目覚めたオレの目の前にあったのは、巨大な木だった。

　木。樹木だ。

　森の只中に突っ立つ巨大な樹木。

　ただし、結構な樹齢なようで、幹の直径なんか、ゆうに五メートルはある。

　その木が、まるで動物のように動いている。蠢うごめいている。

　小さな赤い花がたくさんついた触手のような蔦つたを、何十本もワサワサと伸ばしてこちらを捕まえようとしているが、それを何とか三人で押し留めていたらしい。

　ポタっ、ポタっ。

　水音に気づいて反射的に上を見ると、腰骨こしぼねが曲がるが如ごとく幹みきがグっと曲がって、天辺てっぺんに生えた一輪の真っ赤な巨大花が、三十メートルの高さからオレを見下ろしていた。

　いや、花だから目なんてないんだが、なぜか視線を感じる。コイツはオレをしっかり見ている。

　そして、滴したたる水滴。

　花弁の付け根にギッシリと生えたギザギザの牙の辺りから、ねっとりとした水が蜜のごとく湧き出している。

　いやいや、これ絶対よだれだろ？　捕まったら食われるパターンだろう？

　ビュっ。ジュワァァァ……。

　こんなデカブツをどうやって倒したものかと、色々考えながら頭上の巨大花を見ていたオレに向かって、触手から生えた赤い花が一斉に何かの液体を吐いた。

　反射的に避けたオレの目の前で、そこらに落ちた液体が白い泡を立てて地面を溶かす。

　オレは目を丸くした。

「何じゃこらぁぁぁぁあああ！？」

「センセ、赤い花の出す液体触っちゃダメだからね！　溶かされちゃうよ！！」

「溶け……って、溶解液か！？　もっと早く言ってくれぇ！！」

　オレは剣を構えると三人娘に向かって叫んだ。

「よし。三人とも下がれ！　一気に片をつける！！」

　剣に意識を集中させる。

　そんなオレの様子を見て、木の化け物はターゲットを完全にオレ一人に定めたのか、何十本とある触手のような蔦を一斉にオレに向かって伸ばした。

　早い。だが、遅ぇ！！

「強欲帝アヴァリウスよ、オレに力を貸せぇぇぇぇ！！」

　柄の中にしまわれたアヴァリウスの魔核デモンズコアが光り輝く。

「必殺！　無限の影槍ぉぉ！！」

　オレは叫ぶと同時に、目の前の空間を滅多やたらに斬りつけた。

　途端に、剣から影の槍が凄まじいスピードで何本となく飛び出した。

　影の槍は、なんとオレの念でコントロールできる優れものだ。

　弧を描きつつ飛んだ槍は、オレの思惑通り、死角も含めて巨大樹の表皮に規則正しい間隔で何本も突き立った。

　その様さまはまるで、巨大樹を中柱なかばしらとし、影槍を足場とした螺旋階段らせんかいだんのようだ。

　すかさず韋駄天足いだてんそくを発動したオレは、触手蔦を躱かわしつつ走って巨大樹に取りつくと、影槍を足場として駆け上がった。

　まぁ、考えてもみてくれよ。

　韋駄天足はあくまで走りの能力であってジャンプの能力じゃない。

　助走には使えるから、走り幅跳びでならアルマイト島地下でやったようにとんでもない距離を飛べるが、これが助走なしで真上方向へその場ジャンプをしろと言われたら、せいぜい五メートルがいいとこだ。

　それでも充分凄いけどな。

　だからオレはこうして足場を作った。

　無限の影槍も、強欲帝アヴァリウス当人ならとんでもない長さのモノを百本、千本単位で作れるのだろうが、その力を借りたオレでは長さ三十センチのモノを二十本作るのがやっとだ。

