雪花とのプリクラを眺める。
あれから何度も観察してみたが美少女であった。
間違っても今にも腐り落ちそうなゾンビではない。
自室の机にそれを置いて、まるで重大な研究をする科学者のように腕を組む。あまりに顰められた額は血流が滞っているのか少々痒い。痒みを解消するために額を揉んで、椅子の背もたれに体重をかけた。
「うーん」
さて、妹の発言を思い返してみよう。
『ところでクラスメイトに肉塊がいるんだけどさ』
『うん』
『あれって人間なの? 俺の視界が変になってるだけ?』
『えっと、私の瘴気を吸うと異形の世界に近づいちゃうんだ。だから化け物が化け物らしく見えるようになるの。多分だけど、その人は普通に肉塊なんじゃないかな』
あのときは普通に肉塊だったのか、つまり化け物だったのかと納得したのだが、妹を学校に連れて行ったときには菜々花を化け物だと認識できなかった。ゆえに化け物すらも「化け物」を「化け物」だと看破できないと判断したのだけれども。
再びプリクラに目をくれる。
相変わらずの美少女。
自分の視界からは彼女らが化け物に見える。しかし、こうして機械を通して見てみると普通になるのだ。まぁはっきり言って俺のほうがおかしいんじゃないかと思ってきているのだが、果たして真実はどちらなのだろうか。
さらに考えこもうとしたところで、頭蓋の奥の奥、何処からか冷たい感覚すらもが湧き上がってきて、意識が一瞬に薄くなった。
【――忘れるが良い、人の子よ。其方自身の為に】
「……………………?」
…………はて。
俺は一体何を考えていたのだろうか。
自分が何をしようとしていたのか完全に思い出せなくなり――まるで頭を洗ったのか洗っていないのか思い出せなくなる、ルーティーン化された行動のように――しばし動きを止める。
数秒前の記憶すらも忘れてしまうとは、高校生のくせして老化がずいぶんと早いらしい。呆けたようにポッカリと抜けた思考に思いを馳せながら、机の上においてあるプリクラを眺めて頬を掻く。
「うーん」
俺がおかしいのか世界がおかしいのか。
まぁ、どちらでもいいだろう。
◇
雨が降っていた。
数日前と同じく大雨だ。
無防備に身を晒そうものなら病魔に蝕まれることが確約されそうである。俺は玄関で阿呆面をしながら天を眺めていた。
「おや、こら曜くん」
「こんにちは」
「奇遇やなぁ」
突如現れた塵系女子高生の
「あんたも不幸どすなぁ」
「……そうだね」
「こないな雨に降られるなんて」
うちは風邪引きたないさかい、見て。ばっちり傘持ってきたわぁ。
と言って彼女はビニール傘を開け閉めしていた。
「そう」
「ところで、うちって困っとる人がおったら見過ごせへん系の美少女やん」
「知らんけど」
「そやさかい、いつでも傘を貸せるように、おっきな傘使うてるんやで」
「それはすごい。是非困ってる人が居たら貸してあげて」
「わかったわぁ」
須佐美さんは何も言わずに右手を差し出してくる。
当然握りしめたままの傘も同時に。
俺は彼女がどのような意図でその行為をしているのか理解していたが、善意を受け取ったが最後、あまりにも地獄のような光景が発生するのを見通していたので、まるで理解していないが如く黙りこくった。
「傘貸したるで」
「見たところ一本しかないね」
「おん」
「須佐美さんが濡れちゃうから」
「一緒に入るに決まってるやん」
決まってたかぁ。
悲痛な慟哭を抑えて眉間を摘む。
現在も変わらず彼女は傘を差し出していた。
かなりの時間を雨宿りして過ごしていたから、生徒の数は結構減ってきたもののゼロではない。玄関を出ていく彼らは迷惑そうな顔をしている。まるでバカップルでも見るような。間違いでしかないんだけど。
「……須佐美さんって駅まで行く?」
「実は近所やねん」
行くなら反対方向だから、という断りの文句は喉を出る前に封殺された。俺はしばし視線を宙で彷徨わせて、
「申し訳ないから」
「遠慮せんでいいさかい」
「ほら、付き合っても居ない男女がね?」
「うちは気にしいひんよ?」
気にしてくれ。
頼むから。
あまりに無敵な塵を前に絶望していた。
何を言っても相合い傘をする方向に持っていかれる気がする。
たちが悪いのが、美穂のように意識してからかっているのではなく、純粋な善意であろうことだ。
わずかに悪戯の気配も混じっているが。
「………………」
「うちとの相合い傘なんて地上波初放送やで」
「まだ早いよ」
「映画公開から二年くらい経ってるさかい」
「それは頃合いかぁ」
頃合いだった。
逃げられない。
慣れてきたとはいえ化け物と近づくのなんて御免被りたいのだが、ここまで善意を全面に押し出されて、それで断るなど紳士な自分にはできなかった。流されやすいとも言う。
結局、俺は――おそらく――にこにこと口角を緩めている彼女の差し出してくる傘に、躊躇しながらもお邪魔させてもらった。どうやら須佐美さんの言っていたことは正しかったらしく、仮にも男子高校生と女子高校生が場所を同じくしているというのに、窮屈な感じはしない。
「ラブコメの一幕みたいとちがう?」
「違う」
ころころと喉を鳴らしながら彼女は言った。
化け物と相合い傘をしていることを「ラブコメ」と絶対に表現したくなかったので、それに対して即答する。
けれども須佐美さんは、やはり笑って。
何とも言えない空気感を漂わせながら、俺達は帰路についたのであった。