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第3章 猫かぶり神官の作法(前編)

 念をいれて引き裂いたボロ服と、真っ黒な髪の房。これらを差し出しただけで、タリンの両親は何が起きたか察したようだった。

「俺たちがついてやらなかったばっかりに! タリン、タリン……」

「ああ、どうしてこんなことに……」


 なるほど。俺は厳粛な表情を保ったままタリンの両親を眺めた。父親も、その腕にすがりつく母親も、髪と目の色は淡い茶色だ。目鼻立ちにもタリンを思わせるところはない。


「骸は見当たりませんでした。獣が引きずって隠したのではないかと」


 母親は両手で口を覆い、父親は顔をそむけた。村長が二人を隠すように俺の前に進み出て、うやうやしく礼をする。

「神官様がいなければ、何ひとつ残らなかったに違いありませぬ」


 まったく、白々しいやつらだ。むかっ腹が立ってきたが、顔に出すわけにはいかない。俺はすました声で答えた。

「わたしが見い出したのではなく、世界樹が導いたのです」

「まことにさようで。お心に感謝いたします。お疲れでしょう、どうぞお体をお清めください」


 タリンのことがなかったら、これを聞いて心から喜べたにちがいない。すぐに俺とジェンスは共同の浴場だという小屋に案内された。とはいえまともに体を洗うのはひさしぶりだったから、森に残してきた子供のことはひとまず忘れることにした。


 ジェンスと並んで垢を落とし、髪も洗って、湯の中でこわばった体をあたためる。馬の背でかちかちになった筋肉がほぐれ、心からほっとしたものの、小屋の壁は薄いし、外で誰が聞き耳を立てているかわかったものではない。

 もちろんジェンスもそれは承知だ。俺たちは湯から首を突き出したまま、目と目をみかわす。


「ジェンス、明日ですが、橙礼の祈りの際に分枝の儀式を行い、出発するつもりです」

 俺が「猫かぶり神官」の声で話しはじめると、ジェンスの目が愉快そうに光った。

「承知しました、ユーリ様」

「森にも立ち寄らなければなりません。あの気の毒な魂が枝の間をさまよっているのを感じます。我々だけで参りましょう。魔物の生じる裂け目については村人に話さないように。怖がらせる必要はありませんから」

「そうですね。わかりました」


 俺たちは同時にニヤッとし、俺は大きな音を立てて湯からあがった。鞍袋にしまっていた長衣に着替え、髪に櫛を入れる。二人で小屋を出ると、視界の隅を影が駆け抜けていった。

 よしよし、ちゃんと聞いていたな。俺は内心ほくそ笑む。これでいい。


 夕食の席には村長だけでなく、長老や顔役など、主だった村人が全員そろっていた。奥には水甕に生けた聖なる木の枝がうやうやしく飾ってある。

「大神殿の方を迎えられるとは、我々はなんと幸運なことか」

「聖なる木の祝福があれば、作物もきっと豊作に……」

 食卓は最初のうちこそ静かだったが、俺とジェンスが食べることだけに専念していると、やがて村人だけで盛り上がりはじめた。俺は猫をかぶったまま、黙って耳を傾けていた。農地や家畜を案ずる声は聞こえたが、タリンのことは誰の頭にも残っていないようだ。


