目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

「セレン……こっちの仕事は落ち着いた所だ……」


 酒場のカウンター裏にある調理場でセレンが皿を洗い終えると丁度、宿の主人が覗いて声を掛ける。


「またすぐ忙しくなるだろうが、今なら大丈夫だ」


 店内では常連たちが酒と食事を楽しみながら騒いでいて賑やかだ。


 一通り通された注文は滞り無く全て提供し終わった。


「行くか……セレン?」


 セレンは無言で頷き、おもむろにエプロンを外しそれで手を拭いた。


 その手は少し震えて見える──


「旦那のことだ、大丈夫さ……」


 主人がセレンの肩を軽く叩き先にカウンターを出る。その後ろをセレンは落ち着かない様子で付いて行く。


「おっ!? セレン! 親父! 上がるのか? なんだよセレン!? そんなしけた顔してんじゃねぇ! |飯が不味くなる! 笑え! ホラ!」


 セレンは素顔を晒して生活している。黒猫人クロノネコノヒトであることを知っても、誰もセレンを避けたり攻撃したりはしてこなかった。


「ガウェインの旦那が目を覚ましたってな! 良かったじゃねぇか! ハッハッハッハッ!」 


 スーの言った通り、この店に集まっている裏町ウラマチの連中は皆それぞれ訳ありで、東の大陸中から集まったガウェインの同業者たちだ。スーがセレンの味方になり主人やヤブ爺、集まった皆との仲を取り持ってくれて、意外な程すんなりと受け入れられた。


「お前ら、悪いが俺たちは少し外すぞ! 何かあったら上へ声を掛けてくれ!」


 主人は酒場を営み、表、裏、関係なく様々な仕事の情報屋兼仲介屋もしていて、店に集まる連中のまとめ役であり、父親のような存在でもある。


「おーう! 了解だー親父ー! ガウェインの旦那によろしく言ってくれ! 早く戻って来いよ!? 俺たちはまだまだ飲めるぜ!? ハッハッハッ!」


 耳に特徴的な傷のある狼人の男が笑ってそう言うと、主人は背中越しに手を挙げて返事し、セレンと一緒に宿の奥にある階段へと消えた。





「良かった……。目が覚めて……」


 二十段ある階段をまっすぐ登り右に曲ると、左右に客室がある二階中央の通路に出る。突き当たりにある宿で一番大きな部屋のドアを主人が開けると、セレンの目に隻眼の真剣な眼差しでスーの話を聞く目覚めたガウェインの姿が写り、セレンの震える口から咄嗟に心からの声が溢れた。


「セレンはヤブ爺におじさんの治療費を払う為に宿の酒場で働いてるのよ!」


 スーは嬉しそうに笑いながらセレンの話をしている。


「お前さんたちのお陰で儂も金に困らん! 今は毎日、酒も飲み放題よ! ヒッヒッヒッヒ!」


 別の意味で嬉しそうなヤブ爺も診察しながら話に混ざり笑っていた。


「旦那! 目が覚めて良かった! まだ今月の宿代を頂いていませんぜ!」


 そう冗談を言い話の輪に割って入った主人は笑顔でガウェインと拳をぶつけ合い挨拶する。


「そうか……スー、ウル爺、マレック、ありがとよ……」


 セレンはその様子を見て扉の前でバツが悪そうに立ち尽くす。


「セレン! お前もな! その……助けられたな……。本当にありがとう……」


 ガウェインはセレンと目を合わせると少し照れ臭そうに声を掛けた。





「セレンの料理はすっごい美味しくて、もうみんなの人気者なのよ!」


 スーは笑いながらガウェインの脚を叩く。


 セレンの作る料理は働き出したその日の内に評判を呼び酒場は連日、裏町ウラマチの住人で溢れている。



「おかげで酒場は大繁盛ですよ! 本当に忙しいですぜ! まっ、俺も儲かって有り難いんだけどな! ヘッヘッヘ!」


 マレックは嬉しそうに笑いながらセレンの背中を繰り返し叩く。


「今はまだ動くことはできんだろうが……なんとか山場は越えたじゃろう……」 


 隅々まで容態を観察し、ウル爺は少し安心した表情で小さく息を吐いて腰を叩く。


「おーい! 親父ー! 酒だー! 早く次の酒を持って来い! ガウェインの旦那が起きたってよー! お前ら! これから旦那の復帰祝いだ! お前ら! もう一度、乾杯するぞ!」


