月光を遮サエギる鬱蒼ウッソウとした木々の影──視界シカイの暗い森の中──虫の音だけが響く──。

　両腕リョウウデに枝葉エダハが掠カスめ、一歩、踏フみ出すたび、その足を地底チテイへ引きずり込もうと大地が手を伸ばす。

　白雪シラユキのような長髪チョウハツは深泥シンデイを掃ハき、露出ロシュツした褐色カッショクの肌は擦過傷サッカショウで覆オオわれている。

　ベチャベチャと音オトを刻キザむ泥足ドロアシは赤黒アカグロく、いくつかの爪ツメと足裏アシウラの皮を無くし、足首は風邪カゼをひいた赤子の頬ホホのよう──。

　全身に旅路タビジの苛酷カコクさを刻キザんだ少女が、喘アエぎながら走っている。

　ただ、ひたすらに先へ──先へ──遠くへ──。

　赤錆色アカサビイロに滲ニジむ薄汚ウスヨゴれた襤褸ボロのひらいた肩が、冷えきった闇ヤミを切り、汗を吸ったスカートが股マタにまとわりつく。

　元はまっしろなワンピースであったが、所々に生地が裂サけ、その隙間スキマから痩躯ソウクで滑ナメらかな美しい肌が覗ノゾいて誘イザナう──。

　少女は森に入り僅ワズかばかり進んだ所で、徐オモムろに歩みをとめると、素早く左右に頭を振って周囲を見回し、かたわらの茂シゲみに視線シセンを落とす。

　ふらつきながらも何とかそこへ歩みより、膝ヒザを泥濘ヌカルみに沈シズめ、腰を丸めてかがみ込んだ。

「ムウゥ……」

　鼻腔ビクウを突く刺激シゲキと同時に、エグ味を含んだすっぱさが口腔コウクウを覆オオい、一匙ヒトサジの不快感フカイカンをこぼす──。

　小さな胸を優しく撫でて介抱カイホウすると、離れていても視線シセンを示す、印象的インショウテキな長い上睫毛ウワマツゲをおろし、乾いた声帯セイタイを小さく震フルわせる。

