爬虫人族の戦士長代理・フィルーズは、都に凱旋した。
街では民から温かな歓迎を受け、報告のために向かった城では長老会議から冷めた対応を受けた。
フィルーズは戦の報告を済ませ、そして南の“異形の村”の者たちへ身分を与えることに対しての許諾を得た。
しかし長老会議からは、戦士たちに対するまともなねぎらいの言葉は最後までなかった。
いつもであれば嫌みの一つでも言って退室するところではあったが、今回はフィルーズの隣には副官のシャプールがいた。
「嫌な予感がしますので」
そう言って戦後の報告に同行していた彼が、長老全員――最長老から彼の実父でもある末席の長老に至るまで――を終始静かに睨みつけていた。
そのため、自然とフィルーズの溜飲も下がった。
ヴィゼルツ帝国は今回の戦で多大な損害を出し、さらには精神的支柱となっていたと思われる英雄バクを欠くことになった。
よって、すぐ侵攻が再開されることはないだろうということで、戦士たちの緊張感も若干は和らいでいるように見えた。
「引き続き調べる必要がありそうには思うがな」
休養を十分に取らせるために訓練を早めに切り上げさせたフィルーズは、兵舎に引き上げていく戦士たちを眺めながら、そうつぶやいた。
「英雄バクと狼人族の動きの件、ですか」
副官のシャプールがそう返したので、フィルーズはうなずく。
「まあ、そうだ。英雄バクについては、実は狼人族、あるいは混血だったということならば、背景を詳しく調べないといけないだろ。いくらなんでも人間族の英雄が人間でないというのは不自然だ」
「実は人間でないということがなんの問題もないことなら、本人が発覚後に蒸発する必要なんてないでしょうしね」
「だな。あとは、狼人族から長老会議宛に届いたらしい書簡についても背景の調査が必要なんじゃないか。永世中立のはずの狼人族が他の種族へ干渉してくるって、相当なことだ。英雄バクの異変とどういう関連があるのかも気になる」
戦の報告をした際、バクの異変についても伝えている。が、長老会議の反応がなにぶん手応えがなく、フィルーズとしても不安が残ったままであった。
「長老会議は絶対に調査命令を出さないと思います。すでに頭の中はしばらくの平和を堪能することで一杯でしょう」
「おれからちゃんとした調査が必要だという提案をしたほうがいいのか」
「そうしたら、『わかった。ではお前が中心となってやれ』となるでしょうね」
「よし、ではお前が言ってきてくれ」
「承知しました」
「突っ込まんのか。今のは冗談だぞ」
「すみません。またあまりお上手でないご冗談でしたので、拾えませんでした」
真顔でサラッとそう言うので、フィルーズはばつが悪そうに頬を掻いた。
「提言した奴がそのままリーダーをやらされる慣習……というよりも長老会議の無精な性格はよくないよな。そのうちみんな面倒臭がって何も提案しなくなるだろ」
「すでにそうなっていますが……。今までフィルーズ様が能力的にこなせてしまったからこうなったという見方もできますね」
「同じことを前も誰かに言われたぞ。おれがいるからダメなのか」
「最善はフィルーズ様が長老会議を粛正し、仕事を振る側に回ることです」
「お前も冗談が下手だ」
「冗談ではありませんよ」
そのとき引き揚げていった兵士の方角から、文官が一人、控えめな装飾のチュニックを乱しながら駆けてきた。
「ん。どうした」
「長老会議からのお呼び出しです。城に至急いらしてください」
わかった、すぐに行く――とフィルーズとシャプールが動き出そうとすると、その文官はやや慌てたように付け加えた。
「あ、今回はフィルーズ様お一人で面会を、とのことです」
思わず、二人で目を見合わせてしまった。
とりあえず「わかった」と言って、文官を帰す。
「どういうことでしょうかね」
「お前がこの前長老たちを睨みつけていたから、怖がられているんじゃないか?」
「……そうならよいのですが。嫌な予感もします」
やはり真顔で、シャプールはそう言った。
ふたたび城の内門まで来たフィルーズは、すぐに異変に気付いた。
何やら一人の若い爬虫人が門番に詰め寄っており、なだめられているようだった。
「あっ、フィルーズ様。お待ちしておりました」
気づいた門番が声をかけてきたが、どう考えても普通でない雰囲気である。
フィルーズは押しかけていた爬虫人に声をかけた。
「どうした?」
「た、大変なんです。長老会議に急いで報告しないといけないことがあるんですが、今日はもう終わりと言われてしまって。こっちはそんなのわかったうえで来ているのに」
「今日はおれとの面会で終了なのか……長老会議の仕事じまいが早いのは今に始まったことじゃないが。何があったんだ?」
「私は西の果ての海岸の近くの村の者です。噴火で大変なことになりました」
「噴火は前からあっただろう」
「それが、その噴火後にあたり一面が陥没しまして。村も巻き込まれて消滅しまして」
「ぁあ!? 村が丸ごと陥没? どういうことだよ……村の者は無事なのか」
「避難できた者もおりますが、多くの犠牲者が出ました。私らも何がどうなっているのか」
衝撃的な事象に、驚くフィルーズ。
同時に、こんなところで止まってよい話でも後日また改めてと保留してよい話でもないと判断した。
「それは一大事だ。今日はもう終わりとか寝言を言ってる場合じゃないな。おれの面会の前に長老会議に報告したほうがいい」
「あ、フィルーズ様、しかし今日は長老様たちの許可が得られませんで――」
「そんなの無視だ」
行くぞ――。
フィルーズは門番の制止する声を一蹴すると、若い爬虫人を連れ、城の中に入っていく。
元々は田舎とされていた街にある城にしては、大きい。
その廊下を二人で、長老たちがいる部屋を目指して進んだ。
その途中で、やや広く天井も高くなっているホールがある。
奥に向かって右手には、飾られている鎧。
左手には、とぐろを巻いておとなしくしている大蛇が二匹。城で飼われているものだ。もちろんフィルーズは信じていないが、蛇、特に大蛇は青竜の化身とも言われ縁起のよいものとされている。
普段から長老会議に会うときはここを通っているのだが、いつもと違い、大蛇の近くに控えている調教師がいない。ホールの両脇に控えていた城の戦士もいない。
誰もいないのはなぜだ?
