「あんただけは絶対……この私が、消す!」
「うひひひひ、やってみろよ、映ちゃあん!いひひひっ!」
乱汰は醜悪に笑い続けている。映は自分自身に防御魔法をかけると、意を決して螺旋階段を駆け上がり始めた。とにかく距離を詰めなければ、こちらの攻撃が当たらない。
無論、魔法攻撃は射程範囲も広いのだが――それはそれとして、遠くなればなるほど命中率が下がるのは銃と同じだ。とにかく近づいて、命中精度を上げなければいけない。
螺旋階段を上がるということは、本棚の前を通るということ。本棚に手をついた拍子、勝手に手が本を取り出そうとしていて慌てて文庫本を振り落としていた。思った以上に、ここは精神汚染が厳しい。一刻も早く、決着をつけなければ。
「映、無理すんなっ!」
下からミノルの声が聞こえたが、無視をした。そもそもこれは、自分の問題なのだ。自分が乱汰をきちんと殺さなかったせいでたくさんの人を巻き込んだ。ならば決着は、自分の手でつけなければいけない。たとえその結果、命を落とすことになったとしてもだ。
――何より……あなたを傷つけたくないわ、ミノルくん。
きっと、ミノルはそんなつもりがあって自分を助けたわけではないのだろう。きっと囚われていたのが静でも大空でも社でも、なんなら見知らぬ生徒だったとしてもそうしたのだろうという確信を持っている。
それでもいいのだ。静は黒猿たちに囲まれて乱暴されそうになったあの瞬間――助けてくれた彼に、光を見たのだから。
『う、うそ……ミノル、くん?』
自分にはあの時。深紅の翼を携えて飛び込んできた少年が――本物の天使に見えたのである。
ああ、最初に出会った時はそうではなかった。陸上部の見学に来た時は純粋に、彼のことは前世の魔王としか見ていなかったのである。継承権を得るためにできれば懐柔しておきたいし、それはそれとして陸上部に入ってくれたら嬉しいという下心しかなかったわけで。ミノル自身に、特別惹かれたわけではなかった。ちょっと可愛い顔をしているなとは思ったが、それだけだ。
でも、あれは。
助けに来てくれた瞬間の彼は――違っていた。自分でも瞬時に理解してしまったのだ。生まれて初めて、本気で自分を助けてくれようとした人が来た、と。
一瞬にして、恋に落ちてしまった、と。
――変ね。私別に……そういう趣味があったわけじゃない。本当に女になりたいなんて思ったわけじゃない。こんなの全部……母さんへのアテツケってだけだったのに、な。
それと同時に。自らがやった猿たちへの虐殺行為を見て、恐れ慄いている少年を見て。
相手はゲームによって作り出された架空の生物でしかなく、敵対的モンスターだったとわかっていながら傷ついた彼を見て。
『俺が、やった。……やっちまったよ』
思ったのだ。
これ以上、彼の手を汚させるような真似などしてはいけない、と。彼は確かに魔王だ。あの時それは事実だったのだと確信した。それだけのポテンシャルを秘めているし、恐らくもっともっと強くなる余地があるのだろう。それでもだ。
――前世の貴方は魔王でも……現世でまで、魔王になる必要はないのよ。
彼はあくまで、次の世代に魔王を引き継げばそれでいい存在。ならば、死ぬまで〝一倉ミノル〟として、綺麗な手のまま生きていたっていいではないか。手を汚すのは継承者と、その部下になるであろう自分達だけでいいではないか。
虐殺者となるべくは、彼ではない。自分達はこれ以上、彼に重荷を背負わせてはならない。
「おおおおお!」
映が自ら乱汰を殺そうとしているのは、単なる責任の取り方というだけではなかった。自分がやらなければ、きっとミノルが頑張ってしまう。彼に人を殺させなくてもいい。一度生き返るからといって、手を汚した感覚は沁みついたらきっと消えないもの。そんな想いなんぞ、させる必要はないのだ。
殺戮者は、自分達で、いい。
