崖を飛び越えることはできたけどそんなに速くないし、飛び越えたところまでしか飛べないから。あれ、持続させるのすっごく難しいんだよ?」

「そうっす。正直あんな速度で飛べる人、静さん以外で初めて見たっすよ?」

「え、ええ、え?」


 大空が言い、さらに社も補足する。そこでようやく、ミノルは合点がいった。なんで、彼らが追いかけてくるのが遅かったのかわかったのだ。同時に、静たちがなんで走ってきたのかも。

 ミノルはこの巣のある場所まで高速ですっ飛んできたが、そもそもそれは他の者達にはできないことだったということなのだろう。恐らくみんなの物言いから察するに静だけは可能だったのだろうが、その静も大空と社を置いて一人でかっとばすわけにはいかない。結果、崖を飛び越えたところで全員で走ってきたというところだろうか。


「魔王ルカインは、空中戦も非常に得意な男だったと聞いてるわ」


 映が苦笑いをして言う。


「相棒のフレア氏と空を飛び回って、空中から敵を撃墜するというのもよくやってたみたい。だから、貴方が飛べるようになったのもなんらおかしなことじゃないわね」

「そうなのか。便利だよなこれ。まあ、狭いところだと飛べないだろうし……さっきはもうかーっとなって暴走してただけだから、ちゃんとコントロールする訓練しないといけないだろうけど」

「できるわよ、きっと。そのうち、二人で空飛んでるシーンとかも思い出せそうよね」


 そうかもしれない。何にせよ、人を助けるためにも重要な力になるのは間違いなさそうだ。

 ついでに、うっかり遅刻してしまった時も、空を飛んで距離をかっとばすこともできるかもしれない。――廊下で果たして飛ぶ余裕があるかは謎だが。


「というか、陛下。貴方、さっきから……」


 やがて、静が戸惑ったように声を上げた。


「ルカインの記憶を……自分の記憶として語っているように聞こえるんですが。少し前までは、夢の中で見たとか、怖い夢を見たとか、そういう言い方だったのに」

「ああ、まあ……」

「思い出したんですか?夢という形ではなく、自分自身の記憶として」


 これに関して、ミノルもはっきりは断言できない。でも、少なくとも紫の迷宮で幻覚を見た時、ミノルは確かにルカインになっていたし――さっきも、崖から落ちている時ルカインの記憶を自分のものとして後悔していた。

 そして今も。あれが、確かに自分のものであったことを、理解しつつあるような気がしている。


「多分、だけど。それに……思い出したの、ほんの一部だしな」


 ミノルは広場の方を見つめて言う。


「少なくとも、今ははっきり自覚してるよ。俺が……魔王ルカインだった、ってことは」


 崩れかけた洞窟の広場には、未だ凄惨な光景が広がっている。落ちている猿たちの死体、大量の血液、肉片、炭となった体。どれもこれも、紛れもなくミノルが一人でやったことなのだ。

 それだけの力が、自分にあった。あってしまったということ。

 その事実を己は受け入れて、ちゃんと制御していかなければいけない。己はあくまで守る者になりたいのであって、誰かを無差別に攻撃する破壊者なんぞは断じて望まない。守るための力で他人を無闇矢鱈と傷つけるようでは本末転倒なのだから。


「多分、空を飛ぶのと、炎魔法だけなら……ある程度使えるようになった、んだと思う。さっきみたいなパワーが恒常的に出せるとは思ってないけど」


 知らなかったはずの魔法の名前を、いくつも思い出していた。中には教科書に載っていたかどうかも怪しいものまである。不思議なことだ、少し前までは魔王の基礎知識さえちんぷんかんぷんだったのに。

 それらの単語は、記憶は、恐ろしいほどこの身に馴染んでいた。

 この力をどう使うかは、全てミノル自身の手に委ねられているのだ。


「今はまだそれだけだけど……記憶が全部戻れば多分、他の魔法もいろいろ使えるようになるんだろうな。それを、ちゃんと守ることのために使えるように……コントロールの訓練、するよ」

「……そうですね」


 静は頷き、少しだけ切なそうに眼を細めた。


「きっとできます。魔王ルカインは強大な力を持ちながらも、弱き者の味方をし続ける賢君だったと聞いています。力があっても、優しさを忘れないことはできるんです。……貴方は、映を守るために一人でも、全力で立ち向かおうとした。ならばきっとできます。一倉ミノルであるまま、魔王の力を制御して誰かを助け続けることが」

「……ありがとう、静」


 ルカインのことを語る時、静は時々無性に――言葉にできないような複雑な顔をする。今もそうだ。一体何がそんなに、彼を苦しませているのだろうか。

 こうして考えると、自分はまだ一番近くにいる静のことさえ、知らないことが山ほどあるんだなと気づく。

 もっともっと、知りたい。静のことも、皆のことも。知ることができたらきっと、救い出す方法だって見つけられるはずなのだから。


「これからアホと戦うにあたり、頼もしいんじゃないっすかね?うんうん、素晴らしいことだー!」


 社がわくわくした顔で言う。


「じゃあ、頑張るっす。次のエリアに行くっすよ!れっつごー!」

「なんであなたが仕切ってるんですか」

「気にしないの静くん。行きましょ」

「行こう行こう!」


 少し重くなった空気を振り払うように、社が声を上げる。実も笑って、皆と共に温泉の部屋へと歩を進めたのだった


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