アルクスは体を起こし、息を整える。
次いで
地面に落ちる二本の木剣へ一度だけ目線を送るも、すぐに再開する気は起きなかった。
「休憩ついでに少しだけ手入れしよう」
体制をそのままに、背面の腰に携える一本の短剣を引き抜く。
なんの変哲もない鉄の短剣。
切れ味も耐久力も目立つところは何もなく、量産されているような短剣。
人によっては短剣というより、料理や皮などを剥ぎ取る時に使用するものだと口にする人もいるぐらいにはどこにでもあるような代物だ。
だが、これはアルクスにとってこの剣は大切なものでもあった。
誰かにプレゼントされたというわけではないが、初めて自分で稼いだ金銭で購入した一品。
当時は世間知らずだったため、大体の金銭だけを握り締めて村の武具店へ足を運んだのだが……見事に足りなかった。
当然、金額を目の当たりにした後、肩を落して店を後にしようとしたのだが店主がそれに気づき、値下げをしてくれたという心温まるエピソードも付いている。
「あれからいろいろあったけど、今の今まで僕を守ってくれてありがとう」
完全に愛着が沸いてしまっている。
現状況からすれば、すぐにでも買い替えられる。それどころかストック用を何本も購入可能。
物を大事にするというのは見上げたものではあるが、アルクスの場合、真剣に名前を授けようと考えている。
……だが、そう思って早数年は経ってしまった。
大切にしているあまり、名前を決めあぐねてしまっている。
そんな長年の相棒を陽の光に照らす。
輝きは十分、手に馴染む感じも満足。
だが、そんな月日を重ねれば所々に刃こぼれが見えてしまう。
それ以外はアルクスが毎日手入れをしているため、目立った汚れている箇所はない。
「まだまだいけそうだね。これからも頼んだよ」
短剣に願いを込めるも、当然、返事はない。
だが、アルクスはそんなことを理解していて、それでいいと思っている。
相棒を鞘に納め、今度は別の短剣を引き抜く。
漆黒の剣。
名前の通り、刀身から刃先、柄や鞘までもが光をも反射しないほどに黒い。
長さも短剣として誰から見ても間違いなく認識できるほどには短くなっている。
この短剣は亡くなってしまった家族から託された代物であり、一族に代々伝わる秘宝。
「……っ」
こうして落ち着いた時に眺めると、今でもあの時の記憶が蘇ってきてしまう。
アルクスは幼少期にしてこの剣を握り締め、目の前で殺される家族の姿をただ見ることしかできなかった。
そんな残虐な光景をどうして忘れられよう。
助けを求める声、悲鳴を上げる従者達。
覚悟を決め、最後まで侵入者に剣を握り戦った父と母。
立ち向かう事すらもできず、ただ声を殺して涙を流す自分。
屋敷が、部屋が、血に染まった地獄。
「僕は、今のままじゃダメだ。ダメなんだ。もっと強く、もっともっと強くなって、あんな悲劇を二度と起こさせはしない」
アルクスの強くなりたいという願望、誰かを守るという意志。
それは、夢が魅せた呪いだけではない。
己に起きた悲惨な過去も加わり、強さを欲し、守りきるという意志が根付いていた。
思いを馳せる内に、柄を握る手に力が入っていた。
が、すぐ痛みに気が付いて力を抜く。
やはり、どれだけ熱い気持ちを込めたとしても返答はない。
当たり前といえば当たり前なのだが、少なくともこちらの剣には同じ思いを抱いていて欲しいという願望はあった。
ここで、いつも抱いている疑問がまたしても浮かぶ。
一本目の短剣より長い付き合いではあるが、刃こぼれ一つしていない。
それに加え、こちらの短剣に関してはミシッダとの訓練をしていた時から使用していたため、強力な一撃を受け止めたり乱暴な使い方をしてきていた。
――なんで傷がつかないんだろう……?
この疑問が解決された事は一度もない。
だからといって、大切な短剣なため、火釜に放り込んだり崖から投げ落としたり折ろうとするわけにもいかない。
試しにと、そびえ立つ大樹に斬りかかったこともあったが、短剣の現状がその無意味さを物語っている。
「特殊な素材で加工されているのかな……? うーん、物心ついた時から、この短剣は凄いんだぞってしか説明されてないしなぁ。詳細を調べようにも、前に住んでいた家は既に取り壊されちゃってるし……あっ、ミシッダさんなら何か知ってるのかな?」
これは名案を閃いた! と、短剣を握る手で、反対の手ひらをポンッと叩く。
「さっそく、今日の夜にでも訊いてみよう」
よしよし、と短剣を鞘に納め、立ち上がりお尻の土埃を払う。
「やっぱり、最後は短剣の練習もしないとね」
短剣を模した木剣が置いてある場所まで足を進め、手に取る。
「うんうん、これこれ。やっぱり手に馴染んだものは全然違うよね」
まだまだ日が高いというのに、再び燃え上がるアルクス。
身のこなしや剣捌きは、先ほどより流れるように攻撃を繰り出し、ほど良い脱力も出来ている。
もちろん、アルクスは妄想上のミシッダと剣を交えていた。
超高速ともいえる突進からの、確実に殺しに来る剣を相手取っている。
一瞬でも迷えば、体は後方へ吹き飛ぶ。
そんな緊張感を常に抱いて訓練を続けた。
恐ろしいほどの集中力の継続。
二度は休憩を挟んだものの、空想上とはいえ死闘ともいえる戦いを行っていたはずだ。
なのに、一瞬たりとも油断することなく、相手を思慮深く観察し、確実かつ大胆に反撃を繰り出す。
それを数時間もの間やりきった。
気が付けば日は暮れ始め、いつもの帰宅する時間となってしまっていた。
「はぁ――はぁ――すぅー、はぁ」
集中力も途切れ、呼吸を整えながら四本の長さが違う木剣をベンチのところへ運ぶ。
横に倒し、ミシッダが使用している木剣と新品の木剣が並んでいる事に気が付く。
「ミシッダさん珍しくちゃんと元の場所に置いてくれている……あれ?」
新品のはずの木剣が少しだけ欠けているように見えた。
「あーもう。ちゃんとここに並べてくれたのはいいけど、雑に扱ったんでしょ……せっかく作ったのに」
昼間、ここから離れる時はアルクスが作った木刀を使わないと言っていた。
ともなれば、そこからの流れは容易に予想が付く。
善意であり、勝手にやった事ではあるがせっかくのプレゼントを粗雑に扱われたのなら、気を落すのも無理はない。
「あーあ、ちょっとショックだなぁ……」
制作時間は実に一カ月。
日々の家事や買い出し、個人訓練の時間の合間を縫って制作時間に充てていた。
日頃の感謝の意味を込めて作っていたため、思入れもある。
アルクスの肩は落ち、背中が丸まってしまった。
「まあ、今はそれよりも帰ってご飯の準備をしなくちゃ。マーリエットにもいろいろ教えないとだしっ」
茜色に染まる空、それに照らされ火事のように染まる木々や地面。
どこか寂しさと希望が込められているような色の中、アルクスは自宅へと歩き出した。