ゴウさんとシンさんが資金協力の申し出をしてくれた後、昼営業の閉店間際だった。
まだお客さんが残っていたが、席は空いていた。
恐る恐る引き戸が開き、顔を出したのは三歳くらいの男の子だった。
その後に、母親であろう若い女性が顔を見せた。
「いらっしゃいませ!」
サクヤが女性の不安を吹き飛ばす声を上げた。
その女性は笑顔を咲かせると、中へと入ってきた。
初めてくる店だったから不安だったのかもしれない。
「あのっ! ここって、子供連れでもいいんですか?」
「はいっ! 問題ありませんよ!」
申し訳なさそうに口を開いた母親。それに対し、変わらず笑顔で答えるサクヤ。その返答を聞くとホッとしたように胸をなでおろしていた。
こういう飲食店は、小さな子供連れだと怪訝な顔をされることが多い。
トラブルが起きたりするからだ。
そうなってくると、親は外食ができなくなってしまいストレスが溜まったりするのだろう。
案内された席に座る親子。
だが、小さい男の子は席に座ると、テーブルが目線の位置だ。
あれでは食べづらいだろう。
「サクヤ、これ持ってってやって」
「これを……ですか?」
俺が指したのは小ぶりな木の箱だ。普段は食器を入れている。今は、食器が出払っているために空だ。
「子供さんの椅子に乗せればちょうどいいと思うんだ」
「あぁっ! わかりました!」
サクヤは箱をもって親子の元へと行き、男の子の下に木の箱を乗せる。その上に座ると上半身がテーブルの上に出て、ちょうどいい具合だった。
母親が頭を下げている。こういう時に「すみません」と謝ったりするのだが、こういう時は「ありがとう」の方が個人的には良いと思っている。
「リュウさん。トロッタ煮ってほぐして出せますか?」
「あぁ。大丈夫だ。あの子のだろう?」
「はい。あんまり熱いのは食べられないそうで……」
「そうだろうなぁ。親子二人、トロッタ煮でいいのか?」
首を傾げて、悩ましい様子のサクヤ。
「なんか、トロッタ煮は一つで、小皿に子供用のご飯が欲しいそうなんです。それって、料金って……?」
「小硬貨五枚でいいよ」
「はいっ!」
それをお客さんへ伝えに行った。
俺はトロッタ煮を作っていく。
昼営業分は残り二食となっていたので、ギリギリだった。
母親がこちらへ頭を下げる。
コクリと俺も頷き、大丈夫だという意味でニコッと笑った。
顔を赤くしてまたペコリとする。
なんで顔を赤くしたのかはわからないが、トロッタ煮を煮詰めていく。
「なんだか、おいちちょうだね?」
甘じょっぱい香りが立ち込め、親子の元へと巡って行ったのだろう。
男の子が匂いに反応したようだ。
「そうだね。楽しみだねぇ」
「はやくたべたい! まだぁ⁉」
「しー! 静かにして! もう少しだから!」
周りのお客さんは三者三様の反応であった。ニコニコして見ている人、無関心な人。そして、怪訝な顔をする人。子供ってのはそのぐらい元気な方がいいんだ。
周りに頭を下げだす母親。
「うるさくて、すみません。すみません!」
できたトロッタ煮定食と追加のご飯をお盆に乗せて、自分で運んでいく。サクヤが手を出してきたが、目配せをして「大丈夫だ」と伝える。
俺が厨房から出てきたことで周りの人からの注目を集めた。
お盆をテーブルへと乗せる。
「ゆっくりと食べてください。ここのお客様は、みんな心の広い人たちです。子供は騒がしいくらい元気な方がいいんです。何も気にすることはありません」
「でもぉ……お昼の営業って、何時までですか?」
周りの様子を窺う母親。周りは俺が言った言葉を聞いていたため、いい雰囲気にしようとしてくれている。こんなに周りを気にしていたらゆっくり食べられないだろう。
「大丈夫ですから。お子さんとのお食事、ゆっくり堪能していってください」
目を潤ませながら「ありがとうございます」と母親は箸を持ち、子供用でお盆に乗せていたスプーンを男の子に渡した。ご飯の上へとトロッタ煮を乗せると男の子は喜んで口へと運んでいく。
「しゅごくおいちぃね!」
「ショウちゃんよかったねぇ。ママも食べようっと」
そして、母親も一口食べた。味わいながら目を瞑って食べていたが、少しすると目尻から雫がホロリと落ちた。
静かに厨房へと戻ると親子をそっと見守っていた。
サクヤも他のお客さんの対応をしながら見ていたのだ。
その時は突然だった。
──ガチャンッ
俺は厨房を飛び出して、すぐさま音がした方を確認した。
サクヤも駆け足で音の方へと向かう。
裏からも音に驚いたのかミリアがやってきていた。
「大丈夫ですか⁉」
「あぁぁぁっ! すみません。お皿が! 弁償します! すみません! もう、ショウちゃん!」
サクヤが先に駆け付けると割れたお皿を拾い始める。
俺は後からだったが、子供の怪我を確認する。
「お子さんの怪我は……大丈夫そうですね。お皿は沢山あるので、大丈夫です。お気になさらず」
「そういうわけには!」
母親は顔を青くして焦っている。落ち着かせたいなと思っていると、思わぬ援軍が来た。
「だいじょうぶだよ? リューちゃんは、そんなことでおこらないから!」
ミリアだ。音を聞きつけて出てきて様子を見に来たのだ。
「そうなの? というか、店主さんのお子さんですか?」
「そうです。裏にいつもいるんです」
「しっかりしてますねぇ」
「強がっている部分もあると思いますけどね」
ミリアは割れたお皿を拾っているサクヤを眺めている。
俺は箒と塵取りを取りに裏へと行った。戻ってくると、男の子の頭を撫でているミリアが目に入った。
「だいじょうぶだよ。なくことはなんにもないよ」
ミリアが男の子をあやしていた。
こういう時にミリアくらいの子だと、割ったりした人を責めたりする気がする。
だが、人を責めることは言葉の暴力と一緒だと俺は思っている。
それが感覚的にわかるのだろう。
掃いて細かい割れ物を取ると周りへと声をかける。
「お騒がせしてすみません。皿が勝手にテーブルから飛び降りたみたいです。みなさん、勘弁してください」
「はっはっはっ! じゃあ、しゃあねぇわな」
「気にしていませんよ。大丈夫」
「お皿が動いたなら、仕方ないわよ」
みんなにこやかに返事をしてくれた。
「……グスッ。すみません。ありがとうございます」
「いいってことです。こんなのは、誰にでもでる。坊主、たくさん食べな」
そう口にしながら落とした量くらいのご飯が入った器を差し出した。
「リューちゃん、ありがとっ!」
「こらっ! リュウさんでしょ!」
男の子は、ミリアの真似をしたのだろう。
母親の機嫌を窺いながら委縮しているようだ。
「いいんですよ。誰も責めません」
「いいんだよ。きにしたくて。げんきにたべてね?」
ミリアがまた声をかけてくれた。
こういう時でも、人を責めないミリアを、俺は心底誇りに思ったのだった。