それは、どこの国の建築様式とも似つかない――奇妙な建造物だった。
玉ネギ型の屋根は、ロシアの正教会建築のそれによく似ている。しかし、その玉ネギはあちこちが歪んでいて、さらにあちこち黒いシミのようなまだら模様がついていた。
建物全体は白っぽい灰色のように見え、屋根以外に特筆すべきカラーはない。モノクロの写真を見ているような奇妙な違和感を覚える。入口の門は、左右に甲冑を来た騎士のような像があり、門の真ん中に向けて槍を突きつけていた。入って大丈夫なのだろうか、と不安になる。この手の彫刻や石像は、人が近づいた途端動き出すというのがあるあるなのだが。
窓はどれも縦長の長方形だが、中は真っ暗で何も見えない。あるいは、黒い暗幕でも貼られているのだろうか。
最も特筆するべきは、玉ネギ型の屋根を含めた壁面や門、窓の周辺に至るまで無数の棘が突き出ていることだった。罠として機能してはいない。どちらかというと、無理矢理物体を圧縮しようとして、その反動で何かが飛び出してしまったような強烈な印象を受ける。
いずれにせよ確かなことは――できることならあまり近づきたくない建築物だ、ということだろうか。むしろ、さっきからこの空間全体に漂う悪寒が凄まじい。ぶるり、とミノルは体を震わせた。おかしい、むしろ空気は生ぬるいくらいで、けして寒いわけではないというのに。
「あの神殿?みたいなものに四木のやつがいんの?」
「ええ、恐らくは」
映が渋い顔で言う。
「でもって、これも私の勘なんだけど。……このエリア、今まで来た中でも一番やばいところだったりしない?いえ、今まで通ってきたエリアもどれ一つまともなところはなかったんだけど」
「ご明察っす、映さん」
映の言葉に、青ざめた顔で社が言う。
「ダンジョンワールドって本当にいろんなエリアがあって、はっきり言って人気不人気のエリアはあるんすよね。危険度高すぎるエリアは、はっきり言って不人気っす。あるいは戦略が限定されるエリアも。……ここ、その両方を満たしてるんすよな」
「具体的には?」
「まず、この白い石畳の道を絶対外れないでくださいっす。……道の外に出ると、怪物が襲ってくるっす」
とんとん、と社は自分達が今立っている白い石畳の道を足で踏み鳴らした。
「ここは大きく分けて二つにエリア分けされてるっす。神殿の中か、外か、っすね。まず今自分らがいる外エリア。ここは、道を一歩でも外れると怪物が襲ってくるっす。端的に言うと、巨人っすね。そいつが一気に駆け寄ってきて、プレイヤーをぱしゃんこに踏みつぶしにきます。つまり即死っす」
「うっわ」
それを聞いてミノルが思い出したのは、某巨人と戦う漫画である。超巨大な巨人が人々の町を踏みつぶしながら進んでくるシーンは鳥肌モノだった。巨人は歩いてくるだけ、でもその進軍そのものが小さな小さな人類には脅威以外の何物でもない。
生きたまま巨大な足で踏みつぶされていく町、動物、人。漫画で見ても恐ろしかったのに、それを現実で体験させられるなんて笑い話にもなりゃしない。
同時に。
――ああ、戦略が限定されるって、そういう……。
巨人に踏まれたら即終了。つまり、このエリアに入ったプレイヤーは、神殿に入るまではこの細い石畳から一切外れることができないわけだ。プレイヤー同士で戦うにせよ探索するにせよあまりにも行動が限られる。戦略が限られてしまうから不人気、とはそういうことだろう。
しかし、恐らく理由はそれだけではあるまい。
社の様子からして、ここは焦熱地獄などのフィールドよりも危険な場所なのだと思われる。ただ道から外れたら巨人から踏みつぶされるというだけならば、ずっと道に立っていれば安全ということ。きっと、そんな生易しいものではあるまい。
「……この道にずっと立っていればいい、ってことはないですよね?」
同じことを思ったのだろう、静が口を開いた。「そうっすね」と社が頷く。
「とにかく、早く神殿に行かないとだめっす。というのも……」
彼が言いかけたその時だった。
ゴゴゴゴ、ゴゴゴゴゴゴゴ、ゴゴ、ゴゴゴゴゴゴゴ!
