丈士先輩は、スチールロフトベッドの下のクッションに座り、ほ、と小さく息を吐く。
オレは逆に、ラジオ体操ばりに大きく息を吸った。
先輩の部屋の匂い、めっちゃ好き。
「ん」
先輩は手で口を押さえたのち、お約束って感じで隣を示す。オレもいつものように、胡坐を掻かせてもらった。
先輩の部屋はシンプルだ。
ロフトベッドとミニデスク、棚がひとつきり。服はクローゼットにぜんぶ収まってるらしい。ゲーム機もポスターもない。
先輩の背中側にある棚には、グローブと白球、メダルにトロフィーが並んでる。
何のトロフィーか知りたいけど、漢字だらけで解読できない。歯がゆい。
中学生の先輩、小学生の先輩、赤ちゃんの先輩を思い浮かべてみる。
もっと早く出会いたかった。でも、こんな田舎で出会えたのも奇跡だよな。
「オレ、いつか台湾行ってみたいです。パスポートつくって、語学の勉強もせなっスけど。先輩の地元見るためなら、何時間だって勉強できます!」
オレが鼻息荒く意気込むと、先輩は八重歯を覗かせた。
「俺も小学生の頃何年かいただけだよ」
「ほーなんスか?」
「ん。日本戻ってからはずっと……埼玉に住んでた」
かと思うと、色のない真顔になる。
過去を消す必要はないけど、無理に引っ張り出す必要もない。ってうまく言えそうになくて、がしっと先輩の手を取った。
オレのうどん肌ほっぺに導く。
「……?」
先輩は戸惑いを浮かべた。
でも、オレが「どうぞ」って促せば、秘密施術みたいにもにもにし始める。
ひともにするたび、先輩の指先と表情がほぐれていく。
オレも「ふへへ」って声が出た。
先輩が、気を取り直したように口を開く。
「合わせて十年以上埼玉に住んでたのに、『
オレは自然と正座になった。
先輩はそうやって、何もないけど海とオレはいる田舎に、来たんだ。
ご両親はきっと、前の野球部での経緯を把握した上で、立地や開業を建前にしたに違いない。先輩も、ほんとは自分のための引っ越しってわかってる。
「まあ、俺にできるのは甲子園連れてくくらいだけど」
この家があるのに、前の学校戻っちまうわけなかったな。
オレは確信に満ちた笑みを浮かべた。
「連れてってくれるんスよねっ?」
「……ん」
先輩はマジメな話したのが照れくさいのか、オレのほっぺたもにもにをやめて後ろを向く。
「蒼空にやる」
棚から白球をひとつとって、オレの手に載せた。
何だろう? どこにでもある普通の硬球に見える。
「俺がリトルリーグではじめて勝ったときのボール」
「え!? そなん大事なもん、もらえんっス」
さっきのなし。めちゃくちゃ特別で大切なものだった。
さしものオレも、「ええんスか? あざっす」とは言えない。
丁重に返そうとするけど、先輩はもどかしげに耳上を掻く。
「じゃあ、夏の決勝のウイニングボールと交換な。そんとき言いたいこともあるし」
まっすぐ見つめられ、心臓が跳ねた。
言いたいこと――意味深な予告だけど、良い内容って期待してもいいかな。
しかも、夏の県予選で優勝する前提だ。
その記念ボールと交換っていったら、体育祭の鉢巻きの交換とは比べものにならないほど、重い。
重いぶんだけ、嬉しい。
「ハイ! 楽しみにしとります」
オレは白球をTシャツの裾で厳重に包んでから、ジャージのポケットに仕舞った。
先輩が小さく吹き出す。
「え?」
「いや」
よくわかんねえけど、もっと笑ってほしい。
県予選で優勝したら、とびっきりの笑顔になるはず。
予告の日をただ待つだけじゃなく、優勝できるようにオレも何かしたい、貢献したいって強く思う。
それで自分に自信がついたら……告白、したいかも。丈士先輩をこんなに好きなやつが