「本当に……許せない……」

　深フカく肺を夜で満ミたし息を整トトノえると、魅惑的ミワクテキな赤い瞳ヒトミをひらき、泣ナく膝ヒザを両の掌テノヒラで励ハゲまして立ちあがった。

　全身を震フルわせながら、ゆっくりと歩みを進める──。

「ここは……どこ……？」

　少女は身を守るように両腕リョウウデを胸の前で交差コウサすると、額ヒタイにジワリ汗アセかく青白い表情をしかめた──。

　この森より遥か遠く──海を越えた西の大陸に、全土をヒトという種族が治める人国ヒトノクニがある。

　その南部に肌の色の違いから彼らに迫害され、大陸の南端にあるスラムへと追いやられた、褐色の肌を持つヒト、クロノヒトが暮らす。

　クロノヒトはごくまれに奴隷商人に捕らえられ、彼らの商品として、どこかへと売られてしまうことがある。

　世にも珍しい純白の髪を持つ少女ならばなおさら、彼らからしてみれば格好の獲物だ──。

　だが、少女はまさか自身が捕まるなど、その瞬間まで思ってもみなかった──。

　少女が森の中を警戒しながらしばらく進んでいると、木々の間から満月がそっと覗ノゾきこみ、心の緊張の糸が緩む。

　少し立ちどまり、微笑ホホエみを返すと贈オクられた、夜空の黒に広がる無数の光の演奏会エンソウカイに、少女の心は拍手喝采ハクシュカッサイを送る──。

　──良かった……貧しくて……。

　一瞬──少女は自分の境遇キョウグウに感謝しかけたが、激しく頭を左右に振る。

　だが事実、小さい頃にスラムで学んだ開錠術カイジョウジュツと、狭い檻オリの隙間スキマをすり抜ける痩せた細腕のおかげで逃げだせた。

　ふと俯ウツムき、少女は腰のポケットに触フれる──。

　──海人国ウミノヒトノクニへ降り立ったあの日……奴隷商人達の隙スキをついて開錠コノ道具をくれた黒鳥人クロノトリノヒトのお姉さんに、いつか……お礼したいな……。

　少女は無意識ムイシキに片手をあげ、前腕ゼンワンを返し肌の色を確かめる。

　──お姉さんもきっと……私と同じ……。

　彼女の行動の理由を、少女はそう理解していた。

　──あの日から……逃げ出す機会チャンスを得エるまでに数ヶ月かかった……。

　奴隷商人ドレイショウニン達が、ばくちで勝った日、酒を飲んで馬鹿騒バカサワぎした夜、全員が寝ている間に檻オリを抜け出し、少女は無我夢中ムガムチュウで走りつづけた。

　──もう……一週間は経ったわ……。

　少女は追っ手を怖れ、何度も背後を気にしながら進む──。

「もぅ……撒マげだはず……」

　少女は掠カスれて声がうまく出せない──。

　だが雷雲ライウンのような腹の音だけは、森の静寂セイジャクの中で鳴ナりつづけている。

　少女は逃げている間、水を飲むことはできたが、少量の野草や木の実しか食べることができなかった──。

　一昨日から高熱があり、頭も朦朧としている。

　手の甲で額の汗を拭ヌグうと、少女は再フタタび前をむく。

　少女は長い間、世界中を連れ回され、その珍しい容姿から、金儲けのため見世物ミセモノにされた。

　西の大陸から遥か遠く──この東の大陸まで──。

　そして最後はどこかの金持ちの変態に売られコレクションにされる──。

　奴隷商人達から、そう聞かされていた──。

「ムウゥ……キモチワルイ……」

　──今、私は世界のどこにいるの……？

　世界中を見てまわること──それ自体は少女の幼い頃からの夢であった。

　だが檻オリに入れられ少女が見てきたのは、世界の汚い面ばかり──。

　海人ウミノヒトの引く高速舟コウソクノフネと鳥人トリノヒトの運ぶ空飛籠ソラトブカゴには感動したが──。

　──今度は絶対、自分の足で世界を見てまわる！

　震フルえる手で、首から下げた美しい黒い石を握ニギリりしめ、少女は誓チカう──。

　肌の色の違いで差別サベツされ、少女は人国ヒトノクニでは底辺テイヘンの生活だった──。

　だが少女には優しい両親がいて、それでも十分、幸せな毎日だった──。

　──絶対に家へ帰る……！　家族の元へ……。お父さん、お母さん、待っててね……！

　少女は上を向き、零コボれ落ちそうな涙を堪コラえながら進む──。

「ムウゥ……」

　だが、しだいに歩みは遅くなり、少女は立ちどまる。

　──足の裏が痛い……。足首も、頭も、身体中が痛い……。

　再び歩きはじめようとするが、全身の力が抜け、動けない──。

　──熱い！　水が欲しい！　お腹もすいた……。なんだか……まぶたが重い……。もう……疲れた……。

　少女の小さな身体が小刻コキザみに震フルえ、視界がぼやけて揺ユれる──。

　──少し……。

「すこし……だけ……ねむ……ら……せて……」

　膝ヒザが折れ、少女は前のめりに倒タオれた。

　かつて、この世界は人間がすべてを支配シハイしていた──。

　その文明は今よりも遥かに高度コウドであり、その力は強大で、世界を一夜にして滅ホロぼせるほど──。

　彼らは多くの国々にわかれて暮らし、その繁栄ハンエイは永遠につづくかに思えた──。

　だがある時、彼らは東と西にわかれ、かつてない大戦をはじめる。

　世界に人間が増えすぎたため、土地も資源シゲンも不足し、皆が平等に生きることが難しくなり、手段を選ばぬ奪い合いがはじまった。

　争いは数十年つづき、多くの人間が世界から消える形で終結した。

　いくつもの強烈な光、巨大な爆発、東西で、世界中のいたるところで──。

　築いた高度な文明も、自然も、全て吹き飛ばす爆風──。

　大地は炎で焼き尽くされ、空を黒く塗り潰す、まっくらな灰に包まれた──。

　大陸は人間が住めぬ死の大地となり、奇跡的に生き残ったわずかな人々は大陸を離れ、小さな島々に逃れる──。

　それから──長い──長い時が流れ──死の大地の上で異変が起きた──。

　そこに残されていた生き物達が、人間に似た姿へと進化シンカをはじめる──。

　彼らは以前よりも優スグれた知能チノウを得て、時間をかけ文明を築キズく──。

　生きのびた人間も、また一から文明を築キズきはじめる──。

　両者はやがて、かつての死の大地の上で出会い、時に争いながらも理解リカイを深めていった──。

　その後、人間は単タンにヒ・ト・と呼ばれるようになり西の大陸に、他人種族タノヒトシュゾクは東の大陸にわかれて住み共存キョウゾンするようになる。

　世界の北側に、誰も立ち入らぬ広大な毒の大地を残したまま──。

　新たな世界にかつてのような高度な文明は無い。

　この世界では皆、ヒトによって広められた共通言語カタカナを話す。

　他人種族タノヒトシュゾクの間で、世界のはじまりが一つの神話シンワとなり伝承デンショウされている。

　今はもう──神話シンワの真の意味を知る者はいない──。

　そして現在──世界はかつての時代のように、多くの問題であふれている──。

　『新生神話シンセイシンワ』

　かつて我ワが祖は

　言葉を発さず

　二足を持たず

　地に伏フし神に新たな血肉チニクを求めた

　天を仰アオぎ神に新たな知恵チエを求めた

　世界の新生シンセイを求めた

　神はクロノカクノミを授サズけ給タモうた

　それは禁断の毒の果実カジツ

　数多アマタの魂を奪い

　選エラばれた者達モノタチに新たな知恵チエと肉体ニクタイを授サズけた

　──を──した──に──に──しき──を──