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第7章 前途有望な新人(前編)

 晴れた空の下に人々が集まっている。風に乗って流れてくるのは草の匂いと家畜の鳴き声だ。

「ユーリ、用意はいいか?」

「ああ」

 ジェンスがポンと俺の肩を叩いて歩いていく。俺はその反対側から、輪になった人々の中央へ出ていった。


 深く腰を折って礼をしてから、前にさしだした手を組み合わせる。人の輪のどこかからひそひそささやく声があがるのは、まあ、よくあることだ。


「知ってる? 大神殿から来たあの神官様が枝にさわったら、一瞬で芽がでてきたの!」

「黙って。お祈りがはじまってるじゃないの! ほら、じろじろ見ないの」

「でも神官様もおつきの方も素敵じゃない? それにあの子も可愛い」

「もう、口を閉じなさいって! 聞こえちゃう」


 遅いな、バッチリ聞こえてます。でも気にしなくていいよ。旅芸人・神官としては、褒められると張り切っちゃうからさ――なんて思いながら、俺は指を組み合わせて〈型〉を作ると、朗誦をはじめる。顔にはもちろん、猫かぶり神官の微笑みを貼り付けたままだ。

 今日の演目はタリンの村でやったような、くたびれる儀式ではない。俺には目をつぶっていてもやれる。といっても目をつぶると〈綾〉が見えないから、これは言葉の綾ってやつだけど。


 このあたりの集落には、地域をまとめている神殿からこまめに下級神官がやってきて、祝福や治癒を施している。だから、この地の神殿は俺たちに分枝の儀式を丸投げするなんてことはしない。俺たちは魔物退治の専門家として、近年あらわれた裂け目の話を聞いたり相談に乗ったりはしたものの、俺がいま捧げている祈りは、この地の恵みに敬意を表するためのものにすぎない。


 本来地方の神殿はそうあるべきなのだ。すこしばかり外見のちがう子供が生まれたからといって、魔物の取り替え子だなんて思いこむ迷信に染まらないよう、つねに人々を導かなくちゃいけない。


「葉より滴る恵みを、我らの手へと受け取らせたまえ……」


 ジェンスは例によってすこし離れた、俺を囲む円弧の端に立っている。だが今日、この旅芸人一座には新たな役者が加わっているのだ――つまり、タリンが俺のすぐそばに控え、聖なる木の枝を捧げもっている。


 俺は目の端でさりげなくタリンを追っていた。もし彼に異能があるのなら、俺の祈りに反応するかもしれないし、〈綾〉の気配を感じるかもしれない。

 実は俺は、タリンが生まれ故郷で「魔物の取り替え子」と思われていた原因が、未発現の異能のせいではないかと疑っていたのだ。


 朗誦を続けながら音を立てて両手を打ち鳴らす。教えた手順の通りにタリンが枝をかかげると、〈綾〉が虹色の霧となって白い長衣を取り巻き、集落の中へ散っていった。


 さて、祈りの実質部分はこれで終わりだが、まだ続きがある。というより、見物客にとってはむしろこのあとが本番なのだ。俺はタリンから枝をうけとると、緑の葉を千切り、輪になって囲む人々の方へばらまいた。

「わぁっ」

 どよめきがあがり、人々は葉っぱをつかもうと手をのばす。


 実は葉っぱそのものに何か力があるわけじゃない。これは〈綾〉が見えない人々へのサービス、わかりやすい象徴を与えることだ。大神殿が世界樹の枯れ枝を杖にして巡礼に配るのと同じである。


 俺は葉っぱをばらまきながら、ぐるりと円を描くように歩いた。一周してからタリンがどこにいるか確かめると、打ち合わせ通りに円の外へ出ていた。

 ジェンスが俺をつかまえると、耳もとに唇を近づけてきた。


「どうした?」

「タリンを探してたんだ。緊張してるんじゃないかと思ってさ」

「大丈夫だろう。堂々としていたぞ」

「ああ、そうだな……」

「何を気にしてるんだ、ユーリ?」


 まったく、よく気がつくやつだ。


「タリンには――」

 俺は続けようとして、村の女衆がこっちをちらちら見ながらささやきあっているのに気づいた。何となく見返すと「きゃあっ」と声があがる。

「……? なんなんだ?」

「ユーリ」


 ジェンスが俺の肩に腕を回した。

「笑って」

「は?」


 ジェンスが何を考えているのかわかっていないまま、俺は猫かぶり神官の笑みを浮かべた。またきゃあっという声が聞こえた。





「侍者って何をするの? 神官様は優しい?」

「髪がさらっさらねえ」


 寄合所でごちそうになっているあいだ、女衆はなぜか俺たちを遠巻きにして、かわりにタリンをちやほやしている。タリンは最初とまどっていたが、誰も自分の外見など気にしていないとわかると落ちついてきた。


 そうそう、それでいいんだ、と俺は思った。誰もおまえを傷つけないからな。堂々としてろ。


「で、タリンがどうしたって?」

 ジェンスが俺の横で聞く。ちなみに俺たちは寄合所の奥、すこし高くなったところに座っている。祭壇に備えるみたいに食べ物を並べられて最初は居心地悪かったが、タリンは可愛がられているし、落ちついて食事ができるのはいい。


「異能はなさそうだと思ってさ……ま、俺みたいに覚醒が遅いって可能性はあるけど」


 俺は答えながら別の皿に手を伸ばす。ヘルレアサの丘から離れると、祈りや浄化のあとやけに体が重くなる。いつも腹が減ってるわけじゃないし、朝から晩まで疲れているわけじゃないが、食べられる時に食べなければ。


「残念だったか?」

 もぐもぐしている横でジェンスが聞いた。

「いや、ほっとしてる。実は心配してたんだ。タリンがもし異能者だったら、俺たちとのんびり旅してるわけにはいかない。急いでライオネラに戻らないと、万が一俺みたいにやらかしたら大変だ」

「まちがって結界を破ってしまうとか?」


 ジェンスは冗談でもいってるみたいに軽い口調で続け、俺は吹き出しそうになった。


「そーだよ。で、魔物が出てきてこんにちはっていう……まあ、俺みたいなことはふつうないってフィシスはいったけどさ」

「大丈夫だ。今の俺ならお前が浄化できるよう、念をいれて斬ってやれる」

 それはそうだ。今のジェンスはあのころとはちがう。魔物を斬る訓練を重ねた神殿兵だ。

「そりゃわかってるけど、タリンはびっくりするだろ」


 俺は女衆のあいだでもじもじしているタリンに目をやる。今のタリンを見て、ぼろ服で木の洞にうずくまっていた子供だとわかる人間が何人いるだろうか?


「……タリンが可愛いんだな」

 ジェンスがボソッといった。

「そりゃあんなにちっこいし……なんでそんなことを聞く? まさか、おまえも女衆に可愛いっていわれたい?」

「まさか」

「だよなぁ。だいたいおまえは最初に会った時から可愛いっていうよりかっこいい方で――あ、タリン? こっちだこっち」


 タリンが来たので横に座らせると、女衆がいっせいにこっちを向き、はぁっとため息をついた。――よし。旅芸人一座の新人は人気抜群のようだ。



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