「ふわぁ……」
やはり睡眠が足りていない。
同衾したうえに抱きしめられるという経験をしたせいで、全然寝れてない。いつ眠りに落ちたかも分からない。
今でも少し気まずいんだけど!
ほんと、ずっと昨晩の事で頭がいっぱい。
久しぶりに自宅に帰れたので宿泊の準備をしたけれど、自分が何をスーツケースに入れたのかさえ全然覚えてない。
何か忘れてたら平沢さんのせいだからね!
しかしムカつくことに、この人は何も覚えていないっぽい。
朝起きた時はお互い離れて寝ていたから……あなたは私に抱きついていたなんて知らないでしょうねぇ!
ーーしかし、ここは飛行機の中。
ここで足りない分の睡眠を確保すればいい。
私にとっては初めての海外、初めての飛行機。
危険がある仕事ではあるんだけど、少しワクワクもする。
空港の中は広い&綺麗で感動したし、飛行機の中に入る瞬間は何かアトラクションに乗るみたいな感覚があって超ドキドキした。
それに平沢さんに教えてもらったけれど、飛行機に乗り飲む人達の中にあらゆる国の要人が居たらしい。
バルクネシアのスマートシティで記念式典が開催されるらしい。
もちろん、私達はその会場での情報収集を行うつもりである。このタイミングで海外任務の作戦が立案されたのも、このイベントに合わせてのことだった。
そういえば、もう一つドキドキした事といえば。
「ねぇねぇ平沢さん。あのパスポートも真理お嬢様が?」
「ああ。俺達が使うものは全部マルティネス……真理お嬢様が手配してくれる」
私達は真理お嬢様が作った偽造パスポートで空港のゲートを潜った。まさに映画で見たシーン! さすがに係の人にパスポートを見せる時、手が震えそうになったよ。
「その……美琴。今日もあまり寝れてないんだろ? ここは俺が周囲を警戒しているから今のうちに睡眠を取っておくんだ」
「!?」
「どうした?」
「いや……なんでも。でも、ありがとう」
「うん」
え? いきなりどうした?
またノンデリ発言が出るかと思ったら、まさかの気遣い。
しかもお礼言われて少し頬を染めるし。
もちろん今は枯れた中年姿に変装しているからドキドキしない。美少年姿でそれをやられてたら、こちらとしてもどうなっていたか分からない。
危ない危ない……。
しかし、平沢さんから許しも出たのでしっかり眠る事にする。
隣に座る彼のニオイをこっそり嗅ぎながらゆっくりと目を閉じた。
◆◆◆
「ねぇ、やめてってば!」
「別にいいだろ? 親子のスキンシップだ」
「あんたは父親じゃない!」
「これからなるさ。君のお母さんと俺が結婚すれば、君は娘だ。だから一緒に遊ぼうぜぇ。ちゃんと良い女になれるよう教育してあげるからさぁ」
ーーまたこの悪夢か。
私が小さい時、何度も母親の彼氏に襲われそうになった。こんな出来事があったから、私は私自身を殺して存在感を消してきたんだ。
「やめてください!」
「なんだシズク。じゃあお前が俺と遊べ」
「それも嫌です!」
こんな地獄のような状況でも、当時私には心強い味方がいた。歳が3歳離れた姉の「乙羽雫(おとばねしずく)」である。
早いうちに父親を亡くした私はシングルマザーの母に育てられた。いや、正確に言うと私を育ててくれたのは雫姉さんである。
雫姉さんとは父親が違い、母親の血で私達は繋がっている。
母親は取っ替え引っ替え色んな男と関係を持ち、その奔放さで家庭を壊してきた。そんな人の血がこの身体に流れていると思うのは嫌だけど、大好きな雫姉さんの血が身体に流れていると思えばまだ嬉しい。
ーーそんな大好きな姉も居なくなってしまった。
目の前で私を庇う姉の姿が霞んでいく。
(だめ! まだ夢から覚めたくない!)
ゆらゆらと周囲の景色が歪みだし、世界全体が歪んでいく。まるで夢の世界から拒絶されているかのようである。
ーー夢の世界でも現実世界でも、どちらにも私の居場所は無いのか?
(雫姉さん! 私の前から居なくならないで!)
突然行方不明となってしまった姉。
ずっと姉の隣が私の居場所だったのに、突然それが奪われてしまった。
生死も分からない。
小学校の放課後、帰宅途中に居なくなってしまった。どれだけ捜索しても見つからなかった。
ーーだから私はアイドルを目指した。
私が有名になれば、私の事を見つけてくれると思ったんだ。
もし、雫姉さんが生きていたら。
もし、私にアイドルの才能があれば。
その2つが揃えばまた一緒になれる。でも、私にはアイドルの才能が無かった。
ーーだから、一番現実的な営業職に就いた。
営業として沢山の人と出会い、繋がっていけばいつか雫姉さんに繋がる情報を手に入れることができるかもしれない。
でも、私には営業の才能も無かった。
何をやっても駄目。
全てが中途半端。そんな私はーー。
「大丈夫か?」
「は!」
目を開けると、間近に平沢さんの顔があった。
「な!」
「し! 静かに!」
私の口を手で塞ぎ、耳元で囁かれた。
急な出来事で動揺し、心臓がバクバクしている。
今にも私にキスしていまいそうな体勢で、お互いの唇も今にもくっついてしまいそうである。
「何か機内の様子がおかしいんだ。それに君も苦しそうだったから」
「ああ……悪夢にうなされていただけだから気にしないで。それより、『機内の様子がおかしい』ってどういうことなの?」
平沢さんに合わせて小声で尋ねる。
「君は人間の負の感情に対する感覚が鋭い。何か感じるか?」
ニオイと言っても……あなたから発せられる涎が出てしまいそうなニオイしかしませんが。
「……わからない」
「そうか。少し身体を起こし、周囲を軽く見渡してみてくれ。自然にな」
言われた通り周囲を一周見渡してみた。
特に違和感は無い。
何か毛布に包まって寝ている人が多いなとしか思わない。
あんなに頭まですっぽり被ってしまって。……頭まですっぽり?
キャビンアテンダントの噂を聞いたことがある。
営業中にお客さんと雑談している時に出た話だ。
ーー機内で亡くなった人が出ると、キャビンアテンダントさんが死体を隠すために毛布で頭まで包んでおくらしいよ。
とても不吉な推測が脳内を過る。
周囲で誰が私達の話を聞いているか分からないため、言い方を気をつけて尋ねた。
「まさか……毛布被ってる人達って……」
「その可能性がある。さっきから全員微動だにしていない。それに、毛布を被っているのは全員各国の要人だ」
まさか、早速命の危険が迫るとは……。
「わかった。ちょっと機内回って確かめてくる」
「……わかった。無理はしないでくれ。異変だけ見つけてくれればいいから」
「わかったわ」
まだ疑惑野段階である。
しかし、本当に彼らが死人であるのならこの飛行機がそのまま棺桶になってしまうかもしれない。
私は一つ、深く深呼吸して立ち上がった。