わかっていた。
わかっていたのだ、これが一筋縄ではいかないゲームだということくらいは!いやしかし、だからといって!
「熱い熱い熱い熱い熱いいいいい!」
ミノルは絶叫し、走り回っていた。うっかり髪の毛に火がついたせいである。熱とともに、頭の上からぼうぼうと恐ろしい音がする。慌てたように大空が走ってきて魔法を唱えてくれた。
「〝Water〟!」
「あちち、あち、あち……うう、ありがとう。……頭ぐっちゃぐちゃになっちまったこんちくしょう」
「むしろ髪の毛グチャグチャで済んでるだけ幸運だと思うけど……」
そう、自分達が転移した次のエリアが、またとんでもないところだったのである。
『№44 焦熱地獄』。
このエリアに到着した途端ダメだとわかった。凄まじい熱風にあおられ、飛んできた噴石がぶち当たり、さらにはパチパチとはねまわる火の粉のせいで髪の毛に火がついたのだから。
どうやら火山の河口付近、のような場所らしい。
熱すぎて息が苦しいほどである。どう考えても、長居できるような場所ではない。
「自分たち、とっても運がないということがわかったっす」
さらには社が、引きつり笑いを浮かべてこんなことを言うのだ。
「『№44 焦熱地獄』は、簡単に言ってしまうと灼熱地獄のとんでもエリアっす。ゲーム上では、毎秒ダメージを受けてヒットポイントが減っていくっすね。短期決戦やらないとそのダメージだけで体力消耗して自動でゲームオーバーっす。難易度高すぎて、ドMなプレイしたい人しか選ばないようなエリアっすねえ……」
「ダメじゃん!」
「ついでに定期的に火山が噴火して、加工からマグマが噴き出すっす。その時地面に足ついてると、足場なくなるんでジ・エンドっす」
「ダメじゃん!」
「もちろん、マグマは超高温なので、触った時点で即死っすね……」
「ダメダメのダメじゃん!!」
ようするに。
とにかく超高速で、このエリアを脱出しなければいけないということである。
「きゃああああ!やだやだやだ、私の髪の毛まで火が!」
映が悲鳴を上げる。そういえば、さっき彼は物理防御の魔法をかけていたはずだ。噴石自体はそれである程度ガードできるはずだが、どうやら焔までは防ぎきることができなかったらしい。
「〝Blizzard〟」
やれやれ、とため息をつきながら静が氷属性魔法を唱えた。火を消すなら、水でも氷でも特に問題ないらしい。映はミノルと違って髪の毛の先端が焦げた程度で済んでいた。まあ、彼は髪が長いし、本格的に火がついたらもっと酷いことになっていただろう。
「気を付けてください。……とりあえず、全員〝Potect〟と〝Barrier〟をかけましょう。陛下、この二つは使えますか?」
「俺が使えるの、まだ炎属性魔法と空飛ぶ魔法だけです!ハイ!他はまだ全然駄目でっす!!」
「素直でよろしい。陛下には私がかけます。それ以外の皆さんは自力で頑張ってください」
自力で頑張れという言い方はしたものの、多分その防御魔法はそこまで難しいものではないのだろう。大空も、映も、社も自分で自分自身に魔法をかけている。
すぐにミノルも、静のおかげで周辺がうっすらとドーム状のオーラで覆われた。熱も少しマシになる。これなら、少しの間はもつだろう。
「何もしないよりマシになるはずですが、防御魔法は時間制限があるので油断してはいけません。そして、この魔法があっても長時間粘れる場所でないのは明らかです」
静はきっぱりと言った。
「まあ、マグマが噴出してきたらその時は、皆さんで仲良く心中しましょうね。マグマダイビングで死ぬとかもう苦しすぎて超最高な体験でしょうけど!」
「お前もテンションおかしくなってんなオイ」
「無理やりハイテンションにでもならなきゃやってられませんよこの状況。……社、このエリアから出るにはどうしたらいいですか?」
本当にこのゲーム、元ネタを知ってるか知らないかで難易度が違いすぎるのが恐ろしい。社がいなかったら、自分達は最初の『№512 紫の迷宮』で詰んでいた気がしてならないのだから。
