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ふぅんこの肉塊は深海の生き物かな?

「実は水族館のチケットを頂いたんですよね」

「へぇ」

「それで期限が今日までで……」

「雪花と行けばよかったんじゃ」

「用事があるみたいで」



 駅前で合流した菜々花は相変わらず肉塊だった。

 純度百パーセントの、下手をしなくても子供が泣きそうな。

 ゆえに「あ、化野さんと一緒に行きたくなかったわけじゃないですよ?」と首らしき部位を傾けられても、一切の感情の揺らぎがなかった。



 隣の市に位置するというその水族館に行くために切符を買って、かなり人が乗っている電車に乗る。椅子に空きはなく、それどころか立つのもままならない。紳士としての振る舞いをするために菜々花を扉に近い方へ案内して、俺は彼女に向き合って立った。



「な、何だか近くて緊張しますね」

「部分的にそう」

「部分的に緊張するってなんですか?」

「前もこの会話した気がする」

「私もです」



 近くて緊張するというのは一般的には異性との距離が近いから、が理由であると思う。しかし自分の場合は化け物との距離が近いからである。異界の扉もしくは地獄の釜の蓋あたりが開いているのではないだろうか。もはや世紀末。



 耳を澄ましていればラッパの音が聞こえてくるんじゃないかしら、と目を瞑って俺は目的の駅に到着するのを待ったのであった。
























「ここが水族館ですよ」

「水族館だね」

「田舎出身なもので初めてです。いつも緑の海には囲まれたんですけど」

「魚の代わりに虫が展示されてるの?」

「展示というよりも放し飼いですね」



 入口から伸びる列に並びながら彼女とくだらない会話をする。

 生まれは都会育ちも都会系男子である俺からすれば一切考えの及ばない世界であるのだが、菜々花の住んでいたところには虫が蔓延っていたらしい。

 油断すると家の隙間からすぐに大量に入ってくるのだとか。特に夏は地獄らしい。確かに夏になったら肉塊とか傷みそうだもんね。しかも姉妹にゾンビが居るものだから腐臭もひとしおだろう。



 数分待っていれば入口にたどり着き、整理をしている人にチケットを見せる。柔らかい笑顔を向けられながら「こちらパンフレットです」と手渡された。水族館の名前が大きく書いてあり、その下に撮影禁止などの諸注意が載っている。



 暗い空間に足を踏み入れて、首筋に通る冷たい風。

 反射的にうなじに手を当てて考える。



「何だか水族館って肌寒い気がしない?」

「そうですか? 私は感じませんが」

「人によるのかな」



 館内には冷房が入っているのだろう。わずかに寒い気がした。しかし菜々花はまったく寒くないような振る舞いをしており、こちらをおもんぱかってくれたのか「それでしたら手とか繋ぎませんか?」などと訳のわからないことをのたまった。



「失礼します」

「行動が速くない? 回答してないぞ」

「未来を読んだんです」

「タイミングが早すぎる」

「兵は拙速を尊ぶので」

「判断が疾い」



 やはり動けるタイプの肉塊。そこら辺の肉屋で売っているものとは領域からして違うのだろう。俺が回答する前にぬちゃりとした触手を伸ばしてきて、まるで赤子の手を包むように優しく握ってきた。



 背筋に氷柱でも突っ込まれたのかと錯覚する言葉に上手くできない感覚が走り、腕には鳥肌が、一面に咲く彼岸花のように現れる。しかし化野くんは優等生。紅茶をしばきながらウィットに富んだ会話を飛ばす英国人のように穏やかに口元を緩めて、



「離せや」

「雪花が言ってたんですよね。『化野が言うことは全部逆だから。ツンデレなのよ』って」

「僕ちゃん君のことだーいすき」

「わぁうれしいですぅ」

「使ってる言語が違うのかな?」



 俺は額に手を当ててため息をついた。

 けれどもまぁ。

 非常に悔しいというか悲しいことに。

 実際、本気で嫌がっているかというと、それほど嫌がっていない。



 まさか嬉しく思っているなど天地がひっくり返ってもありえないのだが、別に罵詈雑言を吐いてまで拒否するほどか、と問われたら……首を傾げるレベル。耳元で飛び回っている蚊みたいなものだ。それは爆弾を使ってでも世界から消したくなるな。



 つまり数ヶ月の化け物共との生活によって慣れてしまったのだ。正直今さら触手と握手した程度じゃ発狂しない。SAN値無限。強靭無敵最強。

 そもそも肉塊と握手した程度で発狂していたら、等身大のジガバチとか今にも襲ってきそうなゾンビとかと関わるなんて不可能だろう。



「何だかんだ言ってしてくれる化野さんのこと、本当に好きですよ?」

「あっそ」

「どうしてそんなに冷たいんですかー!」

「ほら水族館だから」



 あまりにも適当な返答ではあるが「君が肉塊だからですね」なんて返せないし。彼女がむくれたように頬らしき部位を膨らませるのを眺めながら、水死体は膨らむらしいけどこんな感じかな、と考えていた。



「うわメンダコですよ可愛いですね」

「すごく可愛い。とても」

「何か反応違いすぎません? メンダコに命救われたことあります?」

「小さいっていいよね、安心する」

「メンダコの可愛さの理由に大きさをあげてくる人初めて見ました」



 人には言えない趣味あったりします? と失礼極まりない発言を真顔で――当然菜々花に顔なんて上等なパーツは存在しないから、長年鍛え上げてきた勘による予想であるが――言ってきた彼女に対し、俺は微妙な笑みを返した。



 そりゃ人間並の大きさじゃないからなぁ……。

 もはや何でも可愛い。たとえクロスジヒトリであろうともオオスカシバみたいなものである。ミツバチとか蚕でもいいけど。

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