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第5話:朴念仁

 帰り道、尻ポケットが震えたので自転車を停める。白神からだ。


「もしもし」


「あ、もしもし平桐くん? どうだった、オクリオオカミの件は?」


「あー」


 どこから説明したもんかな。俺は首を捻る。


「とりあえず、靴を投げても許してくれなかったぞ」


「ん? 靴? どういうこと?」


「履物を投げると見逃してくれるって話だったろ? だから俺は、わざわざ体育用の上履きを用意してだな……」


「ん? 平桐くん、何か勘違いしているようだけれど、私は『履いている物』とは言ったけれど、『履物』とは言っていないよ?」


「は?」


「だから、『履いているもの』だよ。オクリオオカミに会ったときは、靴でも草履でも、そのとき自分が履いているものを渡すと見逃してくれるっていうこと。バッグに入れた運動靴なんか投げても意味ないわよ」


 なんだと……いや、確かに白神はちゃんとそういう言い方をしていたが、そういう意味だったとは。勘違いしたせいで危うく死にかけた。気をつけよう。


「で、結果はどうだったの? こうして電話に出ているということは、無事に対処できたのよね? ちゃんと物騒じゃない手段を選んだ?」


「あー……おうとも。命乞いして、山に帰ってもらったよ」


 そう伝えると白神はにわかに盛り上がった。


「本当に命乞いしたの!? うっそー珍しい! ちょっと見たかったなあそれ!」


「張り倒すぞ本当お前……」


 白神がなおも詳細を聞きたがったため、俺は詳しく話した。と言っても最大の論点は、今回のオクリオオカミの、その正体がなんだったのかということだ。話の途中「なるほど?」と白神は言った。


「じゃあそれが飛びかかってくるときに、したわけだ――その後輩ちゃんと同じシャンプーの香りが」


 そう。思えば最初から変なポイントはあった。


 人の後をつけ、転んだら襲うというオクリオオカミ。


 しかし最初に被害にあったはずの我が後輩――八重子は、最初から転んでいた。俺がオクリオオカミを見たのは、八重子が転んだ後である。更に言えば、狼が現れた場所。一度目と二度目は石橋の付近だったが、三度目――夜に現れた際は、石橋から少し離れた、自転車を置いてある位置だった。微妙な差だが、これで俺はオクリオオカミがついているのは場所ではなく、伝承の通り人間――つまり、俺なのでは? と思うことができたわけだ。


「なるほどねー。ううん? じゃあつまり、今回のオクリオオカミは後輩ちゃんが変身しちゃった姿だったというわけ? 狼男みたいに、がおーって?」


「いや、違う違う。そんな山月記みたいなことがあってたまるかよ。なんつーかな……だから、今回のは八重子の生き霊みたいなもんだったってことだよ」


 牛田の言葉を借りるならば、俺があいつを邪険に扱ったお陰で生まれた反発心が、《送り狼》となって俺の前に現れたわけだ。だからまあ、喰いつかれても大きな怪我にはならなかったし、謝れば見逃してくれたのは、多分そういうことなのだ。


「ふーん?」と白神。


「生き霊からシャンプーの匂いがするって、あまり納得いかない感じがするけどね?」


「実際したんだからしょうがねえだろ」


「いやいや、もしかしたらそれ、シャンプーの匂いじゃなかったのかも知れないわよ? 人間は本能的に、DNAが遠い異性の体臭はいい匂いに感じちゃうらしいし?」


「なんじゃそら。DNAの匂いなんて嗅ぎ分けられるわけないだろ」


 それこそ犬じゃあるまいし。


「まあ、そういうわけだから、俺だけが対処法把握してりゃ問題なさそうだし、そういう意味では俺の取り越し苦労だった。巻き込んで悪かったよ」


「あ、ううん、それは別にいいよ。むしろ頼ってくれてありがとう。でも、問題はそこじゃなくってさ……」


「ん? なんかあるか? だいたい話し終えたと思うんだが」


「いやいや平桐くん、気をつけなくちゃ駄目だよ? だってつまり、今回のオクリオオカミは、現代語訳版でもあったってことなんだから」


「は?」と俺は首を傾げる。現代語訳版?


