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第4話

 本日は雲一つない快晴。


 さんさんと輝く太陽は眩しくもとても暖かい。


 その下ではドラゴンが雄々しくも優雅にすいすいと泳いでいた。


 今となってしまってはもう、すっかり見慣れてしまっているのでかつてのような感動は微塵もない。


 時折、頬をそっと優しく撫でていく微風はほんのりと冷たい。わずかにだが冬の名残がある風だが、返ってそれが心地良くもあった。


 今日のような天候はまさしく絶好のピクニック日和である。


 そう口にしたアスタロッテの意向もあって現在、ライシは生まれてはじめて城の外に出た。



「ライシちゃん、わかっているとは思うけど遠くにいっちゃだめよ? ちゃんとママの見える範囲にいてね」


「わかってますってば」



 母親からの命令は絶対である。


 ライシにそれに反発する意思は微塵もなかった。


 だが、しいて言うのであれば妹たちとどうしても距離を取りたかった。


 赤子は純粋無垢だ。それ故に言葉も満足に発せず、その意味すらもきちんと理解できない。


 にも関わらず、妹たちの言動は明らかに普通の赤子とは違った。


 何も言わずジッと見つめてくることが多々あった。そればかりか裾をつかんでなかなか離そうとしないことも。


 むろんこれらは単なる思い込みでしかない。少々神経質になっているだけだ。そう指摘さればそのとおりではあるが、完全にそうだと断言できない自分がどこかにいた。


 今この瞬間も、妹たちはジッとライシを見つめていた。



「――、ふぅ」



 一刻でも早く成人してここから抜け出したい。自分は、ここにいるべき存在ではない。


 ライシは誰に言うわけでもなく内心ですこぶる本気でそう呟いた。



「――、随分と参っているようだな小僧」


「アモン……」



 今回のピクニックには何名か護衛がついていた。


 その中の一人がアモンなのは至極当然の采配だった。


 アスタロッテの右腕であるのだから、主人の傍らにいるのは必然である。



「先ほどからなにをそんなにも落ち込んでいるのだ。アスタロッテ様のピクニックがそんなにも気に入らないか?」


「いや、ピクニックそのものについては俺も特に異論はありませんよ。だけど、ね……」


「どうした? 他に理由でもあるのか?」


「その、なんていうか……妹たちが……」


「妹君たちがどうしたというのだ? アスタロッテ様の血筋を引くだけあって美しく可憐で、そしてなによりも強大な魔力を有する……完璧という他ないではないか」


「いや、それも確かにそうなんですけど……なんていえばいいか」


「いったい貴様はなにが言いたいのだ?」



 どう表現すればよいか、うまく言葉に出せない。


 呆れた面持ちのアモンに、ライシは頭を掻いた。


 時間はゆったりと、それでいて滞ることなく流れていく。


 冷たい風が吹いてきた。そろそろ城に戻るべきだ。ライシがそう思ったように、アスタロッテもまた同様の判断を下した。



「ライシちゃん、そろそろお城に帰るわよ~」


「は~い母さん。すぐにいきま――」



 濃厚な血の香りがした。


 鼻腔をつんとくすぐる鉄のような独特の臭いに、ライシは弾かれるように地を蹴った。


 アスタロッテが背後より制止するが、現在のライシに聞く耳は持ち合わせていなかった。


 とても久しぶりに血の臭いを嗅いだ。たったそれだけで魂が自然と高揚した。


 これまでずっと訓練ばかりだった。訓練だから、多少の怪我こそはあれど死ぬ心配はなきに等しい。


 アモンとの手合わせは確かに、ライシにとってなによりも充実した時間だった。


 同時に、物足りなさも憶えた。誰よりももっと強くなりたい。強くなるためには、数多くの死線を潜る必要がある。


 死と隣り合わせになってはじめて人は強くなれる。死なないとわかっている戦いには、なんの価値もない。


 森の中へと入った。穏やかな静寂の中に漂う血の香りは、不相応極まりない。


 それを辿って奥へ、奥へとライシは進んだ。


 複数人の人間がいた。男女混合による群れは、各々武器や鎧でしっかりと武装している。


 彼らは冒険者の類だ。そう判断してからのライシの次の行動は極めて迅速だった。



「はいそこで止まってください。このあたり一帯は魔王アスタロッテの領地。無断で入るなんて不遜とは思いませんか?」


「なんだこのガキ。一丁前に剣なんか持ってやがるぞ」