　だが、たった二十本でもそれを足場として使うのであれば、三十メートルの高さまでだって上がれるってもんだ。

　ピョンピョン飛び跳ねながらあっという間に天辺てっぺんまで辿り着いたオレは、巨大花の周りにウツボカズラのような袋が幾つもぶら下がっているのに気がついた。

「うぷっ！」

　思わず吐き気を覚える。

　一メートル越えの大きさの袋は薄っすらと透けていて、中に溶解中の生き物の姿が見える。

　人間のような形に見えるが、どっちみち生きてはいないだろう。

　敵勢力にここまで来られたのは初めてだからか、巨大花が恐怖に震えている。

　オレは怒りをこめて剣を振りかぶった。

「吠えろ、シルバーファング！　第二の牙、灼熱剣もやしつくすつるぎ！　そして第三の牙、覇王剣ほろぼすつるぎだ！！」

　まばゆい剣の光が巨大花を照らす。

「覇王殲滅剣はおうせんめつけん！！！！」

　気合一閃、幻影の巨大剣を一気に振り下ろす。

　オレを抑えつけようと慌てて集結する触手蔦ごと、オレは樹をぶった切った。

　巨大樹は縦に真っ二つに裂けると、その身体のあちこちから一斉に炎を吹き出した。

　巨大トーチだ。

「キィヤァァァァァァァァァアアアア！！」

　巨大樹が盛大に燃えながら、断末魔の叫びを上げる。

　オレは巨大樹の近くに立っている木々を次々と蹴りながら落下し、無事衝撃を殺して地面に降り立つと、改めて三人娘の方に振り返った。

「んで？　これ、どういう状況？」

　汗と埃で顔が汚れた三人娘は、安心したからか、一斉に笑い出した。

　何が何だか分からないが、やれやれ、皆無事で良かったよ。

　◇◆◇◆◇　

　大きくて強かっただけあって、巨大樹は結構な量の魔核デモンズコアを落としていた。

　これだけあれば、しばらくは財布の心配をしなくても済む。

　深い森の中、焼け跡で魔核を拾いながら、オレは炭となったこの巨大樹について尋ねてみた。

　代表してリーサが答える。

「これは『ヤ＝テベオ』っていう樹木の魔物だよ。甘い匂いを放つ強力な催眠ガスを吐いて獲物を捕食するんだ。大きさイコール強さって考えてほぼ間違いないんだけど、ここまで大きく育ったのを見たのはボクも初めてだよ。樹齢千年越えているんじゃないかな」

「まぁ、この大きさならな。でも、お前らよく寝なかったな」

「うちらは全員、今までにどこかしらであの催眠ガスを嗅いでいるからね。特徴的な甘い匂いだからすぐ気づいて警戒したんだよ。でもテッペーは初めてだったから成す術もなく速攻寝ちゃったね」

　フィオナが笑う。その顔は汗と埃まみれだ。オレが起きるまで、必死で触手攻撃を防いでいたのだろう。

「お陰でグッスリ眠れたよ。懐かしい……夢を見た」

「……帰りたい？　センセ」

　三人娘がそろって不安そうにオレの顔を見る。

　元々女神メロディアースと交わした約束では、オレに提示された魔王討伐の報酬は元の時間軸に戻ることだった。

　オレは車に撥ねられて死んだ。報酬を使って生き返る。それは今も変わっていない。三人娘には言っていないが。

　だが、どうにもこの三人に情が湧きすぎてしまった。

　たった数か月とはいえ、これだけ寝食を共にしていればな。

　メロディアースの予言――というより、未来視によれば、オレがこの三人と共に魔王退治を行うところまでは確定している。

　だがその後のことに関しては教えてもらっていない。

　いや、そもそも魔王退治自体が成功するのかすらだ。

　ま、聞いたところで教えてくれないだろうけど。

　ちなみに先代勇者カノージン――平安時代出身の武人・加納尽かのうじんはこの世界に残って子を成し、やがて没した。

　オレもそうなるのか？

「帰りたくないって言えば嘘になるが、分からない未来のことより今は目の前のことに集中すべきだろう。すなわち、お前ら三聖女と共に魔王退治を成し遂げること。今オレの考えているのはそれだけだ。心配するな」

　オレは三人娘の頭を全員分ワシャワシャと撫でると、緑色のパルフェ――ずんだに跨またがった。

「さ、行こう。リーサ、案内を頼む」

「ん、分かった」

　三人娘がそれぞれパルフェに乗ったのを待って、オレはずんだに合図を送った。

　次の町は、いよいよオーバル王国の王都オーバルシアだ。今日中に着けるといいんだが。

　オレたちは、再び先へ先へと、歩みを進めたのであった。