「へへへ、嬉しいですう、乱汰のことそんなに好きになってくれるだなんてえ。追いかけてきてくれたなんてえ」
階段を駆け上がり、ついに映は乱汰と対峙する。向こうも降りてきていたので、大体二階と三階の間くらいの高さだ。
「好きなはずないでしょ。あんたなんか、最初に出会った時から大嫌いだったわ」
映はギロリと男を睨みつけ、吐き捨てる。
「この世の中には、生きているべきじゃない存在がいる。魔族の未来の為にも、人間の未来の為にも、あってはならないモノがあると知るべきだった。ええ、私は甘かったわ。全然わかっていなかった。あんたはもっとずっと前に殺しておくべきだった。……感謝しなさい、私が今ここで、あんたを地獄に叩き落としてあげる!!」
両手を上げ、打ち下ろす。
「〝Ice-Bullet〟!」
それは、氷属性魔法の派生技である。手を銃に見立て、氷属性魔法の弾をショットガンのようにばら撒く技だ。一発一発の威力は初級魔法なのでさほど高くはないが、その代わり広範囲に弾が飛び散るので回避されにくいのが特徴である。
映が最も得意とするのは、氷属性。氷属性魔法は他の魔法と比べて一直線に飛び、速射性が高いのが特徴である。この派生技は、それを生かした魔法だと言えた。
「あぶっ、あべっ!?いだだ、いでえ!」
そのうちの一発が乱汰の頬を、二発が右肩と脇腹をかすめた。氷の魔法は、文字通り相手の体を凍らせて凍傷を引き起こす。そして、うまく当てれば氷漬けにして相手の動きを止めることも可能だ。
ちっ、と映は舌打ちをする。できれば足に当てて、動きを封じたかったところだったが。
「いでええなあ、映ちゃあん!どうしてそんな、痛いことするんですかぁぁ!乱汰と映ちゃんはぁ、愛し合ってるはずなのにいいいい!」
「キモいのよその妄想!」
「妄想じゃ、なぁぁぁぁい!」
ドスドスと足を踏み鳴らしながらこちらに駆け下りてくる男。映は踵を返して、元来た道を戻り始める。体格差は歴然。この男との接近戦で勝ち目などあろうはずがない。ましてや、今自分には魔法はあっても武器の類はないのだ。
――何か、武器になるようなものはないの……!?
見つかるのは本ばかり。時々本を投げつけて反撃を試みるものの、まるでイノシシのように突進してくる男にはろくなダメージを与えられない。
――とにかく、このまま引き付けて、一番下まで誘導する!この狭い階段で戦うよりずっと広い戦略が取れるはず……!!
問題は、己の体力だった。
さっき荒波の中を遠泳してきたばかりなのだ。このエリアに飛んできてから濡れた服は全て乾いていたものの(多分、そういう仕様だったのだろう)、体力は消耗したままだった。その上で、石畳の上を全力疾走してきたのである。他の者達もはっきり言わなかったが、全員疲れきっていたはずだ。
その上で螺旋階段を駆け上がったのである。思った以上に体力に限界が来ていた。
――な、情けない、わね……!陸上選手でしょ、しっかりしなさいよ、私!
足がもつれた、次の瞬間だった。
「そんなに降りたいならあ……降ろしてあげますよお、〝Shadiness〟!」
「うそ!?」
――走って……止まってすぐ、魔法が撃てるの!?
振り向いた映が見たものは、自分の眼前に迫る黒い十字の衝撃派だった。闇属性中級魔法の〝Shadiness〟だ。中級魔法を走っていた人間が、少し止まってすぐに放つというのはなかなかの高等技術。魔力も必要だし、ボディバランスも要求されるはずだ。
「う、っぐ……!」
幸い、映は魔法防御魔法の〝Barrier〟を自らにかけていた。それによりダメージは著しく軽減される。ただ、両腕をクロスして防御したにもかかわらず――威力が大きすぎて、もろにうしろに吹っ飛ばされることとなってしまった。足の踏ん張りがきかなかったのだ。
そして真後ろは――下り階段だ。
――お、落ちる……!