「なかなかいい剣だな。おいガキ、お前がどこの誰かは知らないが死にたくなかったらその剣をよこしな」


「ふむ……」



 二人の男たちをライシはジッと見据えた。


 実にみすぼらしい恰好だった。一応それなりに装備はしているが、すべて粗悪品である。


 得物である剣でさえも、もうずっと満足に手入れをしてこなかったのだろう。せっかくの刃もひどくボロボロで切れ味はもはや皆無に等しい。


 苦痛を与える、という意味では実用性が高いと言えなくもないが……。対する二人の女性は、装備の質が男たちよりもずっといい。


 なぜこうも彼らとの間に貧富の差があるのかが不思議で仕方がなかった。


 いずれにせよ、ライシがここでやるべきことは変わらない。


 彼らが侵入者であるのだとすれば、ライシはアスタロッテの息子として排除する。


 すでに抜き身となった刀を正眼に構えた。木漏れ日が白刃を美しく煌めかせた。



「撤退するつもりはない、と……そう捉えていいですかね」


「はぁ? たかがガキ一匹になにができるんだっていうんだよ。大人をなめるもんじゃねぇぜこのガキぃ!」



 男の一人が地を蹴った。


 どかどかと荒々しい走行音を鳴らし、今にもへし折れてしまいそうな剣を振り上げる。


 びゅん、と鋭くもどこか鈍い音が鳴った。力任せに打ち落とされた太刀筋はライシの頭頂部を狙う。


 けたたましい金打音が鳴った。ライシの刀の切っ先は、天をまっすぐと差している。


 ライシには卓越した剣の腕があった。だがそれは五歳児という肉体によって多大な制限を彼に課した。


 かつてのように振るうにはあまりにも、今の身体では脆弱すぎる。


 よってライシは、幼い状態でも満足に剣を触れるようにひたすら磨き上げた。


 先ほども相手の剣の流れを受けず、流しながらそれを自らの力へと転用する。後は得物の質が圧倒的に勝った。


 その結果、男の剣はへし折れはるか彼方へときれいな弧を描いて消え、仕手である男もまた自らの醜悪な死に顔を晒すこととなった。ばっさりと断たれた腹部からは臓腑に交じって大量の赤々とした鮮血が排出される。



「…………」



 ライシはかつて男だったものを静かに見下ろした。


 大した実力ではなかった。これならば手加減しているとはいえ、アモンのほうがよっぽど強かった。


 これでは自分が本当に強くなれているのか、その実感がまるでない。


 他の面々も、こうなってしまってはあまり期待できそうにはない。すでに残る仲間たちは、死体と化した男を目前に戦意を喪失しかけていた。誰一人戦おうとする意志が微塵にも感じられない。



「なっ……いったい何が起きたの!?」


「そんな……なんて恐ろしい技なの? なにもわからなかったわよ!」


「ふぅ……それで、どうしますか? まだ続けるというのならこのまま続けますけど」



 最後の警告を投げる。無益な折衝をするつもりはないし、自分はもう新選組隊士ではない。


 本来であればここで全員捕縛し奉行所へ送還するところだが、アスタロッテのもとへ送った場合彼らに待つのは悲惨な結末だ。一応同じ人間として慈悲ぐらいは与えてやる。



「み、見逃してくれるの……?」



 弓を携えた女がおずおずと尋ねた。



「大方、アスタロッテを討伐して名声を得ようとしたんでしょうけど……まぁ無理ですね。俺程度にこの有様じゃアスタロッテに挑もうなんて自殺行為のなにものでもないですよ」


「うっ……」


「だから、あなたたちに慈悲を与えます。二度とこの近辺に顔を出さないでください。でなければ次は、殺さないといけなくなりますので」



 ライシはすっと目を細めた。


 しばしの静寂の後、残された面々は一目散に逃げだした。


 ライシはそれを追わない。どんどん遠ざかっていく背中を見えなくなるまで静かに見送った。


 程なくしてアモンがやってきた。地面に無造作に転がる死体を見るや否や、鋭い嘴からは小さな吐息がもれた。



「小僧、これは貴様がやったのか?」


「えぇ、そうですよ」


「ふむ……この男、身なりはあれだがそこそこの実力はあるようだな」


「え? そうなんですか?」



 ライシは目を丸くした。


 男の実力は大したことはなかった。装備も実力も粗悪で威勢が無駄によかったぐらいにいい点は皆無だった。


 とはいえ、アモンが言うのだから本当なのだろう。にわかに信じがたい話ではあるが……。ライシはいぶかし気な目でアモンを見やるとはて、と小首をひねった。

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