……なんて考えていたが、俺は今、家政婦をさせられている。
看病してやった分は働いて返せと言われ、結局ブレスも担保にされたままだ。
あのババア――名前は、サーランというらしい。――は、この屋敷で一人暮らしをしているようだ。
そして、家事全般が得意らしく、料理を始め、洗濯、風呂の用意まで完璧らしい。
そのレベルを求めはしないが、俺にそれらをやれと命令してきた。
一応、助けてもらった身だしぃ、立場上、断ることは出来なかった。
仕方ない、やれるところまではやってやろうじゃねえの。
そう思って始めたのだが、これが意外と大変だった。
例えば窓掃除をすれば……。
「おい、なんだこれは?」
そう言って、指をサッシに滑らせ残っていた埃を見せてくる。
「嫌ですわ、お義母様。埃もご存知にならないなんて、余程苦労も知らずに大切に育てられてこられたんでしょうねぇ。……全く羨ましい限りでっ!」
「厭味ったらしい程生意気な嫁のモノマネを止めろ! 誰がお義母様じゃ、さっさとやり直せ!」
他にも、俺が味噌汁を出せば……。
「塩が濃ゆいぞ、馬鹿者め。やり直しじゃ」
「まあなんて言い草でしょう! いつまでも若々しくあって欲しいと、健気な思いを形にしたまでなのに! それほど年寄り扱いをして欲しいと仰るので?」
「いい加減そのキャラを止めろ!」
こんな感じだ。
正直、何度辞めたいと思ったことか。
しかし、そんなことを言えば最後、本当に叩き割られるかもしれない。
俺は必死に耐えた。
◇◇◇
あれから何日経ったか?
なんだかんだこの生活に慣れた俺が怖い。
それに一つ、わかったことがある。
あのババア、確かに仙人の類らしい。俺が包丁で指を切った時に、傷口に手をかざすと、一瞬にして治ってしまったのだ。
それを見た時は流石に驚いた。ボロボロの俺の体もこうして治したとの事。
そんな俺を尻目に、彼女は俺の作った朝飯を食べながら話しかけてきた。
ちなみに、俺は今朝の当番だ。
今日は目玉焼きとベーコン、サラダにトーストにはチーズまで乗っけてある。
しっかし、仙人という割に俗っぽくない? 山ん中で霞でも食ってるイメージだったが、全然違うぞ。
「可もなく不可もなし。取り敢えず腹を満たせればいいという考えが体に染み渡るようじゃ」
「それはどうも、お褒めに預かり光栄ですわ。……ところで、俺のブレスは?」
「ああ、アレか。ほれ」
そう言うと、懐に手を入れ、ブレスを取り出した。
「いやはや、これで俺もやっと帰れ……」
「まだ駄目じゃぞ」
「なんだと!? ババア、人が下手に出りゃあつけ上がりやがって……っ!」
「いつ出たんじゃ下出に? ……まあいい、取り敢えずこれを見よ」
そう言うと、ババアは一通の手紙を差し出した。
それはまだ届いたばかりなのだろう、封は切られているが真新しさが窺える封筒に入っていた。
なんだこりゃ?
「ラブレターか? おいおい、俺がいくら色男だからって、ロリでババアなんてノーサンキューだぜ」
「お前の頭には、脳みその代わりに綿が詰まっとるようじゃな。これは儂宛に来た物だが、お前宛に来た物でもある」
ババアは呆れたように溜息を吐くと、そのまま続きを話し始めた。
「これは『五次元間渡航申請書』じゃ」
「……はぁ?」
意味がわからず間抜けな声を上げる。
「お前は無断でこの世界に飛んで来たな?」
「……な、な~んのことやら? さっぱりさっぱりぃ」
「ほう、とぼけるか。だが、既に調べはついておる。お前はテレボートでこの世界へ飛んだはず。そしてその瞬間を、監視システムが感知しておったのじゃ。ここでは、無断の五次元渡航は禁止されておる。お前がよそ者であっても例外では無いが、よそ者の場合は後から申請すれば問題ない」
「……申請しなかったら?」
「もししなかったら……、まあなんせ重罪じゃからのう……。死刑とまではいかなくとも、一生牢屋暮らしは免れまいな」
「えぇ……。嘘だろぉ?」
「嘘をついてどうする。ま、別に儂は困らんからのぅ……この手紙は焼き芋の燃料にでも使うか」
「わああ!? 止めろ、やめてくれ!! ……仰る通りに勝手に来ちまいましたよ。喜んで書かせて頂きますって!」
慌てて手紙をひったくってペンを取る。
こんなところで獄中生活なんてごめんだ。
すると、彼女は嬉しそうな顔を浮かべ、俺にこう言った。
───よくぞ言ってくれた。では、これからもよろしく頼む。
その言葉に、内心首を傾げてしまった。
こんなトコにいつまでもいられるかってんだ。
「保護者の欄には、既に儂の名前を書いてあるからの」
「ふぅん。……これって俺、サインだけでいいの?」
「血判もあれば確実じゃな」
「マジかよ……。なんか痛そう」
「つべこべ言うな。ほれ」
そう言って果物ナイフを渡され、親指に突き刺す。
うわっ、痛ぇ! 滲み出る血液を、書類に押し付けると、瞬く間に文字となって浮かび上がった。
「これでいいのか?」
「うむ、上出来じゃ。では送っておくぞ、それ」
書類を受け取ったババアは、手のひらの上で浮かせるとスゥと消えていった。
「あれ? 今ので終わり?」
「ああ、後は向こうが受理してくれればよい」
こんな不思議な力にもすっかり見慣れちまったなあ。
しかしこのババア、一体どれだけの事が出来るんだか?
