!!
不気味な声を出す方向に容赦なく拳を振った。
ドン――!
返ってきたのは、人間の体が甲板にぶつかる鈍い音。
「グッ……」
「す、すみません!」
それが人間だと気づいて、慌ててお詫びをした。
「グッ……ハァッ……」
あの人は甲板に腹ばいになっていて、呻いている。
慌てて打った一撃の威力はここまで響くはずがない、でしょう……
「へ、平気だ……これしきのことで、俺様を倒せると思ってるのか……」
あまり丈夫に見えないその体はもがいて立ち上がった。
「あなたはっ!」
ホールで「フランディール帝国皇帝陛下直属特別秘密探偵」なんかで自称した勇敢な少年だ。
「そう、俺様だ。皇帝陛下と我が祖国の名のもとに、俺は、犯罪を止めるために来たんだ」
かわいそうに、顔にあざがついているようだ……
「なるほど。では、これで」
ウィルフリードは「行こう」と私に合図をした。
「ちょ、ちょっと待った!」
少年両手を広げて、私たちの行く手を遮った。
「調査に協力するのは公民の義務だぞ!」
「そんなこと、誰が決めたのですか?」
ウィルフリードは鼻で笑った。
「すみません。私はフランディールの公民ではありません」
私も彼の調査に付き合うつもりはない。
「お前ら、正義の心を持っていないのか!花のような美しい命が悪に飲み込まれたのを黙って見て、眉ひとつも動かないのか!調査に協力し、正義を称えるのは善良な人々のなすべきことじゃないのか!」
少年は憤慨そうに拳を強く握った。
「お客様、何かありましたか?」
騒ぎに気付いた船員はこっちに声をかけた。
「迷子がいます。母親のところまで届きますから、ご心配なく」
「ご迷惑をおかけしてすみません!よろしくお願いします」
「誰が迷子……ヴゥゥ――!!」
ウィルフリードは抗議しようとする少年の口を塞いで、彼を船室に引きずった
「殺、殺人容疑で逮捕する、ぞ……」
解放された少年は切れそうな息で訴えた。
「さすが名探偵ですね」
「確かに、犯罪に対するカンはなかなかのものです」
ウィルフリードの意見に、なんとなく共感した。
「俺を甘く見るな!俺はな、あの大盗賊『
「三日月?」
ウィルフリードは軽く眉をひそめた。
「あいつの出来事の中で、人殺しのような悪質な活動はまだないし、盗んだものもほとんど返したと聞いています。七ヶ月も追跡する価値はどこにありますか?」
どうやら、ウィルフリードは「三日月」に厄介な関心を持っているらしい。
「奴のしたことは法律への侮辱だ!食い逃げ……じゃなくて、盗み返しだと?!歴とした愉快犯じゃないか!しかも、今まで逮捕されたことがない。なんて恐ろしい犯罪者だ。きっと何か大きな陰謀を企んでいる!」
「それでは、盗んだものを返さずに売り出す、あるいはコレクションにするほうが法律への侮辱にならないのですか?」
「それは……」
少年は言葉に詰まった。
「と、とにかく……」
その質問はただの焦点転移の話術にも気づいていないようだ。
かわいそうに、逃げ道を作ってあげようか。
「もしかして、その三日月のせいで、あなたのフランディールなんとか秘密探偵としてのプライドが傷つけられたことでもありますか?ですから、必ず見返してやると決意して、奴を追い続けているのですね。そのようでしたら、その気持ちはわからなくもないです」
「お、俺様は……」
少年の顔はぱっと真っ赤になった。
まさか、当たったの?
