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第17話 予告先発

 丈士先輩は、スチールロフトベッドの下のクッションに座り、ほ、と小さく息を吐く。

 オレは逆に、ラジオ体操ばりに大きく息を吸った。

 先輩の部屋の匂い、めっちゃ好き。


「ん」


 先輩は手で口を押さえたのち、お約束って感じで隣を示す。オレもいつものように、胡坐を掻かせてもらった。


 先輩の部屋はシンプルだ。

 ロフトベッドとミニデスク、棚がひとつきり。服はクローゼットにぜんぶ収まってるらしい。ゲーム機もポスターもない。


 先輩の背中側にある棚には、グローブと白球、メダルにトロフィーが並んでる。

 何のトロフィーか知りたいけど、漢字だらけで解読できない。歯がゆい。


 中学生の先輩、小学生の先輩、赤ちゃんの先輩を思い浮かべてみる。

 もっと早く出会いたかった。でも、こんな田舎で出会えたのも奇跡だよな。


「オレ、いつか台湾行ってみたいです。パスポートつくって、語学の勉強もせなっスけど。先輩の地元見るためなら、何時間だって勉強できます!」


 オレが鼻息荒く意気込むと、先輩は八重歯を覗かせた。


「俺も小学生の頃何年かいただけだよ」

「ほーなんスか?」

「ん。日本戻ってからはずっと……埼玉に住んでた」


 かと思うと、色のない真顔になる。


 過去を消す必要はないけど、無理に引っ張り出す必要もない。ってうまく言えそうになくて、がしっと先輩の手を取った。

 オレのうどん肌ほっぺに導く。


「……?」


 先輩は戸惑いを浮かべた。

 でも、オレが「どうぞ」って促せば、秘密施術みたいにもにもにし始める。

 ひともにするたび、先輩の指先と表情がほぐれていく。

 オレも「ふへへ」って声が出た。


 先輩が、気を取り直したように口を開く。


「合わせて十年以上埼玉に住んでたのに、『阿公おじいちゃん家に似た海辺の街見つけた』『夢の開業にぴったりの物件紹介してもらった』『一家で引っ越せば野球部の出場制限もないよ』つって、一か月でリフォームと引っ越しキメた阿母と阿?★には、恩返ししたいと思ってる」


 オレは自然と正座になった。

 先輩はそうやって、何もないけど海とオレはいる田舎に、来たんだ。


 ご両親はきっと、前の野球部での経緯を把握した上で、立地や開業を建前にしたに違いない。先輩も、ほんとは自分のための引っ越しってわかってる。


「まあ、俺にできるのは甲子園連れてくくらいだけど」


 この家があるのに、前の学校戻っちまうわけなかったな。

 オレは確信に満ちた笑みを浮かべた。


「連れてってくれるんスよねっ?」

「……ん」


 先輩はマジメな話したのが照れくさいのか、オレのほっぺたもにもにをやめて後ろを向く。


「蒼空にやる」


 棚から白球をひとつとって、オレの手に載せた。

 何だろう? どこにでもある普通の硬球に見える。


「俺がリトルリーグではじめて勝ったときのボール」

「え!? そなん大事なもん、もらえんっス」


 さっきのなし。めちゃくちゃ特別で大切なものだった。

 さしものオレも、「ええんスか? あざっす」とは言えない。

 丁重に返そうとするけど、先輩はもどかしげに耳上を掻く。


「じゃあ、夏の決勝のウイニングボールと交換な。そんとき言いたいこともあるし」


 まっすぐ見つめられ、心臓が跳ねた。

 言いたいこと――意味深な予告だけど、良い内容って期待してもいいかな。


 しかも、夏の県予選で優勝する前提だ。

 その記念ボールと交換っていったら、体育祭の鉢巻きの交換とは比べものにならないほど、重い。

 重いぶんだけ、嬉しい。


「ハイ! 楽しみにしとります」


 オレは白球をTシャツの裾で厳重に包んでから、ジャージのポケットに仕舞った。

 先輩が小さく吹き出す。


「え?」

「いや」


 よくわかんねえけど、もっと笑ってほしい。

 県予選で優勝したら、とびっきりの笑顔になるはず。

 予告の日をただ待つだけじゃなく、優勝できるようにオレも何かしたい、貢献したいって強く思う。


 それで自分に自信がついたら……告白、したいかも。丈士先輩をこんなに好きなやつがここ讃岐にいますよって、知らせたい。




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