「げ! ナポリタン三千円? また値上げしたの?」
げんなりとした表情で、古びたメニューを手にした青年は、驚きの声を上げる。
ジーンズに白いTシャツという、カジュアルな出で立ちの、黒髪をラフなショートにしている青年は、不満気に言葉を続ける。
「この前、値上げしたばかりなのに!」
レトロなゲーム機の電子音が、あちらこちらから聞こえてくる、レトロな内装の喫茶店の中に、青年の言葉が響き渡った。
「文句はドラゴン共に言ってくれよ」
カウンターの中にいるエプロン姿の男が、近くのテーブル席を占拠している、常連客グループの一人である青年に、言葉を返す。
喫茶店のオーナー兼マスターである男は、禿げているせいか、実年齢より老けて見られるのだが、まだ四十代である。
絵の様に壁に掛けられている、薄型のテレビを指差しながら、マスターは言い足す。
「あいつらのせいで、食材や燃料の値段が上がり放題なんだから。三千円でも、殆ど儲け無しなんだ」
テレビ画面には、あたかもVFXを駆使した映画のような光景が、映し出されている。
だが、テレビが放送しているのは映画ではなく、昼のニュース番組である。
流されているのは、都市や港湾地域における、激戦の映像。
戦っているのは、ファンタジー物の映像作品に出てくる、ドラゴンのような存在と、映画やアメコミに出てくるような、スーパーヒーローとしか思えない、個性的なコスチュームに身を包んだ者達。
作り物の映像ではなく、ほんの一時間程前に、アメリカ軍が撮影した映像である。
映像と共に流れる、女性アナウンサーのナレーションが、映像の内容を説明する。
「オレゴン州ポートランドを襲撃した、デストロイヤー級一体と、フリゲート級五体……五体のドラゴンの撃退に、ドラゴンスレイヤーズは失敗。ポートランドは完全に、ドラゴンの勢力圏となりました」
ドラゴンスレイヤーズとは、スーパーヒーロー風の者達のことだ。
アメリカ軍ですら太刀打ちできない、ドラゴンと定義された人類の敵を相手に戦う為、超常的な力を持ったスーパーヒーロー達や、その敵であった悪党達、スーパーヴィラン達が手を組んだ。
そして、龍殺しの英雄達……ドラゴンスレイヤーズを名乗り、欧米と中国とロシアを舞台に、ドラゴン達と戦い始めたのである。
だが、戦況は不利といえる状況で、多くの都市が廃墟と化し、ドラゴンの支配圏と化してしまった。
今のところ、ドラゴンによる直接的な被害を受けているのは、欧米と中国とロシアだけであり、日本にドラゴンは姿を現してはいない。
だが、日本もインフレや物不足という形で、被害を受けている。
「アメリカ最大の小麦出荷量を誇る、ポートランドの陥落は、小麦価格と消費者物価指数の更なる上昇を、引き起こすことになりそうです」
「……来週辺りは、四千円超えてそうだな」
テレビ画面を半目で睨みながら、言葉を吐き捨てた青年は、対面に座っていた、縁なし眼鏡の色白の少女に、メニューを手渡す。
「デフレの頃が懐かしくなりますね、こう値上がり続きだと」
縁なし眼鏡の少女は、メニューを見ながら愚痴を吐く。
黒髪のショートボブが印象的な、サロペットに水色のノースリーブのシャツという出で立ちの、真面目そうな見た目の、小柄な少女だ。
メニューの価格の部分には、値段が書かれたシールが重ね貼りされている。
今年の四月にドラゴンが現れてから、梅雨が明けたばかりの七月初旬の今に至るまで、何度も値上げが繰り返され、その度に新しい価格のシールが、上から貼られ続けた結果、そうなったのだ。
「ここまで値上がりすると、高校生の財布にはキツイよ。土曜会の集合場所、どこかお金かからない所に変えませんか?」
縁無し眼鏡の少女の言葉に、少女の左隣に座っていた、背の高い少女が、メニューを覗き込みながら応える。
「これくらいなら、どうってことないじゃない」
しれっとした口調で言い切る、背の高い少女は、栗色のロングウェーブヘアと、日焼けしたかの様な色合いの肌と、派手な顔立ちが印象的だ。
ちなみに、髪の色も肌も、メキシコ人の母親の影響による、生まれつきの色である。
ダメージジーンズと、白い半袖のブラウスに包まれた肢体は、程よく鍛え上げられている。
護身術として、キックボクシングを習っているせいだ。
「毎月の小遣いが十万円もある、
背の高い少女……
「
「俺等……大学生組と違って、
ナポリタン好きの、ジーンズに白いTシャツ姿の青年……
大学一年生の寧人は、高校三年生の清音や百虹架よりも、一つ年上である。
だが、 年下に見える程に童顔であり、長身の百虹架よりは、背も少しだけ低い。
肌の色は 百虹架と同様、日に焼けたような色合いだが、生まれつきなのだ。
寧人の言う大学生組とは、土曜会というサークルに所属する、大学生メンバーのことだ。
土曜会というのは、元々は埼玉県の
暇なOBやOGが、自然と土曜日の午後に、レトロという喫茶店に集まり始めた結果、何時の間にかサークル状態となり、土曜会という名がついたのだ。
今では社会人や大学生だけでなく、清音や百虹架のように、現役の電子遊戯部の部員達も所属していて、毎週の土曜日の昼には、二十人以上のメンバーが集うようになっている。
土曜日の昼頃にレトロに集まり、会話やレトロゲームを楽しみつつ、昼食をとる。
その後は、茶山市の商業地区に繰り出し、ゲーミングパソコンを揃えたeスポーツ施設でゲームを楽しんだり、ゲームセンターでアーケードゲームを楽しんだりするのが、土曜会の基本的な流れだ。