74. 葛藤
ローゼリア王国の王都、その東側にひっそりと佇む小さな教会。普段は穏やかな祈りの場であるそこは、数時間前、王都に迫りくる魔物の軍勢の報せによって一変していた。教会に預けられていた孤児院の子供たちは、シスターたちの手によって、急ぎ安全な場所へと避難を開始していた。
しかし、その避難も決して万全とは言えず、刻一刻と迫る魔物の恐怖は、王都全体を不安と緊張の渦へと巻き込んでいた。
教会で働くオリビアは、王立学園を卒業した才媛でありながら、神に仕える道を選んだ心優しいシスターだった。同僚のシスターから避難を促されたオリビアは、自室へと向かい、必要な荷物をまとめ始める。
しかし、その手は、机の上に置かれた一枚の写真立てに吸い寄せられた。
写真に写っていたのは、王立学園時代のオリビアと、彼女が心から尊敬し、憧れていた親友の姿。二人は制服に身を包み、眩しいほどの笑顔を浮かべていた。オリビアはその写真を見つめ、胸の奥に押し込めていた後悔と憧憬の念を呼び起こした。
「もし……イデアさんが王立学園をやめなかったら……私は今頃……」
イデアは、オリビアにとって太陽のような存在だった。才能にあふれ、誰からも愛される彼女は、オリビアの目標であり、憧れの象徴でもあった。
オリビアは、イデアが騎士団の入団試験で自分を頼ってくれた時のことを思い出していた。もちろん、親友のために力になりたいという気持ちは本物だった。しかし、その時、オリビアは心の奥底に隠していた本当の気持ちに気づいてしまったのだ。
「私は、誰かを守るために魔法を使いたかったんだ……」
それは、今まで目を背けていたオリビア自身の願いだった。しかし、イデアがいない今、その願いを叶える場所はオリビアには見つからなかった。
オリビアは、写真立てをそっと鞄にしまい、避難場所へと向かうために教会の扉を開けた。しかしその足は重く、思うように進まない。王都では、騎士たちが命を懸けて魔物の軍勢と戦っている。自分だけが安全な場所に逃げることなど、オリビアにはできなかった。
「私に、何かできることはないの……?」
葛藤と焦燥に駆られたオリビアが立ち尽くしていると、背後から聞き覚えのある声が響いた。
「オリビア?こんなところで何してるんだ。早く避難しろ!」
声の主は、王立学園の同級生だったアルフレッドだった。彼は、王都の住民を避難させるために、騎士団の依頼で駆けつけていたのだ。
「アルフレッドさん!?どうしてここに?」
「なんでって、オレは騎士団の依頼で、王都の住民を避難させてるんだよ」
アルフレッドは、少し悔しそうな表情を浮かべた。彼は、最強のアサシンを目指していたが、今は避難誘導という、本来の目的とは異なる任務についていた。
「本当は、こんなことしてる場合じゃないんだけどな。オレは、最強のアサシンになるんだ。こんなところで足止めを食らってる場合じゃないんだよ!」
アルフレッドの言葉は、オリビアの胸に突き刺さった。誰もが、自分の本当の願いと、現実とのギャップに苦しんでいる。しかし、このまま諦めてしまえば後悔だけが残るだろう。
「あの、アルフレッドさん。最強のアサシンになりませんか?」
オリビアは、意を決してアルフレッドに提案した。
「ああ?」
「私が、魔法で援護します。騎士団が苦戦している魔物を、一緒に殲滅しませんか?私は、魔法でみんなを守りたいんです!」
オリビアの言葉に、アルフレッドは目を丸くした。しかし、すぐにその表情は、決意に満ちたものへと変わった。
「オリビア……お前って、そんなに熱い女だったのか。なんか意外だな。でも、今のオレは確かにダサかった。そうだ、オレは最強のアサシンになるんだ。こんなところで逃げてる場合じゃない。よし、オリビア!一波乱起こしてやろうぜ!」
「はい!」
2人は固く拳を合わせた。その顔には、もう迷いはなかった。後悔はしない。自分たちの信念を貫き通すために、2人は西ではなく、戦場のある東へと歩き出した。その足取りは、先ほどまでの迷いを置き去りにしたかのように、力強く、そして軽やかだった。