「お、お前ら……わざとだろ!俺様を馬鹿にしやがって!」
もう十分馬鹿だから、これ以上にされることはない、と口にしたいけど、
ウィルフリードの笑いを我慢する顔を見ると、その言葉を飲み込んだ。
こんな奴の仲間に思われたくないから。
「よく聞け、俺様はな、あの三日月が残した犯罪の証拠を……」
「ギャァァ――――!!」
「たっ、助けて……!!」
不気味な悲鳴が再び響いて、少年の声を遮った。
一等船室の玄関に、一人のウェイトレスが倒れている。
真っ白な顔で体を抱きついて震えが止まらない。
悲鳴に引き寄せられた乗客と船員はほかにも何人がいたが、残念なこと、探偵少年はクラスが違うという理由で船員に扉の外に止められた。
「あ、あそこに、ひとっ、人が……」
「落ち着いてください、お嬢さん。まず深呼吸をして。みんなも来ているから、もう大丈夫ですよ」
ウィルフリードは紳士のふりでウェイトレスに寄せて、慰めの言葉をかけた。
「……は、はい。あ、ありがとうございます……」
ウェイトレスはウィルフリードの目をじっと見つめて、だんだん震えが止まった。
やっぱり、あの外見は人を騙すものだ。
「あの、洗濯室で、大男がいたの。ナイフを持っていて、わたしを見たら、いきなり迫ってきて……とっても怖くて、片付けたばかりの食器を彼に投げてやっと逃げ出した……」
「大男……ナイフ?!例の殺人犯かも知れないぞ!」
警備隊長の肩章がつけている高い青年はたちまち反応した。
「ど、どうすればいいの?!」
「早く捕らえないと!」
「皆様、ここは危険です。一旦ホールに戻ってください。出口はここしかないから、犯人はまだ船室にいる可能性が高い!」
騒ぎ立てた乗客たちに指示を出したら、警備隊長は船員のほうに向けた。
「お前たち、俺についてこい!」
「ちょっと待ってください」
ウィルフリードは船室に飛び込もうとする船員たちを呼び止めた。
「どうしましたか?」
「中には物音が全然しません。犯人はまだいるとしたら、どこかに隠れたのか、人質を取った可能性も考えられます。この勢いで突き込んだら、下手にすれば、彼を刺激するかもしれません。客室にいる方々は危険です」
「ご心配が分かりますが……」
警備隊長は困った顔をした。
「出るまで待つわけにもいかないし……」
「提案があります」
ウィルフリードの口元が少し上がった。
「犯罪者名簿と殺人事件のせいで、不安になったお客さんはたくさんいるでしょう。そのようなお客さんに、僕たちからお休みの挨拶をさしあげて、慰めてあげるのはどうでしょう」
「挨拶のふりをして、状況を探るということですね」
簡単なことなのに、なんで遠回しの言い方をするの。
すぐ勿体ぶりする悪い性格だ。
「そのとおりです。『僕のお月様』」
!
思わず鳥肌が立っていて、続きの言葉が飛ばされた……
幸い、誰もその恥ずかしい呼称に気付いてないようだ。
「一部の人は入り口の外で待ち伏せをします。ほかの人はグループで中に入って、あやしいところを見つけたら、すぐここに戻って皆さんに知らせします。何もなかったらそのまま警戒を強めるように客室にいる方々に情報を伝えます。というのはいかがでしょうか」
ウィルフリードは詳しいやり方を説明した。
「いいと思います。ディナーで友達になった人もいるし、心配しています。まず担当する部屋を分けましょう」
乗客の中にその提案に賛成する人がいた。
乗客を巻き込むのは得策ではないが、いきなりの突入よりましな方法だ。
警備隊長は了承して、船室の平面図を出した。
この一等船室の中に、二十個の客室がある。
その中、十三個の部屋に客がチェックインしたそうだ。
私とウィルフリードを含めて、ここにいる部屋の持ち主は六人。
「では、乗客のほうは二人一組で、三組に分けましょう」
そう提案すると、警備隊長は不思議そうな目で私を見る。
「二人一組で三組? お嬢様も入りますか?」
「そうです。女性がいたほうがいろいろ便利でしょ」
「しかし、これは大変危険な行動です。やはりお嬢様はホールに……」
ホールでゆっくりお茶を飲みながら待つのは柄じゃない。
「入れてあげてください」
私は船員を説得する前に、ウィルフリードが割り込んだ。
「こんな美しいお嬢様を目にしたら、いくら賊でも惚れちゃって、手足がゆるくなるでしょう」
「……」
人間の忍耐には限界というものがある。
堪忍袋の緒が切れる前に、その戯言を止めてほしい。
「というのは冗談です。お嬢様のおっしゃる通り、女性の乗客もいるから、挨拶しに行くなら女性がいたほうが便利です」
船員を説得するの言葉だけど、なぜかウィルフリードは私のほうに微笑みをかけた。
「大丈夫、僕がついています。必ずお嬢様を暖かくて、安全な場所に連れ戻します」
「!」
その笑顔と話に、一瞬デジャブを感じた。
心のどこかが軽く搔かれたような、不思議な感じが浮かんできた。
「それでは、空き部屋は船員の皆さんにお願いします。僕たちは部屋にいる乗客たちに挨拶しに行きます」
ウィルフリードの横顔をもう一度よく見た。
もしかしたらーー
ありえない。
「あの人」と年が違いすぎ。
おそらく、人柄も。