二階程度の高さ。しかし、階段を滑り落ちた場合は、その程度の高さでも充分死ぬ危険性がある。物理防御魔法はかけているが、それだけで対処できるかどうか――そう思った時だった。
「え、映さぁぁぁん!」
「え!?」
映の体を、何かが受け止めた。同時に、その何かを下敷きにして階段下に落下することとなる。
その何か、は聞き覚えのある声で呻いていた。振り向いた映はぎょっとする。
「や、社くん!?あ、ありがと……って大丈夫!?」
「ぼ、防御、かけてなのでナントカ……目が回り、まふ……」
目玉をぐるぐる回していたのは、社少年だった。なんと映より小さな体格の彼が、義理ぎりぎりのところで映を受け止めて衝撃を緩和してくれたのである。
残念ながら頭を打ったせいで、完全に目を回してしまったようだが。
「一人で突っ走るなよ、映!こういう時は協力プレイしてナンボだろ!」
そう言いながら、ミノルが乱汰の後ろに回った。再びその背中には赤い翼が生えている。二度見ているが、あの翼はかなり機動力があるようだった。あっという間に飛んで、乱汰の背後を取ったのだろう。
「〝Lava〟!」
「うごおおおおお!?」
まさに本棚がぐらぐらと動いて倒れようとしていることに気付いていたのだろう。倒れた本棚にミノルの魔法が火をつけ、それがもろに乱汰の背中に激突する。じゅううう、と乱汰の体を焼き焦がす音と、悲鳴が重なった。
「あづ、あづづづ、あづううう!」
その衝撃で足を踏み外した乱汰が、火傷を負いながらごろごろと階段を滑り落ちていく。すんでのところで映は社を引っ張って位置をずらしていた。乱汰は見事に、螺旋階段の終点の壁に激突することとなった。
「お、お前らあああ!ら、乱汰と、映ちゃんのランデブーを邪魔し……ふげぶっ!?」
「うんうん、暴走するやつちょっと迷惑だからねえ!あとランデブーとかちょっと古いよお!」
そんな乱汰に、もろに水が浴びせられることとなった。大空が水の初級魔法を彼にぶつけたのだ。
それは、火傷の傷に大層染みたらしい。思いのほか大きな声を上げて、びしょ濡れの床で暴れる乱汰である。じたばたと転がっている様が、なんとも滑稽だった。
「……水で濡れてたら、いい感じに凍るわよね」
これは、いいチャンスだろう。映はにやりと笑って、男に向かって手を突き出した。
「凍傷で苦しみなさいな!〝Blizzard〟!」
「ぎゃああああ!?」
バキバキバキバキ、と音を立てて、乱汰の下半身が凍り付いた。そのまま凍傷になって壊死してしまえばいいと心の底から思う。欲望の根源が使い物にならなくなれば、少しは己の行いを見直す気にもなるだろう。まあ、この男にそんな殊勝な心があればの話だが。
「おお、いい感じに皆さん、容赦なくて素敵ですねえ」
最後にニコニコしながら、静がしれっと乱汰の手元に本を投げていた。そう丁度、乱汰の右手があるあたりに、だ。
あれは確実にこの空間の本である。ということは、なんらかの悪い影響を与えるものだろう。
「ま、ギリギリまで苦しんで死んでいただきましょう。……それだけのことをしたんですから」
「……貴方もなかなかゲスいわね」
「いえいえ、それほどでも」
いやはや、この人達が敵でなくて本当に良かった。だいぶ頭が冷えてきたところで、映は心底そう思ったのだった。