――バルクネシア共和国。
それは東南アジアと中国の間に位置する国。
最先端科学技術を集結させた都市「スマートシティ」が建設されたということで近年話題になっている国である。
「私と平沢さんでバルクネシアで海外旅行――海外任務ですか。でも……なぜ?」
「それは、この動画配信者の映像を見て頂戴」
真里お嬢様がタブレットを見せてきたが、何やらあやしいおじさんが映っていた。
「『真実を語る足長おじさん』? 目のような形のロゴが入った奇妙なニット帽に黒いサングラスをかけているけど……素性を隠して言いたい放題言っているわね」
動画では現状の日本に対する不満が述べられていた。
政府批判、経済批判、思想的批判。
ネットで言われているような悪口を凝縮したような動画だった。
「こんなおじさんの言うこと皆信じてるの?」
「意外と支持者が多い。このコメントを見てくれ」
「まじか」
コメント欄は配信者を称えるコメントが多く見受けられた。
もちろん、彼に対して否定的なコメントも混ざっているが、そういうコメントに対しては彼の支持者が熱心に反論していた。
「で、このおじさんと闇バイトの関係性は?」
「闇バイトで逮捕された者の多くが彼のリスナーだった。また、彼が案件として紹介しているチャットアプリを皆利用していた」
「それはますます怪しいわね」
なるほど。思想的な共感を集めて、それを闇バイトに利用していたのか。
ということは、このおじさんが黒幕なのだろうか?
「このおじさんを捕まえれば良いってことね。もう警察は動いているの?」
「彼に関する情報を集めるのが今回の海外任務なんだ」
「美琴ちゃん。これを見て頂戴」
真里お嬢様がタブレットを操作し、画面内のおじさんがかけているサングラスを拡大した。そこには、ビルのようなものが映っていた。
「ほら、サングラスが反射して映ってるこの建物は、この建物に酷似しているの」
「……そうか! この建物はバルクネシアで建設されたスマートシティの建物でしょ? ニュースで見たことあるわ」
「そういうことだ。だから、『闇バイト同時多発テロ事件』を裏で手引きする者の情報を集め、事件の全容を調査していく。それが俺達に与えられたミッションだ」
「なるほどね」
私がこれからやろうとしている活動は危険が伴うものだ。
私はダーティーボムによって命を落としていたかもしれない。
だけど……私が人々の命を守ることに役立つことができるのであれば。
――「地味」という私が抱えた呪いが人々を守る武器になるのなら。
「そこで、再度美琴に確認したい。君は指示を無視したが、ライブ会場を救ってみせた。強引なやり方であったが、君が動かなかったら間違いなくあのライブ会場も血と放射能に染まっていただろう。指示を無視したけれど」
ちょっと2回も言わないでよ。相当根に持っているわね。
「俺達は君の能力が必要だと考えている。だけど、大きな危険も伴う」
「やるわ。私の力が皆の役に立つなら!」
「だから……ふふっ、まだ言い終わってないぞ」
え? いま平沢さん笑った?
「これからよろしく」
「こちらこそよろしく。いや、よろしくお願いします」
丁寧な言葉で言い直し、平沢さんと真里お嬢様と握手を交わした。
「ようこそ。『民間防諜会社 ヤタガラス』へ」
◆◆◆
さて、この時間が来てしまったか。
――現在23時30分。
現在、平沢さんと二人で同じベッドで寝ている。
真里お嬢様も一緒に一晩過ごすのかと思ったが、彼……彼女は一足先にバルクネシアへ現地入りするとのこと。
だから、私達は再び二人っきりになってしまった。
社長も「後は若いお二人だけで」とニヤニヤしながら通話を切るし。
前回は平沢さんすぐ寝ちゃったし、私も肉体的&精神的疲労で気づいたら意識を失っていた。
――だけど、今夜は違う。
全然寝れないし、心臓の鼓動が速くなっていて寝れない。
だって良いニオイがするんだもん!
私は人よりも異常に嗅覚が発達しているらしい。
微かな臭いも嗅ぎ分けられるし、人には感じられない臭いも感知できる。
私の嗅覚は、最もプリミティブで、最もフィジカルで、最もフェティッシュである。
そんな私の嗅覚は、この美少年姿の平沢さんのニオイをとても気に入ったらしい。
私は平沢さんに背を向け、できるだけベッドの端へ行き距離を開けている。
それなのに彼が寝返りをする度に、ミントのような清涼感のあるニオイと、微かな甘みのあるニオイが入り混じったかのような……私にとっては麻薬のようなニオイがふわりと私を包み込む。
くんくん。くんくん。すーはー。すーはー。
これは、別にニオイを嗅いでいるわけじゃない。
冷静さを取り戻すために行っている動作だ。深呼吸だ。
決してやましいことをしているわけでもなく、いやらしいことをしているわけでもない。
でも、なんかこのニオイって20歳に達していない少年のようなニオイっぽいんだよな。ぐへへ。……おっと、落ち着け私。
自分より年上にショタみを感じるなんて情けない。
この私が、そんなまやかしに屈するはずがない!
奇妙な対抗心を燃やし、自分の理性をフル稼働させた。
――しかし、そんな私の思考回路をぶっ壊すような事が起こった。
「うう……姉さん」
「!?」
私の腰部分に後ろから腕が伸びてきた。
――えっ!? 抱きしめられてる!?
「い……痛い」
私を抱きしめる力は力強く、必死である。
「ごめんなさい……守れなくて。弱くて」
悪夢を見ているのだろうか、もがくように呻いている。呼吸も荒い。
――じわり。
私の背中が暖かい雫で湿った。きっと涙なんだろう。
私はそっと、自分の身体に巻き付く手を握った。
すると、安心したように身体の震えが収まっていった。
恐らく、彼は私の想像のつかないような悲惨な過去があるのかもしれない。
真里お嬢様は事情を知っているらしいが、特殊な生まれである可能性がある。
それに私にだって、人に言いたくない過去が沢山ある。
生きるって大変だよね。
問題の大小はあれど、人は過去も未来も傷つくことばかりだ。
「なんだか、本当に私がお姉さんみたい」
そう呟いて、少しニヤニヤしながら目を瞑った。
しかし、お姉さんぶってみたものの私の心臓の鼓動は速く動き続けていた。