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第二十九話 霧子の気持ち


「霧子……別になんでもないさ」


 清歌はとっさに誤魔化した。

 絶妙に返事になっていない。


「なんか隠しているでしょ?」


 霧子は訝しむような視線を清歌に浴びせる。

 こういう時の彼女は妙に鋭い。

 女の感ってやつだろうか?


「別に何も隠してないって。そういう霧子こそ、こんなところで何してるわけ?」

「こんなところで悪かったわね。ここは私の家の前よ」


 霧子に指摘されて気がついた。

 言われてみればここは彼女の家の前。

 そんなことにも気がつかないほど、自分は動揺していたのか。


「ねえ清歌、大事な話があるんだけどいま良いかな?」


 清歌が答える間もなく霧子が腕を引っ張って走りだした。

 引っ張られるだけの清歌は、霧子のうしろ姿をただ見つめるしかなかった。

 抵抗する気も積極的に走るでもない。

 彼女に握られた手のひらの感触にドギマギする。


「どこまで行くのさ」

「もう少し」


 いっこうに止まる気配のない霧子にたずねたが、答えは無機質な声色での一言だけだった。

 怒っているわけではなく、霧子も緊張しているのだ。


「強引に引っ張ってきてごめんね」


 数分間のマラソンの末にたどり着いたのは、裏山の入り口だった。

 少し前まではよく通っていた場所。

 綾音の解放を願い、清歌が毎日のようにかよっていたスポットだ。

 見慣れた鳥居が裏山の入り口に鎮座し、日が暮れてきた裏山は神秘的な雰囲気を醸し出す。


「なんでここ?」


 清歌は意味が分からないといった様子だった。

 裏山にあるのは当然お祈り地蔵。

 霧子にはお祈り地蔵の件は話してあるので、なおのことここに来た意味が分からなかった。

 正体を知ったうえで、本気で何かをお祈りするはずがないのだ。


「憶えてないの? ここは私たちが初めて一緒に出掛けた場所じゃない」


 霧子の言葉に清歌は昔の記憶をほじくり返す。


 小学生の頃だった。

 清歌が両親を亡くしてこの空神町にやってきてからしばらく、清歌はふさぎ込んでいた。

 小学生の男の子が両親を交通事故で亡くしたのだから当たり前だ。

 むしろケロッとしているほうがおかしい。

 そんな日々の中、同じクラスで家が近かった霧子とは頻繁に顔を合わせていた。

 霧子も霧子で、親から清歌の事情を聞いていたせいか、幼いながらも母性のような感情を抱いて清歌に接していた。

 何度も霧子は清歌に話しかけていた。

 登校中、休み時間、学校帰り。

 他のクラスメートたちにカップルだと揶揄われながらも、霧子は清歌と接するのをやめなかった。

 しかしいくら話しかけても清歌はたいした反応を見せなかった。

 当時の清歌は霧子のことをしっかりと認識はしていたし、感謝もしていた。

 だけれどどう反応していいか分からなかったのだ。

 人の目を気にするあまり、清歌は人に対する接し方を忘れてしまった。


 清歌の両親が交通事故で亡くなってからというもの、当時通っていたクラスのみんなは、腫れ物を扱うかのように清歌に接し始めた。

 担任の先生も、周囲の大人たちも、引き取ってくれた祖父母でさえ……。

 かわいそうな少年というレッテルは、小学生の清歌に重くのしかかる。

 そのせいか異常に、他人からどう思われているのかが怖くなった。

 楽しい空間にいても、周囲が自分というかわいそうな少年に遠慮して心から笑っていないように見えた。

 周囲の自分を見る目が気になる。

 どう思われているのかが怖い。

 実は疎ましく思われているんじゃないか、そんな悪い感情に包まれていた。

 だから霧子のことも最初は恐怖の対象だった。

 他の大人たちと同じように、同情で声をかけていると思っていたからだ。


 しかしそんな日々に変化が訪れる。

 原因は霧子の気持ちの変化だ。

 最初こそは本当に、一種の母性と同情心だけで接していた。

 だからこそ世話も焼いたし積極的に話しかけるようにしていた。

 そんな日々が長く続くにつれて、清歌が少しづつ心を開いてきたのだ。

 そこからだった。

 霧子の中にあった母性や同情心は小さくなり、本当に心から清歌と話したくて声をかけるようになった。

 本当に一緒に居たくているようになったのだ。


 清歌はそんな彼女の変化に無意識のうちに気づいていた。

 徐々に彼女に対する警戒心が解かれていくのを、清歌は自分自身で戸惑いながらも受け入れていた。

 だから他のクラスメートは無視しても霧子にだけは反応するし、たまには自分から話しかけるようになっていった。

 少しづつ距離が近くなる二人の関係に、清歌と霧子の保護者たちはどこか安堵した気持ちで見守っていた。

 そんなある日のこと、清歌は初めて霧子に誘われた。

 お出かけの提案だった。

 小学生二人で行けるところなんてたかが知れているのだが、空神町にやって来てからというもの、どこにも出かけていなかった清歌にとって休みの日にクラスの子と出かけるというのは大変なイベントとなった。




「思い出した?」


 長い回想の旅に出ていた清歌の精神は、霧子の声に呼び戻される。


「うん。思い出した。霧子が初めて僕を誘ってくれた場所だ」


 清歌はさっきとは全く違った気持ちで裏山を見上げていた。

 どうして忘れていたんだろう?

 自分を最初にこの山に連れてきたのは彼女だった。

 確かどこに行きたいか問われてそれで……。


「そっか、僕が自分を変えたいと願ったんだ。周囲の目が気にならなくなりたいと願ったんだ」


 当時の清歌が霧子に伝えたのはそんな言葉。

 それを聞いて霧子はこの裏山へ、お祈り地蔵を案内したのだ。


「……僕の願いは叶っていたんだね」


 いまの清歌は大人しいなりに他人の目を気にしない。

 これは生来の性格ではなかったのだ。

 神に願って勝ち取った性格。

 当時の清歌が死に物狂いで勝ち取った、生き延びる術だった。

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