それからさらに数日経った。
結局のところ俺は、今だババアからブレスを取り返していない。
例えば不意打ちのように物陰から襲ったときも……。
「取ったああああ!」
「ふん」
ババアは、まるで後ろが見えているかのように軽くかわし、そのまま俺の首根っこを掴み、放り投げる。
「ぐぇっ!?」
「甘すぎるわ」
俺の身体は、地面で跳ねる。
その隙を狙い襲いかかるも、またもあっさりと制圧される。
他にも、俺が料理に睡眠薬を仕込もうとした時……。
(へっ、これで今度こそ終わりだぜババア!)
「……などと考えておるのはわかっとるわ」
「ぎゃふっ!?」
どういうわけかババアは読んでいた。だから背中から首に手刀を食らわして気絶させ、縄で縛って動けなくしやがった。
こんな感じで俺はババアには勝てない。
おかしい、このままじゃあのババアの丁稚として一生を終えるかもしれねえ。
それならいっそ……。
「おいババア、土下座するからちょっとそこの岩に頭をぶつけてくれ」
「ほう、お前とうとう脳味噌まで腐ってしまったか?」
「うっせえ! それで俺が勝った事にしろ!! そしたら出てってやる!!!」
「一体どの目線で言っとるんじゃお前は……」
昼前のあの岩場のある森の奥、またいつものように叩きの召された俺は、背中で地面にハグをしながらババアを見上げる。
くそっ、何で俺がこんな目に遭わないといけねーんだよ。
あの時、もうここら辺でいいか、なんて思って森で寝たのが間違いだった。
町中で横たわっていたら、きっと美しいお姉さんが甲斐甲斐しくしく何から何まで世話してくれて、それでそれで、実は一目惚れでしたなんて言われて、じゃあ僕ここに骨埋めちゃおうっかなあ、なあんてっ! それで二人は晴れてゴールインで子供にも恵まれてそれで!」
「そんな都合のいい話がある訳ないじゃろうが、ほざくな」
「!!? ババア、俺の心を読みやがったなッ!!」
「口に出しとったわ、阿呆」
クソ、ババアめ!
何よりも問題なのは、俺がここでババアに負け続ければ、そんな純情で小さな願いすら叶わないという事。
何としても、どうにかしてでも、このババアを出し抜かなくては……!
「ほれほれ、さっさと立たんか。続きをやるぞ」
ババアはこれ見よがしに、ブレスを右手の平でたかいたかーいしてやがる。
「体力がもうあれだから、自分から気絶してくれって必死に頼んでんじゃんかよ」
「誰がそんな事しなければならん、必死さは伝わったが甘ったれるな。それにもうすぐ儂の分身が昼飯を作り終える頃じゃろう。もう一踏ん張りと思って、ほれ」
「ちきしょう……」
他人事だろうがな、こちとらもう色々あれなんですわ。
とはいえ、確かに腹は空いてる訳で。
しかし、便利だよな分身って。忍者かって話だぜ。そんな事をこの前言ったら、
忍術は仙術に繋がっておる。だかなんだか。仙人の技から忍術は始まったらしい。
俺にも使える? って聞いたら鼻で笑われた。悔しい。
「今日は好物のカルボナーラじゃ、気合を入れい」
「へいへい、仕方ねえなあ。ほらこいこい」
「……なんで立場が入れ替わっとるんじゃ」
飯前に最後の組み手だ、正直もうやりたくないがこれで終わりと思って俺は構える。
ババアは、俺が構えるといつものように左手だけ少し前に突きつけたまま動かない。
なんだ、来ないのか。ならこちらから行くぜ!
そう思った瞬間、ババアが消えた。
(!? どこだ!)
慌てて辺りを見回すも姿は見えない。
まさかまた後ろか? 甘いな、ババア。俺も成長してるってところ見せてやらあ!
「もらったあァッ! ……あれ?」
「ここじゃ」
「ぐへぁっ!」
背後を振り向き蹴りを飛ばそうとしたらそこにはいなかった。
代わりに頭から声が聞こえたかと思えば、脳天にババアの足裏が炸裂。そのまま地面に倒れ込む。
痛え、マジで痛え。頭割れたんじゃねえかこれ。
「馬鹿者、いつも言っとるじゃろうが。目だけでも感だけでも、それに頼り切るなと。己の全感覚と経験の融合こそが、真に求められる」
「もう耳にたこが出来るくらい、ありがたく聞かせて貰ってますよーだ。……ちっ、うっせえなあ」
「悪態をつけるならまだまだ大丈夫じゃな。よし、ではさっさとやるぞ」
「げぇっ、やめろよぉ!?」
俺は地面に這いつくばりながら、ババアを睨みつける。
するとババアは、俺を見下ろしながら、口角を上げている。
くそっ、絶対わざとやってるだろ、こいつ!
「何じゃ、その顔は。何か文句でもあるのかのぅ?」
「こ、っのババア! さっさとそいつをよこしやがれ!!」
キレた勢いのまま、ババアが持っているブレス目掛けて飛びかかる。
これでも修行の成果ってやつで、踏み込みが早く、そして力強くなった。
ババアが反応する前に奪ってやる!
「まだまだ甘いわ」
「!? ちょッ!」
だが、ババアはそれを簡単にかわす。しかも俺の着地するタイミングに合わせて足を払いやがった!
