玄関ホールは、しん、と静まり返っている。
自分達が中に入ると、ぱあっと周囲が明るくなった。天井からは、じゃらじゃらと硝子の短冊をぶら下げたような形の巨大なシャンデリアが垂れさがっている。どうやら、これが自動点灯したらしい。古めかしい建物だというのに随分ハイテクだった。
「ここには人の気配はないな。……別の部屋か?」
ミノルが口にすると、そうっすねえ、と社も頷いた。
「あと二つ、このエリアは注意すべき点があるっす。一つ目は、本棚。本棚自体が突然倒れてくることがあるっす。女神像と比べると威力は低いっすけど、それでも当たり所が悪ければ死ぬし、足を挟まれたりしたら身動きがとれなくなるでしょうね」
「普通にそれもやべえな」
「それともう一つ……ある意味これが、このエリアが一番不人気の理由なんすけど。この場所って、入って来る入口はいくつかあるのに、出口が一つもないんすよねえ」
はああ、と彼は深々とため息をついた。
「だからこのエリアにまかり間違って入っちゃったプレイヤーは嫌でもこのエリアで決着をつけるしかなくって。別のエリアに逃げて立て直すこともできないし……それでいて危険度はお察しの通りだし。あ、ちなみにここ、突然電気が消えることもあるので注意。でもって、一時間以上いると嫌でも本を読まされて死にます」
「マジのデッドゾーンなのな!!」
袋小路で逃げられない上に危険がいっぱいでタイムリミットまであるなんて。
いずれにせよ、のんびりしている暇はない。
唯一の幸いは、ここに入ったであろう四木乱汰も逃げられない点だろうか。
どう転んでもここで決着がつくというわけだ。彼が死ぬか、映が死ぬか、あるいは二人とも同時に死ぬかのいずれかの形で。
――そういえば、魔女の
ミノルは首を傾げる。
自分と泰輔が最初にやったゲームは先に点を取った方が勝ちという特殊サッカーだったため、引き分けにはなりえないルールだった。しかし、次の大空との勝負は極めて低い確率で同時ゴールがありえたはずだ。そうなった場合、ゲームの勝敗はどう判定されるのか。引き分けなのだから、どっちの望みも叶わないってことで終わるのか、どうか。
もしこのエリアに一時間いても決着がつかなかった場合、乱汰も映も同時に死んで同時終了となる可能性が高いのだが――。
「なるべく広い空間にいたいところですね」
エントランスの様子を確認しながら、静が呟く。
「でないと、倒れてくる本棚や、落ちてくる女神像を避けられそうにありません」
「そうだね。でもって、四木乱汰もここにいて、多分その情報を知ってるだろうから……広い場所で待ち構えてる可能性が高いよ。……社くん」
大空が声をかけると、社は頷いて言った。
「この中央の大階段の左右に、ドアが二つありますよね?その奥はどっちも同じ空間に繋がってるっす。この神殿の中で一番広くて立派な、巨大図書館。本の数も多いので、そういう注意は必要ですけど……」
***
社が言った通りだった。その部屋に入った途端、ミノルは思わず感嘆の息を漏らすこととなる。
高い高い、吹き抜けになった天井。
神殿の外からはモノクロでしかなかったのに、室内にはきちんと色がついていた。円形の広いホールを、ぐるりと背の高い本棚が取り囲んでいる。天井は中央に巨大シャンデリアがあり、その周りをキラキラと輝くステンドグラスが囲っていた。ステンドグラスの窓に描かれているのは、恐らく天使の絵なのだろう。さながら、シャンデリアの周辺をぐるぐると飛び回っているように見えた。
「変なの」
思わず呟くミノル。
「外まっくらだったのに……ステンドグラスはめっちゃ明るいのな」
そう。まったく意味がわからないのは、ステンドグラスから差し込んでくる光が眩しいほどであるということ。まるで、外が真昼間の空間であるかのようだ。
だが実際、自分達は外が漆黒の闇であり、浮き上がるように存在する石畳の道を駆け抜けてきたのを理解している。外と中で、明らかに光の加減も見える景色も違う。これは空間が歪んでいる、とうことなのだろうか。
「美女と野獣に出てくる図書室っぽいかんじ……んん?」
その時、どす、どす、というやや重たい足音を拾う。ミノルは眉をひそめた。この図書館は、本棚の周りがぐるぐると螺旋階段が走っているような特殊な構造となっている。その階段を上っていけば、上の方にある本が手に取れる、ということなのだろう――まあ、できれば触りたくなかったが。
そう、足音はその階段から聞こえてくるのだ、やや重たく、のんびりした足音の正体は――。
「ああ、やっと……やっと来てくれた、映ちゃん。ぐふふふ」
「!」
映の顔が、露骨に引きつった。今自分達がいる最下層を一階とするのならば、おおよそ四階くらいに該当しそうな高さ。そのあたりの螺旋階段を、ゆっくり降りてくる人物がいたのである。
想像したよりも、体が大きい。あの五條泰輔を超える身長――多分2メートルほどはあるだろう。制服に包まれたでっぷり太って突き出した腹、丸太のように太い手足。丸刈りにニコニコした糸目、分厚い唇。
間違いない。特徴が合致している。この距離では名札の文字までは見えないが、それでも。
