何度電話しても柊は出ない。自宅にもいなかった。
「どこだ……?」
社宅の周辺を探したが見つからない。子供たちは夕方には戻ってくるから、家で待てばいいのかもしれない。
でも、じっとしていられなかった。
公園のベンチに小さな背中を見つけて、ほっと息を吐く。
「柊……」
びくりと肩が揺れる。
逃げそうになる柊の腕を掴んだ。
「は、はなしてください!」
「離さないよ。先生とは何もないから」
「…………」
「あの人の悪い冗談で、本当に何もない」
「でも、会ってた……!」
「うん。会ってたけど、たぶん柊がΩパパ達と会うのと同じ感覚だと思うよ。フランスにいる間も、先生とは連絡を取ってて、俺の中では割と何でも話せる人だった。他人だから、何でも話せた」
柊は俯いている。
「先生に連絡していたのは、柊のことを知るためだよ。免疫不全の症状はどうなってるんだろうとか、妊娠が分かって柊はどんな様子なんだろうとか。柊に聞けばいいのに、出来なかった。怖かったんだ」
「……怖い?」
柊がわずかに顔をあげる。
「好きでもないαの子供を妊娠して、柊はどう思ってるんだろう。産まない選択をするΩがいることは知っているけど、柊はどうするんだろうって、そんなことばかり考えてた」
悪いことばかりが頭に浮かんだ。本当のことを知りたいのに、知ることが怖ろしかった。
「……産まないという選択は、僕の中にはありませんでした」
柊の声がぽつりと落ちる。
「妊娠が分かったときは、いつも、どうだったんでしょう。何を考えていたのかな。嬉しいというより、不思議な感じがしていたと思います。自分のお腹で別の命が育っていることが、なんだか変な感じで。でも、産まれたらすごく可愛くて」
「うん。柊は、子供好きだもんな。見てれば分かるよ」
結婚したばかりの頃、柊は頼りない少年だった。育った環境のせいで世間知らずなところがあった。でも今は、立派なお父さんだ。
「子供たちが元気で育っているのは、ぜんぶ柊のおかげだ。柊が頑張り屋で、愛情深くて……」
俺はそれに甘えるだけだった。
「……俺は、柊の免疫不全が治らなければいいのにって、ときどき思うことがあった」
「え……?」
驚いたように柊が俺を見る。
「柊が苦しんでいることを知ってたのに、酷いよな。本当に最低だと思う。でも、症状が消えたら、元気になったら、柊は俺のそばからいなくなるんじゃないかと思って……」
俺は自分のことを、柊を守るための道具だと思っていた。だから役目が無くなれば、もう彼のそばにはいられない気がした。
用済みになった俺を置いて、柊がどこかへ行ってしまうのではないかとずっと疑っていた。
俺はαだけど、特別何かに秀でているわけではなかった。αなのに、平凡な人間だった。
柊のように頭が良いわけではなかったし、どんなに努力しても父のようにはなれなかった。
「僕は、宗一郎さんは自由になりたいんだろうなって、そう思ってました……」
消え入りそうな声だ。
「いきなり須王を名乗ることになって、大学へ行ったり、仕事をしたり……。僕がΩで、免疫不全で何も出来ないから、そのせいで宗一郎さんはボロボロになって。それなのに僕、幸せで」
「……幸せ?」
幸せ、だったのか。
好きでもないαと結婚することになって、惨めで苦しいばかりの生活ではなかったのか。
「ずっと、僕は幸せでした。でも、自分だけが幸せなんだと思うと悲しかった。自分の幸せが宗一郎さんの犠牲の上に成り立っているのだと思うと、申し訳なくて、自分が嫌になって……」
柊は肩を震わせて泣いていた。
「宗一郎さんの進路のことも……」
しゃくりあげながら「ごめんなさい」と繰り返す柊の肩を抱く。俺が就職して競技を続ける予定だったことを彼は知っているのだ。
「柊のせいじゃないよ。見合いの話があったとき、父親の立場は考えたけど。でも、断ろうと思えば断れた。競技を続けたいって頭を下げれば、家族は分かってくれたと思う」
強い力で、体ごと柊を抱きしめる。
「相手が柊だったから、俺は断らなかった」