「この『№44 焦熱地獄』は、いわゆるデッドゾーンに指定されてるとんでもないエリアっす。さっき気温が高すぎて熱中症になるのが避けられないし、マグマ噴出イベントが起きるまでに脱出しないといけないし」
ただ、と社が続ける。
「幸いにして、エリア自体がこの加工付近だけで固定されてるんで……出口もここのどこかにあるはずっす。具体的には、大きな丸い岩をどかすとその向こうに穴があって、穴から落ちると次のエリアに行けるはずっす」
「大きな穴っていったら……あれか」
なるほど、それっぽい大岩が不自然に一つ置かれている。あれをどかせば、そこから出られるということらしい。
この空間は狭い。四木乱汰はいないようだし、一刻も早く脱出するべきだろう。まあ、脱出した先もまたデッドゾーンかもしれないのがなんとも面倒くさいが。
「ちょ、これ重い!めっちゃ重い!全然動かないよ!」
ぐぬぬぬぬ、と大空が大岩を押す。しかし、岩はびくともする様子がなかった。ミノルも一緒に押してみるが、全然動かない。というか、岩はアツアツに熱せられているようで、ぐいぐい押す肩が熱くて辛かった。バリアをしていなかったら火傷をしていしまっていたかもしれない。
ここに怪力タイプの人間がいればどうにかなったかもしれないが、生憎全員がモヤシ系だ。なんでこういう時に限っていないんだよ五條泰輔、なんて愚痴ってもどうしようもない。
「どいて」
意外にも動いたのは、映だった。
「アッツイ岩だってなら……冷たい一撃が効くでしょ!〝Blizzard〟!」
それは、さっきも使われた氷属性の中級魔法。数本の鋭い氷の矢が岩に次々突き刺さっていく。
びしびしびし、と大きな音がした。アツアツに熱せられたものを急に冷やすと、その強度は非常に脆いものとなる。つまり、熱疲労が起きる、というわけだ。岩はどんどん罅割れていき、一気に砕け散ることになったのだった。
その向こうに、大きな暗い穴倉が見える。ここから脱出できるということだろう。
「お、おう……すげえ」
「……これでも魔法の成績はそこそこなの」
ふう、と映はため息をついて言った。
「それに、私もいろいろあってムカついてるっていうか、ストレスもためてるのよねー。ちょっと派手にブチかまさなきゃ気がすまないわ!あとでこいつを、四木のやつにもブチこんでやるんだから。できれば股間に!」
「そ、それは痛そう……」
ひょっとしてこの人、自分が思っているよりもずっと怖いお人なのだろうか。
ミノルは股間がきゅっと縮こまるのを感じて、冷や汗をかいたのだった。
***
「くそがっ……」
泰輔は息をのんで、窓の外を見た。
『№1723 牛と農村』。自分達がいるのは、牛を飼っている穏やかな農村という、実に平和で安全なエリアだったのである。実際、牛に傷をつけさえしなければ村の人々は逃げて来たよそ者である泰輔に優しかった。だから少し休憩もかねて、とある老夫婦の家に厄介になることになったのである。
暖かいスープを飲ませて貰って、ベッドを貸してもらってすぐのことだった。窓の外から、轟音と――家畜の鳴き声が聞こえてきたのは。
「あ、ありえないですよ、五條さん……」
駆が涙目になって、泰輔の服の袖を引っ張る。
「あいつ、正気じゃない……!」
平和なはずの村は――自分達が少し休んでいる間に、地獄絵図と化していた。
四木乱汰は、やはりというべきか自分達を追いかけてこのエリアに来たようだ。それはまあ仕方ないことだっただろう。問題は、この場所で穏便に聞き込みなんてことはしなかったということである。
そいつは、果てしなく狂っていた。
彼が歩いていた道の進路上。偶然、牛を連れて移動する若い男性がいたのである。恐らく、歩くのに邪魔だったとか、そういうことだろう。いきなり、乱汰は牛の腹を蹴り飛ばして内臓を破裂させ、呆然としていた牛飼いの男性の頭も丸太のような拳で破壊して殺してしまったのである。
それはあまりにも理不尽で、まったく意味がわからない暴力だった。いくらゲームのNCPとはいえ、特に何かをされたわけでもない相手をあんなにあっさりと、残酷に殺せてしまうものだろうか?