 村長の妻が酒を運んできた。俺とジェンスは儀式を口実に断ったが、村人は盃をどんどん回し、それに伴って声もだんだん大きくなっていった。

 ジェンスは村の顔役に、盗賊に遭ったらどう撃退するのか、話をしろと熱心にせがまれている。俺の隣にも、酔って顔を赤くした村人がやってきた。

「し、神官様はどちらのお生まれですか、その御髪は生まれつきで……?」

「はい。父がイスキグアの血筋だと聞いています」


 俺はにっこり微笑んだ。別の村人がすかさず酔っぱらいを叱りつける。

「こら、失礼なことを聞くもんじゃない!」

「そうだよ、どこでお生まれになったにせよ、幼いころから神殿にお仕えされたにきまってる」

「いやいや、怒るなって。去年隣村に異能持ちの子が生まれたって聞かなかったか? この村じゃ一度もないっていうのに」

「なに、それでいいのさ。異能を授かるのは男だけだ。こんな辺鄙な村で、男手が減ったら困るだろうが」

「だけど魔物の取り替え子よりよほど――」

 誰かがそう口走り、あわてて口を覆った。

「神官様神官様!」


 村長の妻が甲高い声を上げて俺とジェンスのあいだに割りこんできた。うっかり口をすべらせた村人はそそくさと立ち上がり、その向こうから来た少年が空いた皿や盃を片づけはじめる。この家の子供だろうか。タリンよりは年上のようだ。

「明日はこの枝の儀式をしてくださるとか? 水甕はそのままでよろしいでしょうか?」


 村長の妻がたずねた。俺はうなずいたが、猫かぶり神官の笑顔を貼りつけるのにもいいかげん疲れてきた。ふとみると、ジェンスは酔っぱらった村人に、部屋の隅へ引っ張られている。腕相撲を挑まれているらしいが、わりとよくあるパターンだ。みんな娯楽に飢えているし、神官には近寄りがたくても、兵士はそうでもない。


「それでけっこうです。わたしはそろそろ休みますが……」

 いいかけてからふと思いついて、俺は部屋の中を見回した。

「長老はどちらに? お聞きしたいことがあるのですが」

「は、はい。呼んでまいります! ネイロス!」


 村長の妻が叫んだ。食器を片づけていた少年が顔を上げる。

「そこはいいから、長老様を探して」

 少年はむすっとした顔でうなずき、食器を置くと大人のあいだをすり抜けていった。村長の妻は困ったような顔をする。

「息子です。神官様にあんな顔をして、申し訳ありません」

「とんでもない。遅くまで歓待に感謝いたします」


 ジェンスを囲んだ村人たちが歓声をあげている。村長をつかまえて夕食の礼をいっていると、廊下から少年の声が「神官様」と呼んだ。どうやら長老は用足しに出ていたらしい。ネイロスと呼ばれた少年は唇をキッと結んで俺を見ると、また部屋に戻っていく。


「神官様、わしに御用があるとか? この老人にできることなら何でもお申しつけください」

 長老は少年とちがって喜色満面の笑みを浮かべていた。俺は余計な前置き抜きに、単刀直入に聞くことにした。

「はい、タリンのことです。彼に何があったのですか?」

「タリン……ですか……」

「さっき誰かが、取り替え子がどうとかいってましたが」

「なぜそれを」


 長老は笑みを消して、そわそわと体を揺らした。うつむいて両手を揉みあわせたまま、しばらく迷った様子を見せる。しかしふたたびあげた顔には、ほっとした表情が浮かんでいた。

「いや……ああ、きっと神官様にはお見通しだったのでしょう。あの不吉な黒髪を見ただけでわかったのだ。きっとそうなのでしょう?」


 俺は表情を変えずに聞き返した。

「何のことでしょう? わたしは一介の神官にすぎませんから、お話いただけないとわかりません。それで、タリンはなんだと?」

「ですから、母の胎の中で魔物に取り替えられた子ですよ。わしらはずっと恐れていたのです。いつか村に害をなすのではないかと……あなた様が訪れた日に、あの子が森へ行ったのが何よりの証拠だ。しかしそうはいっても親は親、嘆き悲しむのは仕方のないことで、ですから……」


 俺と長老のあいだを長身の影がさえぎった。ジェンスが音もなくやってくると、俺の斜め後ろに立つ。

「ユーリ様、そろそろお休みにならないと」


 まるで従者のようにいったが、要するに釘を刺しにきたのだ。ジェンスはタイミングというものをわかっている。つまり、俺の我慢がどのくらい続くかわかっているということだ。


「なるほど、わかりました。では、わたしは休むことにします。また明日」

 俺はなんとか言葉をひねりだすと、用意された部屋へ行った。



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