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第61話(いえええい!)

 豪華な夕食を、両親は用意してくれた。


 人間族とは違い、狼人族は大きな邸宅を構える文化がない。私の生家も例に漏れず、というところだった。薬師である父親は村で比較的裕福なほうだとは思うが、それでもこの家はけっして大きくはない。


 だが、慣れ親しんだ板張りの間で、動物の毛皮で作られた敷物に座り、小さな膳に並べられ料理を味わう――そんな狼人族ならではの食卓風景は、私にとって何よりも心が落ち着くものだった。


「バク君。族長から人間族の血が混じっていると聞いているが、見た目は完全に狼人族だね」

「ははははい、この姿はそうみたいです」


 バクの声が震えているのは、寒さのせいではなく、まだ緊張しているからだ。

 この部屋は、凍えるような寒さとは無縁である。丸太造りではあるが、隙間はしっかりと埋められ、断熱性も高い。この家に限らず、村の住居は概してそういう造りだ。


「私とは違う原理だと思いますが、バクは人間の姿にもなれます。今はこの村にいるので、この姿でいますが」

「ははははい。なれます」

「おいバク、いつまでそんなにガチガチに緊張してるんだ」

「そりゃ緊張するって!」


 隣で呆れているペンギンと、ガツガツ食べている一号と二号は、緊張とも遠慮とも無縁のようだ。


「もしよかったら、人間の姿を見せてもらってもいいかな」


 父の申し出に、私は少し意外に思った。

 狼人族であれば、他種族の見た目にさほど関心を持たないのが普通だ。たとえ父が人の身体を診ることもある薬師であっても、それは変わらないはずだと思うのだが。


「はい! もちろん!」


 バクはすぐに人間の姿に戻った。


「……不思議だな。違和感がない。それどころか、この姿のほうがよい容姿のように見える。人間の姿を実際に見るのは初めてなのに、怖さや不気味さもない」


 父は台所にいた母も呼び、バクの姿を確認させた。


「あら、この姿もいいですね」

「むしろこちらのほうがよいのではないか? お前の目にはどう映る」

「……たしかに、そうかもしれません?」


 おそらくお世辞などではない。

 驚きだった。

 私も、バクは人間の姿のほうが魅力的であると思っていた。ただそれは、私が個人的に見慣れているからだと考えていた。


 バクに初めて会う両親も同じ感想であれば、その理由は成り立たない可能性が高くなる。私だけでなく、狼人族から見て、バクの人間姿は普遍的な魅力があるということになってしまうのかもしれない。


 もしやバクだけに限らないのだろうか?

 狼人族から見て、人間というものの容姿は、けっして『得体の知れぬ何か』や、『人ではない何か』ではないということなのか。


 思えば私は、密偵としてヴィゼルツ帝国に潜入して以来、人間族に対して外見的な嫌悪や恐怖を覚えたり、別種族ゆえに誰が誰だかわからないといったりは、一度もなかったように思う。


 執事長はまさに「紳士」といった風貌で、シンは美少年、バロンはがっしりとした体格ながら優しげで、ハンサは穏やかでいかにも優男という青年だった。初対面のときから、それぞれの印象を自然に受け取っていたこと自体、今思えば奇妙なことだったのかもしれない。


 ……。


 話はもっと大きそうだ。

 それは人間族に対してだけの現象でないかもしれない。


 ここまでを振り返ると、他の種族でも同じことが言える。

 爬虫人族もオーク族も、きちんとそれぞれが個人としてはっきりと認識できていたからだ。


 フィルーズという爬虫人族の顔もはっきり思い出せるし、この地に来るまでにやってきた追手のオーク族の顔も思い出せる。他の者と間違えたりしない自信はある。


 それは昔からだったのだろうか?

 いや、そうではなかった気がする。


 私は密偵としてヴィゼルツ帝国に行く前にも、回数こそ少ないが、他種族を見たことはあった。私は幼少のころから族長のもとで修業をしていたためだ。

 稀にやってくる使者や、例外的に族長の許可を得てやってきた商人、許可はないが紛れ込んできた者などで、爬虫人族もオーク族も虎人族も見たことはあった。


 そのときは、『言葉は同じだが、どこか得体のしれない別の生き物』という認識に近かったと思う。

 そして、背丈や身なりこそ個々で異なっていたが、爬虫人族なら爬虫人族全員が、オーク族ならオーク族全員が、同じ顔。見分けがつきにくい──というように感じていた気がする。


 不思議だ。あの感覚はいつ変わったのだろう。

 今までは考えたこともなかったが、謎としか言いようがない。


「え? そ、そそうですか? あ、でもよかった……嫌われなくてよかった、かも」


 逆に、バクの目には我々狼人族の姿がどう映っているのだろう。

 私の狼人族姿については、何やら「これはこれで好み」などと言っていたような気がしたが、それはバクなので参考にならない。村の他の者たちの容姿についてはどうだったのか。均一化されて映っていたのだろうか。