「さてと……。おいちょっとついてこい小僧」
「えぇ? 何よ、また? 書くもん書いたんだから返してくれよブレス」
「そのつもりじゃったが、ちと気が変わった。家政婦としてこき使おうにも、そっちは期待出来そうも無いしのぅ」
「ほっとけ」
それ以上は会話をするつもりも無いらしく、顎でついて来いと言うだけでとっとと部屋から出ていってしまった。
ったく、人をなんだと思ってやがるんだ。……まあ、行くけどさ。
仕方なしについていくことにしたものの、どこに行くというんだ?
しばらく歩くと、ババアは屋敷を出てそれでもまだテクテク進んでいく。一体どこまで連れて行く気だ?
森の奥へと進んでいく俺達、見上げれば若葉の向こうで朝の光が優しく照り付ける。こんな日に日向ぼっこでもしたら気持ちいいんだろうなあ。
それでもまだ、止まらないのでついていく俺。
森を抜け、テンションも下がり切ってだらだらついて行った先は……、岩場?
そこで、ようやくババアは止まった。
「さてこの辺でいいじゃろ。家で使い物にならないなら、せめて暇潰しにはなって貰うぞ」
「はぁ?」
何を言ってんのか分からなかったが、それに構うこと無くババアは俺のブレスを右手に持って、煽るように手元で投げる。
「こいつを返して欲しくば、それなりにでも儂を満足させてみぃ。それが出来なければ、今度こそ丁稚としてしっかりと鍛えてやる」
勝手な事を抜かすババアは、空いた左手だけを俺に向ける。
途端に、肌が冷えていく感覚を覚えた。
「ほれ、お前も構えて見せろ? そのガタイだ、そこそこはやれるだろう」
「けっ、ババアの暇潰しに付き合う程じゃねえんだ。……速攻で終わらせてやらァ! 恒星観測員の資格を持ったプロのスペースマンを舐めんじゃねえぞォッ!!」
仙人だろうと所詮見た目チビのロリだ。ブレスを奪ってこんな世界とっとと出てってやるぜ!!
「うおおおおぉぉぉッ!!」
…
……
三分後。
「で? プロのスペースマンとやら、何か言いたいことはあるかの?」
「…………きょ、今日はこの辺で勘弁してやらぁ……」
俺は地面に転がって息を切らせていた。
くそっ、ババアめ……。
あんな華奢な体つきのクセに、とんでもないパワーを持ってやがる……。
おまけにこっちの拳も蹴り全く当たらねぇ、まるで空気を相手に戦ってるような感じだった……。
俺だって伊達に訓練を受けてきた訳じゃない。格闘技にも自信があったってのに……。
そんな俺を、あのババア、こともなげにあしらいやがった……。
「ふん、こんなものか。まあ、及第点をくれてやろうかの。我ながら甘いもんじゃ」
「ってことは返して貰えるんだな!? なぁ、なぁ、なぁ!!?」
その言葉に疲れも忘れて起きあげると、勢いよくババアに詰め寄る。
ふう、これでやっと星に……。
「何を言っとる? そんな訳ないだろうが」
「えええ!? 嘘付きやがったなババア!! 純情な男心を弄びやがってっ!!」
「誰も嘘を付いとらん。及第点というのは、儂が稽古をつけるに値するかどうかの話。それに満足したら返してやる」
どういう事だ……?
こいつの言うことが本当だとすると、結局は俺のブレスを返す気はないということじゃないか。
何だよその理屈は。ふざけんなよ。こっちはもうやる気なんて無いんだよ。
そんな俺の態度を見て察したのか、ババアは呆れたように顔をする。
「まだまだ恩を返し切れておらんじゃろうが、お前は事切れる寸前だった事を忘れるなよ」
そう言う終わった時、俺の顔面に水が振ってくる。それはババアの手から落ちた水筒の水。そして俺の顔へとかかっていった。くそ、服も髪も濡れちまった。
だが、そのおかげで少し頭が冷えた気がしないでもない。
どうあれ命拾いをさせて貰ったのは事実である。でもさ、ここ数日こき使われていたんだからそろそろ許してくれてもいいじゃないのよ。
ああ、畜生!
「仕方がねえ。生先短い年寄りのお遊びに付き合ってやる!」
「儂はまだ数百年は生きられるぞ」
やけっぱちになって立ち上がる俺に、ババアはニヤリと笑う。
このアマ、絶対後悔させてやる!