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第7章 前途有望な新人(後編)

 牧場を並んで歩く二頭の馬。先頭を行く馬の背は大きな影が、そのあとに続くもう一頭の背には小さな影が乗っている。


「よし、その調子だ」

 ジェンスの声がした。タリンに駆け足を教えているのだ。俺は涼しい木陰に寝そべって、のんびり二人を眺めている。


 タリンは聞き分けがよく、覚えも早かった。侍者として俺を手伝うやり方もすぐに飲みこんだし、最初の何日かは馬の背によじのぼるだけで必死だったのに、今はひとりで手綱を握れるようになっている。

 今も移動の時はジェンスの鞍の前に座っているが、しばらく三人で旅をつづけるなら、もう一頭馬を都合するか、ロバを手に入れた方がいいのだろうか? でも……。


 俺は草の茎を折って匂いをかいだ。

 タリンの聞き分けがいいのはきっと、俺たちに置いて行かれたくないからだ。俺も両親が死んだあと、村長の家でいいつけられるまま、必死で働いたものだった。ただし俺の場合はその結果、ろくなことにならなかったのだが、俺としてはタリンに同じ思いはしてほしくない。


 そのせいかもしれないが、タリンの従順な様子を見ていると、俺は時々むずむずしてくるのだった。十六で大神殿に拾われた俺が、どのくらいフィシスのいいつけを破ったかを思い出すからってのもあるけど。


 そうはいっても、タリンに儀式を手伝わせるようになってからはいいことばかり続いていた。俺は現地の怠慢な神官にイライラさせられることもなく、恵みに満ちた豊かな土地を回り、祈りを捧げ、歓待されて、ゆっくり休んで――そう、今みたいに――次の集落へ。


 天気もよく、急な嵐にも遭っていない。それにもっとも重要なことは、魔物の出そうな裂け目にまったく出くわしていないということだ。どんなに恵まれた土地にも裂け目は生まれるものなのに。

 もしかして俺たちは、タリンと一緒に幸運も拾っていたりして……。


 俺は無意識に草の茎を噛んでいた。近くで草を踏む音がした。

「双翼の神官様」

「え、は、はい!」


 俺はあわてて起き上がった。そこにいたのは村の女衆のひとりで、年齢は俺の死んだ母親くらい。頭のてっぺんに灰色の長い髪を巻きあげ、葉脈の模様を編んだショールを肩にかけている。顔色が悪く、目の下にうっすら隈が浮かんでいる。


 俺は立ち上がり、微笑みながら手をあわせた。

「世界樹のめぐみに感謝を。とても気持ちのいい天気ですね」

「え、ええ……」

「お疲れのようですが、大丈夫ですか? お名前は?」

「シャアランと申します。神官様、お邪魔して申し訳ありません、その……」

「わたしに話したいことがあるのでしょう?」


 俺は人差し指を唇にあててみせる。

「大丈夫、お話を聞くのもわたしたちの役目ですから。ご家族に何かあったのですか?」

 シャアランが目を見開いた。

「なぜそれが……」

「世界樹のお導きです」


 俺はにっこり笑って続けたが、本当は世界樹なんてまったく関係ない。下級神官は住民にしょっちゅう相談をもちかけられるが、ほとんどは病と家族についての悩みで、ごくたまにあるのが色恋の悩みというやつ。で、寄合所では病の話がまったく出なかったし、シャアランのような女衆がこんなところで色恋の悩みを相談するなんて考えられないから、俺の返しはこれ以外にないのだ。


「お子さんがご心配なのですね。娘さんですか?」

「ええ、湖水の方へ嫁いだ娘から手紙がきて……」

 娘さん、はあてずっぽうだったが、どうやら大当たり。

「……村に植えられた聖なる枝が枯れかけているというのです」


 おっと――これはよくある悩みではない。俺は頬を引き締めた。

「娘さんはどこに住んでいられるのです?」

 シャアランは心配そうに両手を組み合わせる。


「タトゥスリーという村です。近くに神殿もありませんし、むかしから道が悪くて、めったに神官様の祝福もいただけない辺鄙なところで……。でも、ずっと前に植えられた聖なる枝があるというので安心していたのですが、それが枯れかけていると」

「タトゥスリー」

 俺は村の名前をくりかえした。

「聖なる枝が……それは心配ですね」

「この春のはじめに水害で道が変わってしまい、この手紙が届くのもずいぶん日にちがかかりました。今ごろはどうなっているか気が気でないのですが、実は、娘が嫁に行ったときにいろいろあったものですから、当地の神官様にたずねるのも……」


 ふーん。いろいろあったとは、娘さんはよそ者に惚れて駆け落ちでもしたのだろうか? たとえそうだとしても、俺がつっこむことじゃない。

「わかりました。急ぎの用事はありませんから、次に立ち寄ることにしましょう。娘さんの名は?」

「ララアです。あ、ありがとうございます!」


 シャアランの背中を見送って、俺はふりむいた。さっきからジェンスが俺を見守っているのはわかっていた。タリンがその影から顔を出す。


「次の行き先が決まったぜ」

「どこだ?」

「ここから南へ下った湖水のあたり、タトゥスリーという村だ。むかし植えた枝が枯れかけていると」

 ジェンスがかすかに眉をあげた。

か」

「ああ。あまり神官がよりつかない土地らしい。名前のせいかな」


 ⁠タリンが怪訝な顔をしている。俺はその肩に手を置いた。

「さて、休憩終了! 次の村でもよろしくな、タリン」




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