「だから、『後輩ちゃんの生霊みたいなもの』だったんでしょう? 今回のオクリオオカミは。だとしたらさ、大学生が酔っぱらった女の子をお持ち帰りしちゃうのと同じように、隙を見せたら襲われちゃったりするのかもよ? その後輩ちゃんにさ」と白神は悪戯っぽい声で笑った。


 なるほどねと思う反面「それはないだろ」と俺は言う。


「え? どうして? 結構現実味を帯びていると私は思うんだけど」


「だって、八重子だぞ? あの花より団子を絵に描いたような奴が、俺をお持ち帰りしたところでどうすんだよ」


「…………あー」


 白神は残念そうに溜息を吐いた。


「朴念仁だなあ、平桐くんは」


 ◆


 翌日、やむをえず左腕に包帯を巻いて家を出た俺を、八重子が爆笑とともに出迎えた。


「えーっ、先輩なんすかそれ! 邪気眼っすか!? 失われし呪いの力に目覚めでもしちゃったんすか!?」


 イラッと来たのでデコピンで攻撃することにする。額がガラ空きだぞ、バカめ。


 昨日怪我したというのに元気だな、と思ったので「お前ちょっと脚見してみろ」と言って止まってもらう。ひとつだけ、どうしても気になっていることがあった。しゃがみ込んでまじまじと見てみるが、昨日はあったはずの『動物の噛み跡のような傷』が、いまやどこにも残っていない。


「ちょ、ちょっと、先輩……?」


「ん?」


 しゃがんだまま見上げると、後輩がそわそわ顔で見返してくる。


「あー、なんだ、お前昨日足首痛がってたろ? なんか、傷とかできてなかったっけ?」


「あー、あれっすか? 実は……」


 後輩の話によると、昨日『獣の噛み跡』に見えた傷はミサンガが切れた跡だったのだという。いまどきミサンガとは古風な女子中学生もあったものだ。クラスで謎の流行を見せたりでもしたのだろうか。


「転んだ時にどっかにひっかけて、切れちゃったみたいなんすよ」


 と後輩がいうので、俺は「ふーん」と答えた。


「願い事は叶ったのか?」


「へ? 願い事?」


「ミサンガつけてたんだろ? なんか願掛けするもんじゃないのかよ」


 ミサンガと言えば、手首か足首に巻いておく紐状のアクセサリーで、何か願掛けをしておくと、ミサンガが自然に切れたときに叶う、という話が一般的だったはずだ。


 後輩は言い淀む。


「ああ、お願いごとですか。んー、ニアミスってとこですかね」


「ふうん?」


 この様子だと叶ってはないらしいが、まあニアミスだというなら上々だ。よかったな後輩よ。


「――聞かないんすか?」


「は? 何を」


「お願いごとの内容、っすよ」


 俺は鼻で笑う。聞くわけがないだろう。幼気な後輩女子のお願いごとなんて、聞くほど野暮な男ではない。


 そのまましばらく下らない話をしながら、俺たちは校舎までたどり着いた。途中、石橋のところに三人組のおっさんがいて、昨日野犬が出たらしいから気を付けるように、と注意を呼びかけていた。どうやら牛田が青年団に通報したらしい。


 校舎に入って「それじゃ、また帰りに!」と声をかけてくる後輩へ適当に手を振る。「おう」とか「ああ」とか、いつも通りの返答をしようとして、俺はふと牛田の言葉を思い出した。


『犬に噛まれる夢を見たら、省みた方がいい』


「あー……そうだ、八重子?」


 少し迷って、さっさとその場から立ち去っていこうとする後輩を呼び止める。


「えーと、なんだ。また転んで怪我すんなよ」


 キンコンカンコンと予鈴がなる。


 後輩は、呆けていたかと思うと、次の瞬間にんまりと笑った。


「腕に包帯巻いてる人に言われたくないです!」


 そう言って、べっと舌を出す。


「まあそうなるわな」とひとりごちながら、立ち去る後輩を尻目に、俺も自分の教室へ向けて歩き出す。走っている生徒もいるが、ぎりぎり間に合うだろう。教室に入って、席に座る。隣席の同級生は左腕の包帯に興味津々な様子だったが、教師が入ってきたお陰で追及されることはなかった。


 HRを適当に聞き流しながら、俺は思い出す。


 八重子の笑っている、その点のような瞳。一般的なそれよりも少し長めの白い犬歯。唇から覗く赤い舌。そして黒い長髪。


 ふふ、と。俺は変に納得してしまって、隣席が訝しんでくるのも構わず笑った。


 相葉八重子――なるほど、確かに犬っころみたいな奴だ。


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