「うおおお、なんて、なんてことおおおおお!」
「タイキさん、タイキさん!なんて、酷い……!」
「あなたぁぁぁ!!」
「我らの神聖な神に、神に!」
「呪われてあれ!」
「呪われてあれええええ、下衆めがああああ!!」
「殺せ、殺せ、殺せ、殺せ!」
「うおああああああ、死ねやああ、ボケえええええ!!」
このエリアに関する情報は、既に陽介から聞いている。この村では、牛を傷つけた者には絶対に容赦しないと。恐らく彼らの言動からして、牛は自分達の命を繋いでくれるものであると同時に神様のような存在でもあるのだろう。
何もしなければ村の人々は穏やかで、外から来た人間にも優しい。
しかし牛を傷つけた無法者には、絶対容赦しない。ましてや今回は、村の男性も殺されているのだから尚更だ。村の人々は怒り狂って、それぞれが武器を持って乱汰に襲い掛かったのである。若い者も、老人も、女も、小さな子供でさえ激昂していた。それだけ、村の人々の豹変はすさまじいものだったのだ。
ところが。
「なんだよお。乱汰、ただ人を探してるだけなんだよお。お前らひどいぞ、乱汰をいじめるなんてひどいんだぞお……」
あの男に、真っ当な理性とか、常識なんてものはなかった。そもそも自分が何もしてない牛と男性を虐殺したのがいけないのだというのに、まるで自分がいじめられている被害者のようにおいおいと泣きまねをして見せたのである。そして。
「〝Darkness〟」
まずは魔法の力を振りかざした。闇魔法の刃でもってして、襲い掛かってくる村人たちを次々切り刻み始めたのである。否、村人たちも関係ない。逃げまどっている牛や犬といった動物も標的にしていた。
「うわあああ!?」
「痛い、痛いいいい!!」
「キャアアアアァァァァァ!!」
「な、なにこれ!?た、たすけっ……!?」
村人たちの体から次々血が噴出し、場合によっては腕や足まで千切れ飛んでいくのが見える。泰輔の首筋を、冷たい汗が伝った。自分だって、ヤンキーと呼ばれる人間である。他人に暴力をふるうこともあるし、魔法を使うこともあるつもりだ。
でも、自分が暴力を使う時は、相手が許せないことをした時とか、自分の面子を守る為だとか、一応の理由や信念はあるつもりなのである。ミノル相手も、勝負はしかけても暴力は奮わなかったのは、一応自分なりの筋を通したつもりだったのだ。
でも、あの男は――四木乱汰は、まったく違う。まったく己とは異なる人種だと思い知らされる。だってそうだろう。
「うるさい、黙れぇ。煩い口は、引き裂いてやるんだぞお」
「ぎいいいい!?」
痛みに泣き叫ぶ女性の顔面に、思い切り張り手をかます乱汰。自分達の角度からは見えなかったが、きっと彼女の顔はふた目と見られないものになってしまったことだろう。
そのまま、襲い掛かってきた老人をボールのように蹴り飛ばす。そして、お年寄りが血反吐を吐きながらすっ飛んでいくのを見て、「内臓が破裂したねえ」なんて言いながら笑っているのだ。
頭がおかしいとしか思えない。
彼にとって暴力は、道端の石を軽くどけるのと同じことなのだ。一切、理性や常識のストッパーなんてきかない。きかせる必要もない。力を行使することにまったくの迷いがないのだ。
果たしてそんな人間に、生きている資格があるなどと言えるだろうか。
「うう、くそ、くそお……!」
「陽介てめえ、絶対出るんじゃねえぞ。いいか、絶対、出るな……!!」
悔しいが、思ってしまった。自分では、あの男の狂気に勝てない、と。
そしてそのまま泰輔と駆と陽介は――小さな家の中、乱汰が立ち去るまでひたすら隠れ続けるしかなかったのである。