スマホばかり触っている矢野は眼中にいれずに、柊さんと会話をすることにした。
できることなら柊さんに好きだったということを伝えてしまいたいけれど、それはただ僕の自己満なだけで。
告げてしまおうものなら、きっと、柊さんを困らせてしまうだけだ。矢野も今は柊さんに興味がないフリをしているけれど、僕の前で柊さんとこの先、生きていくことを誓ってくれた。
それならもう余計なことは言わない方がいい。
好きだと言わない代わりに、ありがとうを伝えることにした僕は、柊さんの前で改めて姿勢を正す。
「僕、女子と話すのが苦手で…でも、柊さんはそんな僕にも優しくしてくれて……嬉しかったんだ。こんな僕にずっと話しかけてくれてありがとう」
柊さんに深々と頭を下げた。
――ただ側で笑いかけてくれるだけで、それだけでよかった。こんなことになるまで告白する気なんてなかった。卒業したら柊さんと別々の道を歩むことも分かっていた。
柊さんが僕のことで泣いてくれていることが嬉しくて。今だけ柊さんの頭の中は僕のことで埋め尽くされていると思いたい。
「飯倉くんと話せて楽しかったよ」
涙を流しながらも、最後まで優しい言葉をくれる柊さん。彼女を好きになってよかった。
僕らの会話に興味がなさそうな矢野に近づく。
「……おい、矢野。何か言うことあるだろ」
「もうお前に伝えたし。今更言うことねぇよ」
「僕じゃなくて柊さんにだよ」
「しっかりしろ」と太ももをパチンと叩く。矢野は面倒くさそうに顔を上げ、柊さんの前で姿勢を正した。
「……色々と振り回して悪い。これからよろしく」
不器用ながらも、柊さんに手を差し出した矢野。
「私でいいの?」
「ああ、……柊が俺の一番の理想だから」
少しの沈黙が『相田の次に』という言葉が見え隠れする。三年間も相田さんを好きだっだんだから仕方がない。
柊さんも矢野の本来の気持ちには勘づいてるようで、
「好きになってもらえるよう頑張るね」
苦しそうな表情を僕らに見せた。
それと同時に分かったことが一つある。
柊さんの好きな人は矢野だ。
なんとなく、柊さんが矢野に向ける視線は、矢野が相田さんに向けていた視線と似ているように感じる。
「好きで好きでどうしようもない」といった、そういう視線。
矢野が好きなのは相田さんだから。
柊さんはそのことを分かっていたから、矢野とパートナーではなくなることを受け入れるしかなかったんだ。柊さんの胸の内を知ると複雑で。
どうしようもなく息が詰まった。
僕が柊さんと一緒になりたかったように、柊さんも矢野と一緒になりたかったんだ。柊さんの心の内を知ることができて、今まで抱いていた気持ちがやんわりと軽くなった気がする。
気持ちは晴れたけれど、部屋の空気が重いのはどうしたらいいのだろう。
何か明るい話題はあっただろうか。考えてみるけれど、これからは矢野と柊さんと、今まで通りに過ごせない僕に明るい話題なんてあるわけがなかった。
そんなとき、タイミングを見計らったように柊さんの部屋のドアのノック音が聴こえてきた。
「飲み物どうぞ~」と穏やかな声がドア越しから聞こえた。柊さんのお母さんだ。
ドア付近にいた矢野に「ドア、開けろ」と言い、肘でどつく。矢野はしぶしぶといった様子で立ち上がり、ドアを開けた。
僕の矢野に対する仕打ちはどうかと思う。
「てめぇ、覚えてろよ」
さすがに矢野の怒りを買ってしまったらしく、矢野から『調子のんな』と言わんばかりに睨まれてしまった。
ドアを開けると目の前に姿を見せたのは柊さんのお母さん。
トレイの上には、オレンジジュースとクッキーが綺麗に並べられた器。
「よかったら食べてくれる?」
矢野に手渡すと、僕と矢野を交互に見る柊さんのお母さん。
……あ! 柊さんのお相手を気にしているんだろうか。すぐさま矢野の手から、渡されたトレイを奪い取り、矢野が挨拶をしやすいように配慮する。
「あの……ご挨拶遅くなってスミマセン。矢野が柊さんの将来のお相手です。どうかよろしくお願いします!」
深々と頭を下げる。
――って、矢野が一人で挨拶をするもんだろ! なんで僕が挨拶をしてあげなくちゃいけないんだ!
おばさんは「娘のことよろしくね」と矢野の手を握りながら、あいさつを交わしていた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
淡々と喋る矢野の口から「よろしく」の感情が伝わってこない。
後で説教だな。
すっかり矢野のオカンポジションを果たしている僕に、おばさんが話しかけてきた。
「あなたは? ええっと……飯倉くんだったかしら?」
いきなり話を振られ、背筋がピンとしてしまう。幸い、何かを感じとった空気の異変に気付いた柊さんが、
「飲み物とかありがとう! 矢野くんも飯倉くんも困ってるからもういいよ!」
と、強制的にドアを閉めた。
「……ごめん、二人とも」
「ううん! えっと……せっかくだし、いただこうか」
もうそろそろお邪魔した方がいいのかなと思っていたけれど、おばさんが持ってきてくれたお茶菓子で帰るタイミングを見失ってしまった。
そのため、飲み物とクッキーを頂く。
またこうして皆とワイワイするときがきてほしい。そんなことを考えながら1枚1枚クッキーを食べる。
「てめぇの相手が誰になるのかは知らないが、その……相田をよろしくな」
矢野は相田さんのことを気にしながらも、僕のことも心配してくれているような気がした。
「ん、大丈夫。小谷もいるし」
「くそ、アイツ……次顔見せたときはぶん殴る」
「次顔見せたときって…明日じゃん。やだよ、ボロボロに腫れ上がった小谷と新しいとこ行くの。コイツらヤバいヤツって思われんじゃん」
「小谷に近づかなきゃ良いだろ。他人のふりしてろよ」
「小谷が近づいてくるじゃん」
僕達の会話を聞いていた柊さんはクスクスと笑った。
「矢野くん、殴るのはダメだよ」
笑いながらも僕と小谷を庇ってくれる柊さん。
やっぱり矢野が羨ましくて羨ましくて、心の中で僅かな嫉妬を噛み締める。