何か、地響きのようなものが聞こえてきたのである。社が後ろを振り返り、絶叫した。
「ももも、もう来たぁ!み、皆さん、走ってえええええ!」
何が、とミノルも後ろを見て気づいてしまう。
自分達が立っている場所より後ろにも、かなり遠くまで石畳の道が続いている。だがしかしその道が、現在進行形で罅割れて崩れていっているのだ。
それは即ち、安全地帯の喪失を意味する。
いやそれ以前にあの壊れっぷり、地面そのものが崩壊しているのかもしれない。石畳の道より外側は真っ黒で何も見えないので、どこが地面でどこが穴なのかも判別がつかないのだ。いずれにせよあの崩落に巻き込まれたら命はないと思った方がいいだろう。
「は、走れえええええ!」
「もうやだ、やっだあ!」
「今日はこう、急かされてばっかりな気がします!」
「ほんとにね!いくら私が陸上部でも、ちょっとは休ませてほしい気持ちでいっぱいよ!遠泳したばっかりなのに酷すぎるわ!!」
ミノル、大空、静、映と文句を言いまくりながらも走り始める。幸い、神殿までの道のりはそこまで遠くない。同時に道が崩落するスピードも思ったほど早いわけではなかった。落ち着いて走り続ければなんとか間に合いそうだ。
気になるのは、門の前に立っている二体の甲冑っぽい彫像だったが。
「社、あの門通って大丈夫なのか!?近づいたら槍でぶすっと刺して来たりしねえ!?」
ミノルが尋ねると、「大丈夫っす!」と社が答えた。
「あれが攻撃してくる条件は別にあるんで!真ん中通り過ぎるだけなら大丈夫!とにかく早く中へぇぇぇ!」
言いながら、社が真っ先にドドドドド!と凄まじい勢いでダッシュしていく。火事場の馬鹿力というやつだろうか。とにかく本人が率先して走っているし、今は信じる他ないだろう。
恐ろしいことに、神殿に近づけば近づくほど道の崩壊スピードは速まっていくようだった。最初は余裕だと思っていたのに、実際はまったくそんなことはなかったのである。甲冑の真ん中を走り抜け、門へと飛び込んだ次の瞬間、一際大きな音が響き渡った。
「う、うおあ……あっぶね」
見れば、門のすぐ外はもう完全に道が崩れ落ちてしまっている。これで、退路は断たれた、というわけだ。
「巨人って、まさか、アレ?」
「はい」
ミノルが指さした先。真っ暗な闇の中にぽつぽつぽつ、と大量の赤い点が浮かび上がっていた。良く見るとそれらは二つ一組になっているようだ。つまり、何かの目玉、というわけである。その数を見てぞっとした。あんな大量の巨人が押し寄せてきたら、大量虐殺チートスキルでも持っていない限り生き残れるはずがないではないか。
「ま、まるでナウシカの王蟲じゃん……まじこえええ」
「なうしか?おうむ?」
「……すまん、こっちの話」
聞き返してくる社に、ミノルは引きつった笑みを返した。どうやらこの世界には、ジブリもナウシカもないらしい。それを知ったところでどうしようもないことではあるが。
***
自分達が神殿の扉に近づくと、まるで待ち構えていたかのおうに扉は勝手に開いたのだった。その奥には、赤いカーペットが敷かれたエントランスと巨大な中央階段がうっすらと見えている。
「……ここから第二エリア……神殿の中に入るわけっす。あ、庭も一定時間いると地面崩れていくんで、やっぱり神殿の中に入る以外に選択肢はないわけっすけど……注意点がいくつかあります」
社は中を覗き込みながら言った。
「さっき言い忘れてました。まず、このエリアは名前を『№4444 奈落の神殿』って言うっす」
「名前からしてヤバげ……」
「そうっすねえ。で、神殿の中なんすけど……まず脅威となるのが、この中にいる怪物っす。怪物は、女神像の姿をしてるっす。こう、片手を挙げてて、頭に冠を被ってる石像っすね」
こう、と社は右手を挙げて、左手を腰に当ててポーズをとってみせる。
「この石像のサイズは4メートルくらい。ここは天井が高い部屋が多いんすけど、どの部屋にいても、天井の高さと関係なくこの女神像が上からランダムで降ってくるっす。で、潰された奴は即死か、そうでなくても重篤なダメージを負うっすね」
「うっげ」
またしてもぺしゃんこパターンか、とミノルは白目をむく。神殿の外では巨人に潰され、中では女神像に潰されるというわけか。
しかしその女神像、聞いた情報だけだとなんというかどこぞの自由の女神によく似ているような。気のせいだろうか。
「幸い、上に女神像が出現する前兆があるっす。乾いているはずのカーペットなどの床から濡れた感触がしたら、上から像が降ってくる合図。急いでその場から逃げるっす。一回降ってくると、次が降ってくるまでは十秒から十分までランダムに時間が空きます」
それから、と彼は話を続ける。
「もう一つ脅威となるのは……本。この神殿の中には、大量の本が貯蔵されてるっす。壁はほとんど本棚になってるんす」
「本が危ない?読むと死ぬとか?」
「そういう本もあるっす。ほとんどの本は読んだらなんらかの悪い影響があります。死ななくても毒を食らって呼吸困難になったり、嘔吐したり、幻覚を見たり、体が一定時間麻痺したり、一部の能力が制限されたり。表紙を見るだけなら影響はないんすけど、気を付けていないと無意識に本を手に取って開いてしまっている、ってことも少なくないんす。なんか、そういう魔法がかけられてるっぽくて。無意識に、中の本を読むように誘導されちゃうというか、なんというか」
「あ、悪質……」
「幸い、魔法防御でその影響はだいぶ軽減できるっぽいんすけどね。多分ここでもそれは同じかと」
なるほど、とミノルはげんなりした。
本を読むと、死ななくても体の自由がきかなくなることが多い。そして、その状態で女神像が降ってきたら――もう逃げようがない、というわけだ。これは、なかなか悪質なトラップ空間である。
そして、他にも何かあるのかもしれない。どっちにしろ。
「さっさと四木のやつを見つけてぶちのめすぞ」
目的は変わらない。奴もここにいるなら、同じ危険にさらされているはずなのだ。逃がす手など、どこにもない。そして。
――こんなクソッタレゲーム、さっさとおしまいにしてやる。
本能が告げている。
奴はこのゲームとは無関係に、野放しにしていい存在ではないのだと。