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第32話「この大地が?」

 狼人族の族長が、急に動き出した。


 族長との交信は、基本的に私の側からおこなってきた。安全に通信できる状態かどうかは、こちらでないと判断できないからだ。

 だが、この日は違った。


「今、通信は可能か」


 突然宝玉が青く光り出し、あちらから話しかけてきた。

 時間が夜であったため、私はすでにベッドに入ってしまっていた。不自然な光が部屋の外に漏れないほうがよいため、起き上がり、クローゼットに腕を突っ込んだ。


「もう十分だ。お前の密偵としての仕事はまもなく終了となる」


 私に対し、族長はそう告げてきた。

 聞いたとき、おそらく私はキョトンとした顔をしてしまっていたと思う。

 背後から窓越しの夜鳥の声が聞こえるだけの、間が抜けた時間がしばし流れた。


「どうした?」


 そう言われて初めて、何を言われたのかを理解したかもしれない。

 族長に潜入を命じられたときに、密偵は永続的な仕事ではないと明言はされていた。当初はいつ終わるのかということをずっと気にしていたし、一刻も早く終わることを常に望んでいたとも思う。

 意識とはこんなにも変わるものなのだ。


「では、私を人間族の地に送り込んだ理由についても、そろそろ教えてもらえるのですか?」


 気持ちを整える猶予を作るという意味も込めて、ここまでずっとはぐらかされてきたことを族長に聞いた。


「いいだろう。三つの目的、そして、条件を満たした場合は四つの目的のため、私はお前を送り出した――」


 族長は、ゆっくりと話し始めた。


 ヴィゼルツ帝国を知ること。

 オーク族や爬虫人族をはじめ他種族にも勇名を轟かせる英雄、バクについて調べること。

 ヴィゼルツ帝国の執拗な南下政策に隠された背景を推測すること。


 彼はまず、その三つを私に告げた。


「……」


 私がずっと気になっていた、いや、不審に思っていたのは、『他種族に興味を持たない、干渉しないはずの狼人族の代表である族長が、それらの情報をなぜ知る必要があるのか』ということだった。

 よって、今の族長の言葉では回答になっていない。少なくとも私の求めていたものにはなっていない。


 密偵として他国に潜り込む以上は、その国について調べるのは当たり前であるし、武勇で他種族から恐れられていた人物について調べるのも当たり前。今おこなわれている侵攻作戦があるならば、その背景を調べることもまた当たり前だろう。

 それを今さら言われたところで「そんなことはどうでもよい」である。


 文句の一つも言ってやろうと思ったのだが、とりあえずその前に、三つ目の目的である『ヴィゼルツ帝国の南進に隠された背景』について、族長の得た結論を聞こうと思った。


 なぜなら、私は密偵活動のうえで「ヴィゼルツ帝国の南下政策の背景を調べろ」という直接的な言い方をされていたわけではなかったためだ。

 ここで密偵の活動が終了ということは、族長は私が提供し続けた情報をもとに、その答えを導き出したことになる。


「三つ目のヴィゼルツ帝国南進の背景ですが。私が報告した情報をもとに結論を得ることが可能だったということですね?」

「そのとおりだ。今まで仮説は立てていたが、お前の調査なくして確信を得ることはできなかった。深く感謝したい」

「それを詳しく教えていただきたいものですね」


 これくらいは聞いてもよいだろう。そう思った。


「いいだろう」


 あっさりと了承されたが、やや間が空いた。

 通信不良を疑い、こちらから声をかけようと思ったところで、ようやく声が来た。


「まず、この大地は北から急速に海の中へ沈みつつある」

「はい!?」

「まあ驚くのも無理はないが。だが、砂浜の消失や森林の水没など、裏付ける証拠はお前が見つけてくれた」

「……」


 この大地が沈む?

