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第33話「冗談ではない」

「当然、先ほどおっしゃっていた四つ目の目的がここにきて生きてくるというわけですか」

「察しがいいな。人間族の侵攻は今も止まっていない。そして人間族の侵攻の動機は、自分たちだけが助かろうというきわめて自己中心的なものと推測される。四つ目の目的を果たす条件は満たされた」


 族長は特にためることもなく、サラッと言ってのけた。


「人間族の要人を殺害してもらいたい」


 やはり、それが最後の仕事になるらしい。

 密偵という仕事だけでも狼人族としてどうなのかという思いがあるのに、極めつけは暗殺である。


 族長に対し思うところは山ほどある。

 が、ひとまず私にとって問題なのは、その暗殺の対象が誰なのかだ。


「その要人とは、誰のことを指すのでしょう」

「英雄バクだ」


 これまた族長は即答した。

 まったく予想できなかったものではない。

 だがそれでも、動悸は抑えられなかった。


「やはり、彼なのですか」


 私は、そう聞いた。


「そうだ。鍵を握るのは皇帝でも宰相でも筆頭賢者でもない。結果だけを見れば、人間族の南下政策においては英雄バクの登場が分岐点となっている。それまで一進一退だった人間族の軍が、彼が出現した途端に連戦連勝となり、急に侵攻速度が増したことは事実だ。そしてお前からの報告を聞くに、彼は人間族の軍の象徴であり希望。よって、彼がいなくなれば人間族の侵攻速度は大幅に遅れるだろう。確保できるであろう時間で、私は各種族と外交をするつもりだ。

 それに、彼個人の能力は並ということだったが、若さを考えればいずれ狼人族にとって大きな脅威となる可能性も高い。彼を暗殺し、そのうえでお前がこちらに戻ってくることが理想だ。どうだ? 常に近衛兵に守られている皇帝や宰相とは違い、彼なら暗殺が可能なのではないか?」


「可能なのではないか? と言われましたら、可能ですとしかお答えできません。おそらく、今の私と彼との信頼関係を考えますときわめて簡単に暗殺できると思います。私はこの世界で彼を最も容易に殺せる者でしょう」

「可能だが、やりたくない。そういうことか?」

「そんなことはありません――と嘘を言ってもお見通しでしょうね。率直に申し上げます。とても抵抗があります」


 素直に、そう答えた。


「私は彼を世話する立場でしたが、世話をするということは一方的な利益の供与を意味しません。私が彼から与えられたものも決して無視できるものではありません。裏切りたくはないという気持ちは当然あります」


 子供ながら英雄として職務を全うしようとする彼の姿勢から得たものは、おそらく多くある。他にも、ぴったりとした言葉は思い浮かばないが、彼と一緒にいた時間も、彼が帰ってくることを待つ時間すらも、決して私にとっては無機的なものではなかった。


「お前を育てた一人の狼人族としては、その恩義を重んじる狼人族らしい考え方は嬉しく思う。だが狼人族の族長としては、それでは少し困るのだ。私はいかなる犠牲を払ってでも、狼人族の種族としての延命を第一に考えなければならない。それは理解してほしい」


 ――これだ。


 これまではぐらかされてきた答えが、ようやく完全なかたちでその口から出てきた気がした。

 ずっと、族長から直接聞いてはっきりさせておきたかったことだ。


 この大地の大部分が消滅するという確信を得ること。確信が得られたら、狼人族だけが助かるように世界を裏から操作すること。

 それこそが、密偵を他種族へ潜入させ、そして今、他種族の要人を暗殺しようなどという狼人族の矜持とはかけ離れたことをしている、族長の目的――。

 そのせいで、私は密偵としてヴィゼルツ帝国へと送られたのだ。


 族長の考え方や動機については、到底是とできるものではない。

 狼人族の種族としての延命を第一?

 それでは人間族がおこなってきた侵略と動機がたいして変わらぬではないか。

 そのために、私はここまで散々世話になったバクを、あそこまで懐いてくれているバクを殺害しなければならないのだろうか。


 いつだか族長は、バクと親しくなりすぎることについて「お前なら大丈夫だろう」と言っていた。

 その言葉の意味はやっとわかったが、いったい族長は何をもって「大丈夫だろう」と思ったのか。まったく大丈夫ではないということを、私の頭だけでなく、今激しく鼓動している心臓も示しているではないか。


「その二つのお立場での思いが一致していない――そのこと自体が、私には問題に感じます。私は族長に狼人族らしい結論を出していただきたく思います。どうか再考を願いたく」

「ほう。その狼人族らしい結論というものはどんなものなのか。先にお前の口から聞こうか」

「我々は特に何もする必要はないはずです。異種族と共闘する必要もありませんし、裏から操作する必要もありません。そもそも人間族を探る必要すらもなかったのではないでしょうか? もし人間が南進を続けるのであっても、その理由など本来我々には関係ないはずです。引き続き我々は我々の地でこれまでと同じように暮らし、もし我々の地に人間が侵攻してくるのであれば、潔く、正々堂々と、我々の種族だけで真っ向から戦えばよろしいだけのことです」

「そうすると、我々は滅びる。お前は間近で見たはずだ。人間族は強い。まともに戦えば我々は敗れるだろう」

「何か問題でも? ならば敗れて滅びればよろしいでしょう。我々狼人族は本来そのような種族であるはず。私はそれをあなたに教わりました」

「それはそうだが、そう簡単に理想だけで物事を押し通すことなどできぬ。お前も私の立場になればわかることだ」


 非常に聞き取りづらかったが、族長はここで一つため息をついたようだった。


「ケイよ。族長の命令は絶対。私はそれも教えたはずだぞ」

「……」


 それもたしかに、そのとおりであった。

 狼人族は年功序列。年長者や身分が上の者の言うことには従う。特に、族長の言うことは絶対とされている。

 自分も族長の命とあらば、なんでもするのが筋なのだろう。だからこそ、まったく気乗りのしない密偵の仕事をこうやって続けてきていたということもある。


 ただ、それでも彼を殺害するというのは避けたかった。


「では殺害する前に、一つ試させていただきたいことがあります」

「なんだ」

「バクは何も事情を知りません。帝国が異種族に脅かされており、その脅威を取り除くという正義の戦いをしているという話を信じて疑わず、帝国のためにこれからも戦い続けようとしています」

「それはお前から聞いて知っている。それで?」

「難しいかもしれませんが、彼に真実を伝えて引退させるのはいかがでしょうか。彼がもう戦に関わらないのであれば殺す必要もないはずです。もしくは可能そうな雰囲気があれば、彼は宰相や皇帝に会える身分ですので、彼のほうから帝国に対し停戦を提案させてみたいのですが」


 やや、間が空いた。


「いいだろう」

「ありがとうございます」


 迷っていたのか、やや抑えられた族長の声。

 私はその語尾へかぶせるように礼を言った。


「だが困難と判断すれば早めに殺害するようにな」


 そう付け加えられて話が終わっても、私はいつものようにすぐに通信を切らなかった。承知しましたとは言いたくなかったためだ。


「まさか、またこんなに噛みつかれることになろうとは」


 そのおかげか、そんな愚痴のようなつぶやきが、わずかに聞こえた。

 “また”とはどういうことか問おうかとも思ったが、通信が切れていないことに族長が気づいたのだろう。迷っているうちにあちらから通信が切られた。

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