と、さすがに怪しんだそのとき。
音もなく、凄まじい速さで、二匹の大蛇が戦士長代理に襲いかかった。
「なんだ!? あっ」
一緒にいた西の果ての村の文官の腕よりも優に太く、斑紋を持つ長い体。
フィルーズの背中に背負われていた剣を勢いよく弾き飛ばし、そのままあっという間に彼の体へまとわりついた。
一匹は手足に、一匹は胴体と尻尾に。
「なんだこれはっ!? どうなっ……」
そして、彼の体を締め上げていく。
「ぐああっ」
「フィルーズ様!」
文官が慌てて引き剥がそうとするも、びくともしなかった。
本人も鍛え抜かれた手足、体幹、それに尻尾も使い、振りほどこうとするも、あえなく床に沈む。
「ぐっ……くうっ……」
そこからさらに大蛇二匹は、フィルーズの体を締め上げた。
「ぐああああっ!!」
乾いた石の床の上で、体が反る。
喘ぎ声がホールに響いた。
「だ、誰かッ」
文官が頼りない声量ながら叫ぶと、フィルーズたちが来た方向から、城の戦士が一人駆けつけてきた。
「フィルーズ様!?」
驚いた顔をし、慌てて剣を抜く。
巻き付いている大蛇を刺そうとした。誤ってフィルーズの体を刺してしまわないよう、慎重に狙いを定めた……ことが仇となった。
「あっ」
大蛇の尾が速い。剣が弾かれ横に飛び、飾ってある鎧に当たって金属音が響いた。
そしてさらにフィルーズの体を一段と強く締める。
「う゛ぐあ゛ああああッ――!!」
「す、すぐに応援を呼……」
「ダメです! 間に合わな――」
苦痛にあえぐ声に背骨のきしむ音が混じり、戦士と文官の表情が絶望に満ちた。
そのときだった。
「フィルーズ様!」
そこに現れたのは、線が細く、あまり戦士の格好が似合っていない爬虫人。
城には同行するなと言われていたはずの、シャプールであった。
「今お助けします」
彼は帯剣していたが、それを抜かなかった。
右手の中指と親指をつけて輪を作り、口で挟んだ。指笛である。
ヒューッという大きな音がした。
「……!」
戦士と文官が目を見開く。
大蛇の動きがピタッと止まり、そしてほどけていく。
「大丈夫ですか」
「ぅ……はぁ……はぁ……だ、大丈夫だ……」
まさに背骨をへし折られて命を奪われようとしていたフィルーズは、荒い呼吸で立ち上がった。
「ありがとな。おかげで助かった……が、なんでここに」
「嫌な予感がしましたので、命令を無視して追いかけてきておりました」
「そ、そうか」
フィルーズはあたりを見回す。
襲ってきた蛇は、また定位置に戻り、おとなしくとぐろを巻いていた。
「お前、ここの蛇と会話でもできるのか」
「私は短い期間ですが調教師として働いたこともあります。もっとも、父から懲罰的に与えられた仕事でしたがね。当時と調教の仕方が変わっていなくてよかったです」
「コメントが難しいぞ」
「ところで今の調教師の姿が見えませぬが?」
「最初からいなかったんだよ」
「……。なるほど」
シャプールはそう言うと、飛ばされて転がっていたフィルーズの剣を見つけ、拾った。
鞘に入ったままのそれを、持ち主に差し出す。
「さあ、これを手にお進みください。そして長老たちに退陣を迫ってください。それが受け入れられぬなら部屋を血の海になさい。微力ながら私も――」
「いや、ちょっと待て。そういう血なまぐさい話にするな」
「あなたならお気づきになっているでしょう? 私が理由不明のままフィルーズ様から引き離され、ここにいるはずの調教師も席をちょうど外しており、飼い慣らされているはずの大蛇が襲い掛かってくる? そんなことがありますか。
どう考えてもこれは、英雄バクが消えたことでフィルーズ様が不要になったと判断した“長老会議による罠”です。幸いにもこちらの方々が証人になってくださるでしょう。それでも証拠不十分だと思われるなら調教師を捕らえて拷問して吐かせましょう。今こそ決断のときです」
城の戦士と文官が、やや気圧されたような顔をしながらも、わずかに首を上下に動かした。
城には他の戦士たちがもっといるはずなのだが、他に駆けつけた者はいない。どうやら配置を意図的に声の届かないところに移動させていたと思われた。
長老会議もこういうところだけは段取りがいい――フィルーズは内心で感心しながらも、新たに副官になった彼の提案には乗らなかった。
「いちいち過激だよなお前は……。もうちょっと見かけに言動のほうを寄せてくれ」
「……」
「おれは同胞は斬らんさ。部下にもそんなことをさせたくない。ましてや命の恩人にはな」
気持ちだけありがたく受け取っておく――そう言って剣を受け取ると、腰には差さず、鞘に仕舞ったまま背中に背負った。