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<55・呪われし子供の物語>

――なんでだぁぁ!?


 四木乱汰は、納得できなかった。

 足首が、膝が、股間が、下腹部が凍る。せっかく元気になっていたムスコが冷えて痛いほどだ。ああ、どうしてだ。せっかく、大好きな大好きな映を切り刻んで、ぐちゃぐちゃにして、滅茶苦茶にして、鼻血と涙まみれになった顔を殴りながらいっぱいっぱい愛してやろうと思っていたのに!

 火傷をした背中が痛い。打ち付けた頭が痛い。ずり落ちた尻が痛い。無理やり冷やされた股間が痛い。左手も凍らされて動かないし、右手は痛みでがくがくと震えて言うことを聞かない。本当に、なんでこんなことになっている?自分は正しいはずなのに、なんでこいつらは自分を虐めるのだろう?

 いつだって己は間違ったことなんかしていない。子供の頃からずっとそうだ。自分は誰より強くてえらくてかっこよかった。親はそんな自分を可愛い可愛い世界一大切だと愛してくれた、だから自分はそれが間違っていないのだと、自分こそが何もかも一番で最高で最強で素晴らしい存在なのだと信じて来たというのに!

 もし己が間違っているのだとすればそれは両親のせいだが、それはきっとありえないことだ。そのはずだ。

 とにかく乱汰は、みんなが望むまま思うように生きてきた。小学校になって急速に体が大きくなってくると、ムカつくやつはとりあえず殴ればいいと考えるようになったのだ。


『ひいい、いい、や、やめて』


 乱汰に殴られると、ムカつくクラスメートはすぐに鼻血を出した。ちょっと殴っただけでみっともなく大泣きして、ぐすぐすと泣きながら涎と鼻水を垂らすのだ。助けて、許してほしい。そう言われたらいつも己の答えは一つだ。


『だあめえ……許さなぁい。だって、乱汰はまだムカついてるんだからさああ』

『な、ややや、やめて、もうなぐらないでえ……』

『んんん、どうしようかなぁぁ……』


 殴るのは楽しいが、手が痛くなるのが難点だ。だから乱汰は、ある程度殴って相手が命乞いをしてくると、別の妥協案を出すようにしたのだった。そうすれば、自分が殴った時よりも楽しい結果になると知っていたから。


『じゃあお前、これを全部喰えやあ』


 そう言って差し出したのは、小学校の砂場の砂――がいっぱいに詰まった、掃除用のバケツ。当然、綺麗であるはずがない。錆びだらけ、汚水がこびりついたそれをトイレから勝手に持ち出して、砂をいっぱい詰めたのだ。


『これを吐かずに全部食べたら許してやるよお。優しいだろお?お前のために、美味しい御飯を作ってやったんだよお』

『す、砂!?む、むり、こんなに……』

『じゃあ、お前もっと殴るかぁ。そうだなあ、今度は歯を全部折ってえ、目ん玉に乱汰の指が何本入るか試してやるかあ……』

『や、やだやだやだやだ!そ、そんなことしたら、目、見えなくなっちゃううう!』

『じゃあ、喰えや。喰え、喰え、喰え、喰え。……そうかやらねえか。なら』

『やる!やる!食べるから、食べるからぁぁぁ!!』


 結果。その生徒は泣きながら大量の砂を食べた。そしてすぐに嘔吐して、吐いた分もまた食べさせられた。最終的に、胃いっぱいに砂を詰め込まれたそいつは顔が青紫色になって、泡を吹いて倒れて――乱汰はそれで満足して、そいつを放置して家に帰ったのだった。

 校舎裏の、誰も来ない場所で行われた〝調教〟だった。だから、そいつは倒れたまますぐに発見されることはなかった。

 どうやらそいつはそのまま、よくわからない食中毒か何かで死んだらしい。殴られた後があったのでちょっとした警察沙汰になったし、乱汰も疑われたが、小学生だった上目撃者もいなかったので特にお咎めはなかったのである。

 子供はいい。いくら暴れても、法律で裁かれることもない。乱汰の正しい行動が、馬鹿な連中に咎められるようなこともないのだ。その事件の真相を知るのは乱汰だけだった。小学生の時はまだ暴力をふるうことが少なかったのもあって、乱汰がやったと確証を持てる人間は誰もいなかったのである。

 自分が何をやっても、誰かに叱られることはない。

 それが乱汰に確信させた。自分は親の言う通り、何を言ってもやっても許される特別な存在なのだと。


――うちはお金持ちだ。欲しいものはなんでも買って貰えた。望みはなんでも叶えられた。ストレス溜めてガマンするなんて馬鹿げてる。そういうのは全部全部吐き出して、楽に生きればそれでいい!


 小学校を卒業する、まさにその直前だった。乱汰に二次性徴の時が来たのは。

 性欲は、暴力に直結した。エロいことをすればキモチよくなる。殴ればキモチヨクなる。それが世界で一番楽しいこと。ならば、周りの奴らは自分の楽しいことに付き合っていきるべきだ。だって自分は、この世界で選ばれた特別な人間なのだから。

 それでも、相撲部にスカウトされて、相撲に打ち込んでいた時の乱汰はまだ少し控えめだったのである。稽古をし、合法的に他人をぶっ飛ばせばある程度ストレスが発散できたからだ。同時に、力士としての才能がある、お前は部のエースだ、期待していると監督から言われて周りに褒められるのは悪くない気分だった。自分は正しく世界に認められている、そういう実感を得ることができたからだ。

