鬱陶しい姉妹がいなくなって、ずいぶん過ごしやすくなった。
これで改めて、ティエラと話が続けられる。
まだ尻餅をついたままの彼女に、俺は手を差し伸べた。
「立てるか?」
「え? は、はい」
おずおずと差し出された手。今度は避けられなかったことに安堵しながら、ぐいと引き上げる。「わわっ」とティエラは小さく声を上げ、勢い余って俺の胸元に収まった。
フィアが柳眉を逆立てる。
「ヴェルグ様」
「何だ」
「距離が近いです」
「何か不都合があるのか? 俺はただ手を取っただけだぞ」
「ヴェルグ様に無許可で接触するなど、あってはならない暴挙です」
「暴挙……か? 俺は構わん。この程度で何を怒ることがあるのだ、フィア」
「むう。近い……」
拗ね方が相変わらず子どもである。
見た目の印象とずいぶん異なる我が右腕の様子に、ティエラは毒気を抜かれたようだった。先ほどまでの怯えきった姿が消えていた。
それにしてもフィアめ。さっきの爆発魔法はいくら何でもやりすぎだ。
確かに、あのくらいで怯む俺ではないし、羽虫にまとわりつかれた程度の衝撃で何の支障もない――が、だとしてもだ。人間からすればあの威力の魔法は脅威にしか見えないであろう。
ましてやティエラは、実力はあっても未熟。ただの人間がまともに食らえば四肢が弾け飛ぶ魔法、刺激が強すぎただろうに。
ティエラが萎縮していないのは、フィアの子どもっぽさが功を奏した形か。
怪我の功名だったことは、フィア本人も自覚があるようで。
「むうー……」
さっきからずっと唸って不満そうだ。
まったく。いつからこんなポンコツになったのか……。
すると、不意にティエラがくすりと笑った。直後、慌てて謝罪してくる。
「あ、その。す、すみません! 笑ったりして。それと……さっきはありがとうございました」
「さっき? 何のことだ」
「マリーさんとリーナさんに、反論する勇気をくれました」
「ああ。クズが相手だ。お前が気にすることはないさ」
「く、クズ、ですか。ヴェルグさんたちは本当に大胆というか、怖れ知らずというか。けど、おかげで少しだけ肩の荷が下りました」
ずっと言いたくて言えなかったことですから、とティエラは消え入るような声でこぼす。
俺からすれば、ティエラはまだまだ本心をさらけ出したとは言えない。その意味では、アロガーン姉妹から完全に解放されたわけではないだろう。
だが、今はそこをとやかく言う気は起きなかった。
ティエラをこちら側に引き入れる――その目的もひととき忘れて、俺は純粋な興味から尋ねた。
「ところでティエラよ。お前はこの地に――紅の大地にテリタスの花を再び咲かせたいのか? そのためにここへ来たと?」
「……! ヴェルグさん、あの花のことをご存じなのですか!?」
「ああ。よく知っている。陛下――俺の師とも言うべき方が、あの花をたいそう好いていたのだ。あの方の影響で、俺もテリタスの花に強い思い入れがある」
「ヴェルグさんも、同じ……!」
途端、ティエラの瞳が輝き出す。
「じゃ、じゃあヴェルグさんも、テリタスの花を咲かせるために!?」
「主な目的は別にあるが……そうだな。あの花をもう一度、紅の大地に蘇らせるのはよい考えだ。きっと、あの方も大変お喜びになるだろう」
テリタスの花を思い浮かべるだけで、先代魔王陛下との思い出が蘇ってくる。俺は感慨に
すると不意に、ティエラが俺の手を握ってきた。
「テリタスの花は、かつてこの地が聖地であった証。この荒廃した大地に美しい地平が広がっていたことを証明するものなんです! 叔母さまは、紅の大地の本当の姿を求めて、ずっと研究されていた。ここは本来、とても豊かな土地だったと私も信じているんです!」
「ああ。俺も同感だ。でなければ、この地に古くから聖剣が存在する理由がない」
「ですよね!? そうですよね!? ヴェルグさんもそう思いますよね!? ああっ、良かった! 私や叔母さまと同じ考えの人にこうして出会えるなんて。夢みたい……!」
「夢みたい、か。人間ども――いや、学園に在籍する者たちの間では、お前やお前の叔母の意見は少数派なのか? 紅の大地はそれほどまでに忌避されていると?」
「はい……。ここは怖ろしく強い邪竜が治める、荒廃と死のみが支配する世界――皆、そう信じて疑っていません。叔母さまのようにお考えになる方は、本当に少数です。学園中から迫害されるほどに……」
「なるほど。そうなのだな」
――荒廃と死のみが支配、か。
300年の間に、そのように見られてしまったのだな。
なかなかショックであるな。面と向かってそう言われると。
先代魔王陛下は、紅の大地をそのようにしたいとはお考えにならなかったはずだから。
「紅の大地への偏見。是正できずにいたのは我が怠慢、か」
「ドンマイですヴェルグ様」
「……。なあフィアよ。今の言葉、そこはかとなくムカついたのだが。なぜそう軽い? ん?」
「申し訳ありません。ドンマイ?です」
「雑に言い直すな。軽い。軽すぎる。数秒前の俺の感傷と反省がひどく薄っぺらく聞こえるではないか」
「ドンマイです」
「3回言ったよコイツ……良い度胸だな俺の右腕」
「ふふん」
「褒めてない」
「……ふふっ」
堪えきれなくなったように笑声を漏らすティエラ。
「やっぱり、こうして見るとヴェルグさんもフィアさんも面白い方ですね」
「できれば訂正してもらいたい評価である」
「あはは……。でもちょっと安心しました。確かにさっきの魔法にはびっくりしましたけど、考えてみればあれくらいのお力があって当然ですものね。紅の大地をたったおふたりで踏破しようとしているのですから」
「まあな。だがそう言う意味では、お前もなかなかだと思うぞ。実質ここまで、お前の足だけで来たのだから」
「そうですね。ふふ」
どうやら、テリタスの花という共通の話題があったおかげで、ティエラの警戒心はかなり薄れたようだ。
胸襟を開いた会話は、互いの関係を円滑にする――知識としては聞き及んでいたが、なるほど、実際に実行するとこうなるのだな。
うむ。悪くない。
新たな発見だ。
ティエラから俺に向ける感情だけでなく、俺からティエラに向ける感情も、わずかながら変化していく――どうやらそれが、『人間とのコミュニケーション』らしい。
「ティエラ。お前はいい顔をしないかもしれないが、改めて伝えたい」
前置きの言葉がすらりと口から出てきたのも、成果のひとつだ。
今なら、ティエラの心に俺の言葉が届くのではと思った。
「お前の心身を縛っているあの姉妹。彼女らにきっちりと、お前の気持ちをぶつけてみないか? お前が、お前のしたいことをできるように。それをもって、奴らへの復讐にすべきと俺は考えているのだ」