 それは私にとって、にわかに理解しがたいことだった。地面が上下するなどという概念などなかったためだ。それ以前に、計り知れぬ大きさである“この大地”というくくりで物事を考えたこと自体がない。


 だが族長も言っているとおり、その根拠として挙げられているのは紛れもなく私が実際に確認した情報であり、地面の沈降という結論と矛盾しない。


「私は十数年前からそれを疑い、情報や証拠を集めてきた。だが確証は得られず、過去に放った密偵も行方不明となり、そのままとなっていた」


 これも衝撃だった。


「以前にも密偵を放っていたのですか? 初めて聞きますが」

「お前がそれを以前から知っていたら逆に問題だ。狼人族という種族の性質に合わぬゆえ、下々の者に発覚していたら批判は免れなかっただろう」


 それはさておき、と族長は続ける。


「なぜ大地が沈降するのかという理由はわかるか」

「……火山の噴火と関係がありそうですね」

「そのとおりだ。お前が教えてくれた宮廷賢者の話はきわめて重要なことだ。この大地の下には巨大な空洞が広がっており、そこに空気のようなものが満たされている。それが火山の噴火により、地上へと放出されているのだ。充填されていたものを失った空洞は、潰れていくしかない。それが沈降の理由となろう」

「では、この大地は最終的にどうなるのでしょうか」

「噴火活動は北から始まりこの二十年でどんどん南に広がってきている。このままいけば、この大地のほとんどが沈み、もともと標高が十分に高いところや、火山自体が存在しないところくらいしか残らないだろう」

「まさか、我々狼人族の地と、さらに南に広がるブルードラゴンの棲み処しか?」

「おそらくな。ブルードラゴンの棲み処は知的生物が生きられる地ではないゆえ、実質的には『我々狼人族の地くらいしか残らない』という言い方が正しいのかもしれぬ。運がよければ虎人族やオーク族の地は一部残るかもしれんが、そうであってもわずかだろうな」

「……!」


 困惑、混乱しながらも、頭の中が急速にまとまっていくような感じがした。


「私にもだんだんわかってきたような気がします。人間族の国が南下政策を進めるのは、そういうことだったわけですね」

「そうだな。もう間違いはない。人間族は他の種族を滅ぼして南に逃れ、自分たちだけ生き延びようとしている。今まで他種族の領域を侵さなかった人間の国が、急に、しかも執拗に侵攻。何か特殊な事情があるのだろうとは思っていたが、そういうことになる。人間族の国はこの大地の最も北に位置し、海岸も存在する。ゆえに真っ先に気づいたのだろう。この大地が低地の多い北から沈もうとしているということをな。お前は海に行ったときに宮廷賢者一行に会ったと言っていたが、今現在も彼らは沈降速度を定期的に確認し続けているのだろう」


「ですが、大地沈降の噂は帝都でも、その他の街でも、まったく流れておりませんでしたが」

「情報統制により、皇帝や宰相、その他一部の者しか知らぬのではないか。私が皇帝でもそうする。まさに今沈んでいる最中ということがわかれば大混乱になるからな。証拠すらも残らぬように口頭だけで情報が共有されているに違いない」


 当然、バクも知らされていないことだろう。

 筆頭宮廷賢者はあのとき、海を見てきたと言ったバクをかなり厳しく咎めていた。あれは海を見られると都合が悪いためだったか。


「そういうことならば、私たち狼人族も、いずれ帝国軍の侵攻を受けるのは確定と言ってよさそうですね。おそらく爬虫人族もオーク族も、帝国軍をとめることはできないでしょうから」

「このまま何もしなければな。だがそれを察知できた以上は、今の段階ならまだ手を打つことができる」

「どうすべきだと族長は考えているのでしょうか」

「虎人族に参戦を呼びかけてみよう。虎人族の版図は人間族の南東に位置している。その参戦があれば人間族は爬虫人族との戦いに集中できなくなるはずだ。『人間族対その他すべての種族』という構図も、今よりはっきりさせられるだろう」

「大地沈降の情報も共有するのですね?」

「その必要はない」

「……。めでたく帝国軍の侵攻を食い止められたとして、その後は?」

「今はお前が知る必要も考える必要もない、と言っておこう。今はな」


 その答え方は、言っているようなものではないですか?

 あやうくそう返してしまうところだったが、なんとか我慢することに成功した。


 そして、これから聞かなければならないようだ。

 族長が「条件を満たせば」発生すると言っていた、私を人間族のところに潜り込ませている『四つ目の目的』を。


 私の密偵としての仕事は「まもなく」終了とのことだった。

 おそらくその四つ目の目的を果たすことが、密偵としての最後の仕事になるのだろう。

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