 その相撲部で、マネージャーだった少女の名前が――二つ上の三年生、芝崎ほのかだった。

 長いピンクの髪が愛らしい、とてもお洒落な少女だったのをよく覚えている。そう、あの那由多映と恐ろしく似ていたのだ。明朗快活で、気が利いて、部員たちの相談役にもなっていた。彼女と話すと、部員たちがみんな笑顔になる。きっと部員たちの中には本気でほのかに恋をしていた少年たちもいただろう。――乱汰は、それがどうしても許せなかったのだ。


――なんで?相撲部のアイドルは、乱汰のものだろお?だって、乱汰が一番相撲が上手くて、強くて、世界最高の選ばれた人間んだんだからあ。乱汰が選ばれるのは当然、ほのかちゃんだって乱汰のことが好きなはずだあ。


 だから、告白した。

 いや、告白というより、命令したのだ。自分だけの女になれと。お前もそれが望みなんだろうと。

 すると、よりにもよってほのかは。


『……前々から気になってたんだけど。四木くんは、もうちょっと周りのことをよく見た方がいいよ。才能があるのはわかるけど、人に怪我させてもいいってプレイは、どうかと思う』


 彼女は少し怯えた目をして、それでもはっきりと告げたのだ。


『そして、わたしはわたしなの。誰かの所有物になんか、絶対ならないの。……少なくとも、わたしは今好きな人なんていないし、あなたのことをそう言う風にみることはできない。女の子を自分の持ち物みたいに言う人を、好きになる女の子なんかいない。……悪いけど、諦めて』


 こいつは、何を言っているのだろうと思った。彼女も自分の事が好きなはずだ。だって、そうでなければ他の奴と違う笑顔を向けて来たりしない。あんなにも目が合うはずがない。あんなにも優しい声を出すはずがない。ドリンクを手渡す時に手が触れ合ったこともたくさんあったし、挨拶をしてもらった数だって他の部員たちよりずっと多かったはずだ。

 それが全部嘘だったというのか?

 全部、思わせぶりな態度で騙していたというか?

 いや、そんなはずがない。彼女は恥ずかしくて、自分に好きだと言えないだけだ。だから今日だけ、妙に冷たい態度を取っているだけなのだ。そうに決まっている。ああ、それ以外にありえない。

 自分を愛さない女なんて、この世に存在していいはずがない!


『嘘をつくなよお』


 その時、稽古場に他には誰もいなかった。だから。


『お前は本当は乱汰が好きなんだぁ。好きなのに素直になれないだけなんだぁ。乱汰は知ってるぞ?本当はエロいことに興味あるんだよなあ?乱汰にいっぱいいっぱいいっぱいいっぱい、愛してほしいけど正直に言えないんだろお?だって清純派で売ってるもんなあ、本当の自分を知られるのが恥ずかしいんだよなあ?』

『な、なに言って』


 女の腕を力任せに掴んで捻り上げる。女は悲鳴を上げて逃げようとしたが、乱汰には通用しなかった。当たり前だ、力の差がありすぎる。女は華奢だったし、乱汰は相撲部のエースと呼ばれるほどの巨漢だ。誰も勝てるはずがない。

 そんないじらしい抵抗なんて無意味だとわかっているのにするのは、やっぱり乱汰が好きで、虐めてほしいからに決まっている!


『乱汰はぜんぶわかってるぞお?全部全部わかってるう。だから、いっぱいいっぱいっぱい楽しい思いをさせてやる。そうすれば全部思い知るはずだあ!』

『や、やめて、離して!』

『暴れても意味ないのに、可愛いなぁぁ……!』


 女を土俵の中へ引きずり倒し、ジャージのズボンをずり下げてやった。下着姿になっただけで彼女はこの世の終わりであるかのように泣き叫んで、その声がますます乱汰を興奮させる。

 そう、あと少し、もう少しで最高の時間が訪れたはずだったのに!


『四木ぃぃ!何してんだてめえええ!!』


 ああ、あの時部長が忘れ物を取りに戻ってこなかったら、最後まで彼女を自分のものにできたのに!

 結局自分は稽古場から叩きだされ、翌日みんなの前で退部を言い渡された。そして乱汰はその場で我慢ならずに大暴れして、部員たちの多くに怪我をさせたのである。

 逮捕はされなかった。乱汰はまだ十三歳で、逮捕されるような年齢ではなかったからだ。ただ、学校は転校する羽目になったし、両親にも叱られて最悪の想いをする羽目にはなったけれど。


――くそくそくそくそ。あの女が抵抗しやがったせいで!乱汰を認めなかった連中のせいでえええ!


 どうして、自分は否定されるのだろう。正しいはずなのに、どいつもこいつも邪魔をするのだろう。

 映を見つけて、やっと自分が報われる時が来たと思ったのに。こんなに頑張って自分のものになれば幸せになれるとアピールしたのに、こんな面倒くさいゲームも頑張ったのに、なんでどいつもこいつも自分を認めないのか。どうして映は、自分を心から愛しているはずの映は己に魔法を叩きつけるばかりで、自分の体に触れることも優しい言葉をかけることもしないのか。

 わからない、わけがわからない!


「お、お、おおお……乱汰は、正、しぃ……!」


 ぐるぐると回る頭で、気づけば右手が何かを掴んでいた。無意識にその分厚くて四角い物体を開いている。あれ、と思って目をやれば――それは、本だ。

 何かの、本。この空間の、本。


「し、しまっ……!」


 理解した時にはもう遅い。

 本の文字列を目で追ってしまった瞬間、乱汰の視界はぐにゃりと歪んだのだった。



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