 今、聞いてみたい気もするが、この場ではやめておこう。

 緊張しきっている上、私の両親の前ではまともな答えも聞けそうにない。


「失礼な言い方かもしれないが、気に入ったよ。性格も素直でよさそうだしな」

「そうね。いつも澄まして無愛想なケイと一緒にやっていけているのもわかる気がするわ」

「ホントですかっ!? ああありがとうございます!」


 私の思案をよそに、両親はずいぶんとバクのことが気に入ったようである。

 これも狼人族という種族の性質を考えればまあまあ不思議なことではあるが、私個人としてはありがたい流れでもあった。


「ケイ。お前は今『族長付き』という立場になっていると思うが、これからどうなるのだ。お前たちはしばらくこの村にいられそうなのか?」

「それはわかりません」

「わからない?」

「はい。懸念が二つあります。一つは、族長から新たに密命を授かった場合に、それが私の考えやバクの意思とあまりにかけ離れている可能性です」


 族長が私に対しすぐ新しい命令を出してくる可能性は高いと思っている。その内容がどうなのかは予想がつかない。私やバクが受け入れがたいものである可能性も皆無ではない。


「私としては、バクの意向を最優先にするつもりです。彼は命の恩人でもありますから。基本的には、今後は彼がやりたいことに合わせ、共に行動していきたいと思っています。族長に対しては他にもこれまでの任務に関連して申し上げておかなければならぬことがありますので、この件も含めて説明をするつもりです」


「なるほど。二つ目は?」

「はい。私はバクと伴侶の関係になることを目指しています」

「……!」


 当たり前だが、父も母も手と言葉が止まり、固まった。

 それこそ、この地の氷漬けの針葉樹のようであった。


「げふっ、ごふっ」

「おいバク、大丈夫か」


 バクも予想外だったようだ。食べ物がのどにつかえたようで、ペンギンに心配されている。

 両親にこの話をするということを、事前にバクに相談しておかなくてよかったと思う。もしもしていたら、彼はもっと緊張していたに違いない。


 私の想定以上に、父と母の体が融解するのは早かった。


「……これは驚いたな。いろいろな意味でな」

「申し訳ありません」


 父は、いったん母と目を合わせて、わずかにうなずいてから言った。 


「しかし村で最も優秀だと族長に評されたお前がそこまで言うのだ。それは重く受け止めねばなるまい」

「わたしも驚きました。でも、いつも淡白なあなたが誰かにここまで入れ込むなんて……ちょっと面白いですね。いいと思いますよ」

「ありがとうございます」

「ただ、ケイよ。族長は説得しなければならないな」

「はい。伴侶となるには村長または族長の許可が必要、それが私たちのしきたり。それはむろん存じております」


 ここは族長がいる村であり、族長は村長も兼ねている。やはり本件も相談相手は族長ということになる。


「ただ先に申し上げましたとおり、族長には他にもいろいろと相談しなければならぬことがあります。詳しくは申し上げられませんが、あまり明るい話でないものもあります。それらに加え、バクの伴侶となる件も狼人族としてはおそらく前代未聞でしょうから、族長の不興が積み重なることになるかもしれません。杞憂であればよいのですが、結果として私がこの村を追放される可能性すらあると思っています。その場合、二人には迷惑をかけることになりますが――」


 父は、私の言葉の途中に、ふたたび母と目を合わせていた。

 そして食い気味で言った。


「私たちはまったくかまわない。お前のやることであれば、それは尊重しよう。思うようにしなさい」

「感謝します」

「でもバク君のことについては族長も反対しないと思いますけどね? たしかに前例はないかもしれませんが、族長はお優しい御方ですし」


 父も母も、とてもありがたいことを言ってくれている。

 たしかに、村の者たちは皆、族長の人柄を評価していた。厳しくも優しい。思慮深さもある。面倒見もよい。皆そう言っていた。


 だが、正直に言うと、今の私は両親ほど族長に信頼を置いていない。


 密偵としての任務を命じられ、族長と直接やり取りするようになってからというもの、理不尽さや冷徹さ、そして狼人族の矜持にそぐわぬ考えに触れることもあった。

 それに何よりも、一度はバク暗殺を命令した人物でもある。バクが狼人族の血を引くことが判明してから命令は撤回になったとはいえ、不信感はある。


「バク君」

「はははい!」

「ケイをよろしく頼むよ。ここは君の家と思ってもらってもいい。もしこの村にずっといられるのであれば、ずっとここにいてほしい。仮になんらかの事情でまたすぐ出ていくとしても、ここが君の帰るべき場所だ。いいね」

「あっ、あああありがとうございますっ!」

「ははは。緊張しすぎのようだな。こういうときは、どんな薬よりも酒が効くよ」


 酒――。

 ヴィゼルツ帝国の面々を思い出す。兵士や城の者たちは皆、酒に強そうだった。何度か見たことがあったが、バロンも、シンも、顔色一つ変えずに飲み続けていた記憶がある。


 例外として、宮廷賢者のハンサは酒にきわめて弱かったそうで、同僚に勧められても飲まないようにしていると聞いたことがあった。

 バクが酒を断っていたことは見たことがなかったが、はたして強いのだろうか?


 と思っていたら、あっという間に母が酒を持ってきた。

 器に注がれ、バクは飲まされ始めた。

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