「曜くんって暇なんですか?」
「悪意がある質問だな」
「いえ、単純な疑問です」
木漏れ日が温かい公園。
そこに設置された机に頬杖をつきながら、俺は触覚をぴょこぴょこさせる逆瀬川さんを眺める。
特に部活動に所属していない自分にとって、週末というのは文字通りの自由だった。勉強に支配される平日を抜け出して己がために使える時間。
かと言ってやりたいことがあるわけでもないので、こうして足を伸ばして公園でお洒落に読書をしていたのだが。
たまたま通りがかった逆瀬川さんが暇人を見るような視線を、器用にも複眼にて送ってくるので、俺は不服を表明した。
彼女もちょうど図書館で本を借りてきたようである。
見覚えのあるエコバッグに数冊詰め――以前の経験から学んだか、それほど厚くないもの――向かいの席に座った。
おもむろに本を取り出すと、あちらも読書の構え。
「逆瀬川さんって暇なの?」
「悪意がある質問ですね。ですがお答えしましょう。答えは『ひとまず曜くんと過ごす以上にやりたいことがない』です」
「暇なんだね」
「まぁ、はい」
暇人の集まりかよ。
この机は公園の隅の方に設置されているから、ゲートボールに勤しむご老人方やキャッチボールをしている少年たちの喧騒からは遠い。
穏やかな時間の中でする読書は、読書好きが二人ということもあってか、非常に心地のいいものだった。
「部活には入らないの」
「文芸部に興味があったんですが……」
「ですが?」
「小説というより、なぜか編み物を作ってたんですよね」
「編み物」
「編み物です」
もちろん小説とか俳句とかは作ってたんですよ? ですがそれ以上に、編み物を作っていたんです。
と彼女は呟いた。
文芸部が編み物を作るものなのだろうか。それは手芸部と勘違いしていたのでは、と思ったが、うちの学校に手芸部は存在しない。正真正銘文芸部だろう。
「それは難儀だね」
「難儀です」
「じゃあ暇でも仕方ないか」
「仕方ないんです」
仕方なかった。
あまりに脳が溶けた会話であるが、それだけ木漏れ日が体に染み込んで、気の抜けた空気を作っていることの証明。
事実、読書しているといっても文字の意味はあまり理解できない。紙の上を目が滑って、瞼がだんだん重くなってくる。
二人して格好だけは読書をしているけれど、やはり逆瀬川さんも眠くなっているようで、時折船を漕いでいた。
当然彼女はジガバチなので、人間における瞼は存在しない。
ゆえに起きているのか寝ているのか判断がつかないが、いかにも寝落ちしそうな動きのおかげで、自分と同じような状態に陥っていることはわかった。
「……曜くん」
「ん」
「いっそのことお昼寝しませんか」
「公園で?」
「公園で」
「それはまた」
不用心なことで。
と口の中で噛み殺したのは、向こうのベンチで横になっている男性がいたからだ。きっと昨夜あったであろう飲み会の後遺症だろう。
それを見て「不用心」などと形容するのは、なぜか憚られた。
「きっと気持ちいいですよ」
「気持ちは、まぁいいんだろうね」
「はい」
「……二人いれば、大丈夫か」
仮に公園で眠る行為が不用心だと批判されても、流石に複数人いればそれなりに用心深くなる。
加えて何か貴重品を携帯しているわけでもないから、なおさら用心深い。
馬鹿なことを考えている最中にも瞼が海中に引きずり込まれるように重く、闇を宿していくようになり、つられて肩も重くなる。
木漏れ日が染み付いた机に頬を当てるとほのかに温かい。
だんだんと意識が遠くなって、自分の境界線がわからなくなり――。
「――おやすみなさい、曜くん」
その一言を最後に、俺の記憶は途絶えた。
◇
とは言ってもシリアスな展開になるわけでもなく。
カラスが飛び去る夕空を眺めながら、逆瀬川さんと並んでベンチに座り、一緒に途方に暮れていた。
「だいぶ寝たね」
「だいぶ寝ましたね」
「まさか夕方まで寝るとは、流石に不用心が過ぎるか」
「二人いたから用心深いんじゃないですかね」
自分と同じようなことを考えている。
つまりは馬鹿みたいな思考ということだが、オリジナルの立場からすると、どうにも指摘し難い。どの口が、という話になるからだ。
ゆえに「用心不用心論」は心の箱に閉じ込めておくことにして、ベンチから立ち上がり体を伸ばす。ずっと負荷のかかる体勢でいたせいか、腰の奥が鈍く鳴った。
「せっかくの休日だったのに」
「えぇと、お昼過ぎくらいから寝始めたので……」
「大体三時間くらい」
「わぁ」
乙女として外で三時間も寝顔を晒していたことに羞恥を覚えた様子の逆瀬川さんは、「一応聞いておきますけど、私の寝顔とか見てないですよね?」と囁く。
見ていても見ていなくても違いがわからない、という回答は秘めた。
「まぁ、たまにはこんな時間の使い方もいいですね」
「そうかな」
「そうですよ」
「…………確かに」
「ふふ。私、男の子と一緒に寝ちゃいました」
「悪意がある表現だな」
「あるのは好意ですよ?」
「どうだか」
ようやく眠気が消えたらしい。
逆瀬川さんは遅れて立ち上がると、あまりにも細すぎる腰に手を当てて、うーんと伸びをした。
シルエットがジガバチそのもの。直立二足歩行をしているという違いはあるが。
「そろそろ帰りますか」
「そうだね」
「……送っていただいても構いませんけど」
「女の子だからね」
いつか出現するかもしれないヒロインのために、紳士的なムーブは心がけている。
ジガバチであろうと女子であることには変わりな……変わり……変わるわ。
変わりないと言おうと思ったけど、滅茶苦茶変わる。化け物を性的に襲うやつがいるとしたら、それはもう襲撃者のほうが化け物である。
俺は化け物からかけ離れたところに位置する紳士なので、公園の出口で可愛らしく首を傾げているジガバチを見ても、一切の感情の揺らぎはなかった。