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3-6 秋風が届ける花の便りは道を開く

 静かに席を立ったサリーは、清良のすぐ横に腰を下ろすと、真っ白な指にそっと手を重ねる。少しやつれているようにすら見える彼女の指先は、まるで氷のように冷え切っていた。


 食事が喉を通らない程、悩んでいたのかもしれない。

 指に伝わる冷たさは、まるで心の痛みの表れのようだ。清良の痛みが伝わったのだろう、サリーは目を細め、彼女を安心させるように微笑んだ。


「清良ちゃん、ゆっくりでいいの。話してくれるかな」

「……サリーさん」

「あたし、清良ちゃんが幸せになるなら、持ちうる全てのものを賭けて力になるわよ」

「サリーさん……助けて……私、慎士さんを裏切りたくない。でも、ケイに会いたいの」


 ぽろぽろと涙をこぼし始めた清良を見て、うんっと頷いたサリーは彼女の肩を抱き寄せるとその艶やかな黒髪を優しく撫でた。

 モーリスは小さなため息をつき、この場を彼に任せるのが最善だろうと、口を閉ざすことに決めた。


 清良が落ち着くようにと、彼女に寄り添うサリーはそのことに気づいたのか、任せてと言うように小さく頷いた。

 秋風が吹き抜け、バラの香りを運んできた。


 このテラス席には季節の花々が植えられている。紅葉と秋バラが見ごろの時期ともなれば、席は予約客でいっぱいになる程だ。

 三階にある完全個室のVIP席は特に予約客で人気だ。花に埋め尽くされた中庭を望むことが出来ることで、男女の逢瀬おうせとしてだけでなく、様々な商談の席としても使われるのは周知の事実だ。


 軍人には縁がない場所だなと思いながら、モーリスは花の香りに釣られるように、ティールームの建物に目を向けた。

 一瞬だが、その三階の窓辺に見覚えのある男──染野慎士の姿が見えた気がした。


 全面ガラス窓の一角を横切った姿は、すぐ奥に消えた。

 男の側に見えた数名にも違和感を覚え、モーリスはしばらく思案した。


 視界に入った亜麻色の髪を結い上げた女性が、特に気になった。その他にも男がいたのを考えると、商談の線が濃厚だが、もしかすると何か尻尾が掴めるかもしれない。

 この場で、探らないわけがない。モーリスは直感に従い、テーブル席にある店のパンフレットで店内の見取り図を確認すると席を立った。


「サリー、悪いが少し席を外して良いか?」

「どうしたの?」

に水をあげてなかった気がしてな。確認してくる」

「……そう。枯らさないでよね」

「分かってる。清良さん、しばらく失礼しますが……きっと、俺達はあなたの力になれますよ。信じてくれたら嬉しいです」


 人当たりの良い笑みを浮かべたモーリスは軽く頭を下げると、モスグリーンの外套コートひるがえした。それを見送ると、サリーは清良に微笑みかけた。


「少し、お茶飲みましょう」

「……取り乱して、ごめんなさい」

「良いのよ。ゆっくり話しましょう」


 少し冷めた紅茶をカップに継ぎ足したサリーは、マカロンを一つ摘まんだ。


「ここはお菓子も美味しいのよ」


 口元に近づけられたマカロンの甘い香りを吸い込み、清良はその瞳にうっすらと涙を浮かべた。


 サリーの気遣いが嬉しかったのだろう。受け取ったそれを一口食べ、彼女はこくこくと頷き返す。


 清良は両手でカップを包むように持つと、優しい香りをゆっくりと吸い込んだ。それから、ぽつりぽつりと話し始めた。


「……私、慎士さんと知り合ってから、まだ半年も経っていないんです。それなのに婚約とか……変、ですよね」

「そうかしら。別に、お見合いでもよくある話でしょ。付き合いが長ければいいって訳でもないんじゃない?」

「……私もそう思ってました。でも、不安で仕方ないんです」

「不安?」


 紅茶で喉を潤した清良は深く息を吐く。

 ひやりとした秋風が抜けて、頬を撫でた。


「私……春先に、暴漢に襲われたんです」


 突然の告白に、サリーは驚きを隠せず目を見開き、手を止めた。


    ***


 店内には当然だが防犯用のカメラが至る所に設置されている。

 設置個所は出入口、レジ周辺、各フロアを繋ぐ階段、通路やバックヤードが、こういった飲食店ではよくあるケースだ。いくら防犯目的とは言え、個室には設置されていないだろ。


「染野慎士に間違いない。問題は、相手が誰かだ……」


 防犯用カメラの映像記録を確認できれば簡単だが、そう簡単にはいかない。軍人である証明は出来たとしても、染野慎士の調査理由が判然としなければ、店は応じないだろう。

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