視線が急激に下がる。目標を失った勢いはそのまま地面に向けて滑空し、やがて地面と熱いベーゼを交わしながらスライドを始め、
「ぬおおおおお!! ちくしょおお!!」
「ほれ、さっさと立て」
「このババアッ! ぶっ飛ばしてやらあああ!!」
「ふん、そんな元気があるならまだいけるのう」
「うがあああ!!!」
もうこうなりゃヤケクソだ。俺は再び立ち上がると、雄叫びをあげながらババアに飛びかかっていった。
――
――――
「ぜーはー……い、いい加減にしやがれっ、この、糞ババ……ァ!」
「そうじゃのう、この辺りで。飯に間に合わん。ほれ、とっとと帰るぞ」
体中の毛穴から汗を噴出し、その上で土に塗れた俺の体。
筋肉の悲鳴がうるさいくらいに聞こえるようだぜ。苦しいよう。
そんな俺とは対照的に涼しい顔をしているババアは、軽く息を整えると俺に手を差し伸べてきた。
瞬間、ババアの手の平が光を放つ。
柔らかな光だ。俺の体に向けられたそれは、内も外も迎えた限界が綺麗に下がっていく気がした。
同時に疲れ果てていた全身が、まるで羽のように軽くなった。
ただ、これは疲労が完全に取れるもんじゃない為、結局今夜も筋肉痛は確定である。
言ってしまえばめちゃくちゃ利く痛み止め。ただ傷は治る。
ババアの家に温泉が湧いてなきゃ、多分今頃俺死んでるんじゃなかろうか。
「ほら、とっとと立つんじゃ」
「うへえ……」
差し出された手を握り、俺は立ち上がった。
そのまま引っ張られ、よろめきながらも何とかバランスを保つ。
「全く、これでは先が思いやられるな。これを返すのも果たしてどれくらい先の話しか……」
わざとらしく、ブレスを俺の顔まで突きつけてきた。
それ奪い返そうとすると、すぐに引っ込められる。
くっそう、こんな頭四つ分以上も離れたロリババアになんで弄ばれなきゃいけないんだ……。
「まあ、お主の頑張り次第じゃな。ほれ、早く帰るぞ」
「うぐぅ……」
言いたいことは色々あるけど、取り敢えず今は黙ってついて行こう。
「なあ、ババア」
「なんじゃ?」
「屋敷と山ん中行き来して正直飽きてきたんだけどさ、せめて麓の町で遊ぶぐらいよくないかなあって」
「儂等が住んでいる場所は、この辺りの地理に余程詳しい人間でないとたどり着けん所にある。当然ここから出ていこうとすると道に迷って野垂れ死ぬ事は間違いない」
「おい、さらっと脅すのやめろよ」
「本当の事じゃから仕方がないじゃろうが。それに、もし仮に町に降りたとしても、お主には金もない」
そんな話をして、森の奥からの帰り道。
太陽も真上に登って木々の下を歩いていても、まだ日差しが目にチラつく。
俺はババアの前を歩きながら、森の中を進んでいた。
時折、草木をかき分けながら、足元の砂利を蹴り飛ばしながら。
俺が歩くと、ババアは小さく笑い声を上げた。
一体何がおかしいってのか?
振り向いてそいつの正体を突き止めようとした時である。
視界の端、上空で動く物があり、見上げてみる。
そいつは重力の波に逆らうことなくまっすぐに――ババアに向かって落ちてきている。
ババアはそれに気づいてないのか、俺の顔を見つめるだけだ。
マズイだろ流石にこりゃあ!!?
そう思った途端に俺の体はババアに向かって飛び出した。
「ババア危ねえぇッ!! ババア!! ば、ババア!! ババアァ!! ババアァアアアッ!!!!」
「ババアババアとうるさいわ」
「ぐへぇ!?」
俺の視界がブラックアウト。
一瞬何が起こったか分からなかったが、どうやらババアの足が顔面に突き刺さったようだ。
勢いを完全に殺された俺は、まるで叩かれたハエの如く地面へと落ちていく。
ババアの足から開放された視界には、落ちて来たよくわからん黒い玉のような物を左手の小指で受け止めるババアが映っていた。
その物体にババアのチャクラが流し込まれると、プシュゥと小さい音と共に跡形もなく消え去った。
「……い、今のは?」
「宇宙から飛来した未確認飛行物体じゃ。ここ最近になって、急に増えてきてのう」
「……へ、へえ」
俺の知ってるUFOと違う。いや、未確認飛行物体なら何でもUFOだから間違ってないのか。
つーかなんだ? ババアはこれが落ちてくるってわかってたのか?
俺の疑問を察したのか、ババアはため息を付きつつ答えてくれた。
「これでも仙人じゃ。仙術を使えばある程度未来を予知する事も出来る。と言っても、見えるのは断片的な映像だけじゃがな。今回はちとお前を驚かせてやろうと思っての、敢えて黙っておいた」
「じゃああの時笑ってたのも」
「お前の反応が見たくてな」
「…………あんまりふざけた態度とってるとマジで怒るぞコラ」
「おお怖い。ま、そういう訳じゃ。今後からは気をつけるように。……さ、帰るぞ」
俺の怒りを軽く受け流すと、ババアは再び歩き出した。
俺はその後を小走りについていく。
しっかし、急に空から物が降ってくるとは物騒な世の中だなあ。