「お前が、四木乱汰か……!」
ミノルが叫ぶと、少年はにやりと笑った。
「せぇかーい!ええ、あんた誰ぇ?映ちゃんから、乱汰の話を聞いたのかなあ?」
「え、えいちゃん……」
ちゃん付けで人のこと読んでんのかい、と思わずドン引きする。というか、バリトンボイスと子供じみた舌たらずな口調があまりにもちぐはぐな印象だった。まるで、小さな子供が体だけ大きくなってしまったかのような。
「そうだよお、おれが、四木乱汰。乱汰は、世界一すごい男なんだぞう」
彼――四木乱汰はにやにや笑いながら、手摺にもたれかかってこちらを覗き込んできた。
「ううん、ちょっと失敗したかもって思っていたところなんですよう。学園のうざい奴らにちょっと思い知らせてやりたくてえ、大規模なゲームにしたけどお。その結果、映ちゃんともう一度会えるまでにどうしても時間かかっちゃってえ。なかなか見つからなくて焦ったんですからあ……」
「……人をちゃん付けで呼ぶんじゃないわよ。あんた年下でしょうが」
ギロリ、と映が乱汰を睨みつける。
「お望み通り、ずっとあんたを探してたわ。……これは、間違いなく私の罪。もっと早く……礼儀のなってないガキんちょにもわかるようにあんたを拒絶しておけばよかった。でもって、こうなる前に……私があんたを殺しておけばよかったんだわ。そうすれば、みんなを巻き込むことも、関係ない人が犠牲になることもなかったんだから……!」
きっと、映はずっと責任を感じて来たのだろう。ストーカーは、ストーカーする人間が悪いのであって、された被害者が悪いなんてことは絶対にない。女が被害者だろうが男が被害者だろうが関係ないのだ。映は乱汰に対してちゃんと断ったはずなのに、乱汰がそれを聞き入れなかった。そして凶行に及んだ。それがどうして映のせい、なんてことになるのだろう?
――って、俺たちが言っても、きっと無意味なんだろうなあ。
きっと彼は、ものすごく真面目で責任感の強い人間なのだ。
もし他に解決方法があったとしても――自分の手で、乱汰に落とし前をつけることを選んでいたに違いない。
「そんなところにいないで、降りてきたらどうなのよ、この腰抜け。……私と殺し合いがしたいんでしょ。望むところだわ」
「うんうん、どっちかが死ななきゃこのゲームは追わないですからねえ。でもって、殺しても問題なぁい。死んでも生き返って、約束を守ってもらうことができるってルールだしい」
でもねえ、と乱汰は口角を吊り上げる。
「その前に……乱汰と映ちゃんの仲を邪魔する悪いやつらをみんな……やっつけないと!!」
「!?」
次の瞬間、乱汰がその太い腕を振りかぶった。まずい、と思った途端、階段の上から降ってきたのは分厚くてかたい、辞書のような本数冊だ。
「どわっ!」
ミノルは慌てて横っ飛びにその本を避ける。みんなも知っての通り、辞書の重さと硬さは洒落にならないものだ。ミステリーでは、普通に凶器として使われたりもする。そんなものを四階相当の高さから落とされたらどうなるか、なんて言うまでもない。頭に当たったら一発で致命傷になりうるではないか。
「あわわ、わわわ!」
しゃがみこむ社の周囲にばさばさと本が落ちる。即座に、大空が片手を掲げた。
「この卑怯者!くらっとけ、〝Screw〟!」
出現したのは、鋭く渦を巻くような水流だ。それが落ちて来た本を弾き飛ばし、さらに手摺にぶち当たっては破壊していく。なんて勢いだろう。
「うっひゃあああ!水魔法と風魔法の複合魔法とか、いいの使う奴がいるう!」
しゃがみこんで避けながら言う乱汰は、実に楽しそうだ。思ったよりも反射神経がいい。鈍重に見えるが、意外とスピードもあるタイプかもしれない。
しかも。
「でもお、お前ら乱汰にだけ気を取られていていいのかあ?」
よく状況を観察している。階段を駆けよりながら言う彼の言葉に、ミノルはどういう意味かと後ろに下がって気づいた。
カーペットから、ぐしゃり、と濡れた音。これはもしや。
「陛下!」
「ああもう、嘘だろお!?」
ぎょっとして上を見上げれば、まさに天井の高い位置に出現している女神像の姿が。
「くそったれえええええ!」
間一髪前に転がった瞬間、ドスン!と落下してくる石像が。振り返ってみれば、本当に自由の女神そっくりの姿をしているではないか。自由もかけらもない殺戮マニアの石像のくせに、一体どんな皮肉だよと言いたい。
「〝Protect〟!〝Barrier〟!」
「恩に着る、静!」
静が物理防御魔法と魔法防御魔法を一緒にかけてくれる。これで、多少はダメージを軽減できるはずだ。
「ははははは、踊れ、踊れえ!でもって、みんな死んじゃええ、乱汰と映ちゃん以外は死んじゃえばいいいい!ひひひ、うひひひひ、うひひひひひ!!」
乱汰は駆け下りながらゲラゲラと笑っている。やはり、このゲームの仕掛け人だけあってエリア特性は理解しているということなのだろう。
――こんにゃろお……!
腹が立ってしょうがない。こんな奴のせいで、みんながどんな大変な思いをさせられたと思っているのか。しかも、確定で死人が出ているのだ。
――ぶっ飛ばしてやる、絶対!
ミノルは改めて誓って、拳を握りしめたのだった。