燦々と太陽の光が照らす灼熱の砂浜に、俺は辟易した目を向けていた。隣にいるあいも変わらず腐りかけのゾンビ――
「人多くない?」
「夏休みだから当然よ」
「遠回しに『帰ろう』って言ったんだけど」
「嫌」
彼女は水着の上からラッシュパーカーを羽織り、やはり他の人の感覚からしてみれば美少女なのか、いくつかの視線を集めていた。こちらの視点では今にも肉が落ちそうな死体が歩いているだけなのだけれども。
異性と海に来るという王道のラブコメ的展開。
しかし相手は異様なリビングデッド。
異星人と海に来ているようなものである。
あるいは異世界人。
普段から雪花が着ているものはボロボロなように見えるのだが、なぜかラッシュパーカーやサングラスは普通だった。そういえば最近制服も普通に見えるような。俺の視界がついに普通に近づいているのか、はたまた彼女がまともな服を着る趣味に目覚めたか。
「海に来て開口一番に言うことがそれ?」
「人が多いところは苦手でさ」
「私もよ。嫌でも視線を集めちゃうから」
「自信あるねぇ」
それを言い放ったのがゾンビであるという一点で爆笑ものである。人の目がなかったら抱腹絶倒してそう。熱い鉄板のような砂浜の上で、ごろごろと笑いながら転がる男子高校生。やばぁ。
ところで、どうして俺が雪花と海に来ているのか。簡単な理由である。菜々花と水族館に行った話題を聞いて、じゃあ自分は海に行くか、と思ったらしいから。以上。異常では?
あれは怖かった。帰宅後疲れていたからすぐに寝て、起きてスマホを確認したら『いついつに海に行くわよ』とメッセージが送られていたのだ。もしかして海葬でもやるのかと。
まぁ別に指定された日は用事が入っていなかったし――というか用事のある日がほとんど存在しないし、友人からの遊びの誘いを断るほど勉学に勤しむやる気もなかった。ゆえに快諾した。
わずかばかりの回想を終え、俺は肩からかけていた荷物を地面に置くと、適当に場所を探してビーチパラソルを突き刺した。意外と砂浜は固い。結構な力を込めなければ深く刺さらなかった。
「さて……ビーチマットは敷き終わったわよ」
「さようか。じゃあ行っておいで」
「行かないわよ」
日焼けしちゃうでしょ、と雪花は目に見えるようにため息をついてみせ、ビーチパラソルによって日陰となった地面に横になった。まるで背中を見せつけるようにうつ伏せになって。くすんだ――おそらく他の人からすれば美しい輝きを持っているのだろうが――金髪が重力に従って流れる。
彼女の性格とシチュエーションからして言いたいことは理解できるのだけれども、非常にそのイベントを起こしたくない自分としては、まったく理解できていないふりをするのが得策。何だったら帰るのが最善手まである。
「化野」
「ん」
「日焼け止め塗って?」
「自分でやれよ」
一切そちらの方に目をやらずに、俺はビーチマットに座り込んだ。
鞄に突っ込んでいた文庫本を取り出す。
「……はぁ。これだからモテないのよ」
勇気を出せばすぐそこに天国が続いているのよ? という彼女の発言には気付かなかったふりをした。
おそらく雪花の言う〝天国〟とは文字通りのものだろう。
つまり勇気を出せば死ぬということだ。勇気と蛮勇は別物。
天地がひっくり返っても日焼け止めを塗る気がないと見たらしい彼女は、何度もしきりに嘆息しながら、「じゃあ自分で寂しく塗ってくるわ」と近くに立てられた更衣室に向かっていった。周囲から責めるような視線を向けられるのが納得いかない。
たまたま持っていた文庫本がジョージ・ゴードン・バイロンの詩集だったので、自然と彼の名言が思い返された。
『笑えるときは常に笑え、金のかからない薬だ』
なるほど素晴らしい言葉だ。今の状況にぴったりである。アンデッドに日焼け止めを塗ることをお願いされて、普通に断ったら責められるような視線を向けられるという理不尽。これすらも笑えば解決する。
「……化野、いくら私と海に来たのが嬉しいからって、そんな気持ちの悪い笑みを浮かべるのはどうかと思うわよ」
「あちゃあ二度と笑わないわ」
笑い方を忘れた悲しきモンスターになることが決定したところで、帰ってきた雪花が俺の隣に腰を下ろす。ホワイトフローラルの香りが漂ってきた。日焼け止めのものだろうか。歩く死体には分不相応な匂いだ。
二人で何も語らずに海を眺めている光景は、捻くれた人が目撃したら、もしかすると甘酸っぱい空気が立ち込めているのかもしれない。
しかしそれは間違いだ。正答率九十九パーセントの問題を間違えたおバカさんと形容せざるを得ない。どこからどう見ても「いつ獲物として喰われるのかと怯える小動物」が正解。
「化野」
「ん」
「何か失礼なこと考えてない?」
「雪花の横顔は綺麗だなぁって」
「きっ……!」
嘘八百を並べ立てて彼女の追求を躱す。
この技術は数ヶ月の化け物との付き合いで習得したものだ。
普通なら一生使わない技術であるのが悲しい。
理由はわからないが彼女らは適当な褒め言葉を放り投げると口ごもる。本当に理由は不明。人間相手に使ったらドン引かれること間違い無しの言葉なのに、なぜか化け物相手には通用するのだ。やはり脳の構造からして違うのだろうか。
もはや「自分は何を言っているんだ」とすら思わない無敵の境地にたどり着いて、ひたすら静かに海を眺めていた。
「……そ、そう?」
と恥ずかしそうに髪を耳にかける雪花の姿を視界の隅の隅に置きながら、打ち寄せる波と返す波との清涼感に溢れる音を聞いている。俺のラブコメはいつになったら訪れるのか。答えはまだない。