 痺れを切らした酒場の連中が階段の下に集まり、酒をよこせと叫び一斉に壁や床、机を叩く。


「もう朝から何回もしてるけどね……。乾杯……」


 スーはガウェインのベットの上に頬杖ついて呆れた表情で、手で追い払う仕草をする。


「ハァー……うるせーなーアイツら……休む暇もないですぜ……。今すぐ行くから待ってろー! セレン、お前も後で降りて来てくれよ……。では旦那、ゆっくり休んでください……」


 マレックはガウェインに深く頭を下げ挨拶し、酒場へと戻って行く。


「おう、仕事の邪魔してすまなかったなマレック……」





「何いつまでも暗い顔してる……? 元は俺から売った喧嘩だ……」


 セレンは未だドアの近くに立ち尽くし、何も話し掛けられないでいた。


「セレン……これは俺がお前にしたことの結果だ……。俺はお前の大切なものを自分の都合で奪い、そして今度は身勝手な理由でお前を傷つけた……」


 マレックが去り、スーやウル爺も話が尽き、部屋が静まり返った頃合いを見てガウェインが話し掛ける。


「別に殺されたって文句は無かった……」


 アクロの件以前には、ガウェインはなんの罪もない者を攫うといった汚い仕事はして来なかった。


 どちらかといえば悪党相手の案件や、善人を相手するにしても金持ちを少し脅して金をくすめる程度の仕事しかして来なかった。


「あのまま放っておかれても良かった……」


 そもそも昔から長い付き合いがあり、ずっと仕事や生活で世話になっているマレックも同様に、汚い、酷い案件の仕事は嫌悪して受け付けることはない。 


「アクロを助けに行くんだろ!?」


 ここは周りに差別されたり傷付けられたりして心に傷を抱えた者、様々な事情で行き場をなくし流れついて来た者たちが集まって出来た場所。皆、心根は良い者たちで、困っている者の為に力を振るうことこそを信条としている。


「本当に甘いな……。お前は……」


 だがあの日……たまたまこの宿を訪れ居合わせた奴隷商人が持ち掛けた仕事の報酬は長年ガウェインが抱えていた、時間的にも猶予の無かった家庭の問題を瞬時に解決できるものだった。


「ウル爺、俺はどれ位で動けるようになる……?」 


 それに実際にアクロに出会うまでのガウェインはクロノヒトの少女がひとりで東の大陸を彷徨うよりは貴族の元で過ごすほうがいいに決まっていると本気で思っていた。


「そうだな……お前さんのことだ……ひと月もあれば動けるようにはなるだろう……」


 それがセレンたちと関わった故に揺らぎ、アクロのことに関しては消化しきれない気持ちが胸に残っており、今もずっと気になっている。


「そうか……分かった……。ウル爺……残りの治療費は全て俺が自分で払う。金のことは心配せずもう俺にまかせろ……」


 そして、それとは別にセレンのお陰で過去の自分と決別することもできた。


「そういうことでセレン……お前は今日でクビだ……。それでだ……アクロの件、急ぐ気持ちはわかるが、少し俺にお前の時間をくれないか……?」


 そしてガウェインはまた、思いついたことをすぐ口にしてしまっている。


「セレン……お前にひとつ提案がある……」


 つくづく自分は身勝手な男だと、ガウェインはそう思う。


「俺がお前を鍛えてやる……!」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?