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第16話 怪我の功名

 路地の先に見えてきた、焦茶色の壁の一軒家――丈士先輩の家は、陽の下で見ても洗練されてて、新しい。


『ん。早く掴まれ。じゃないと電車のドア閉まる』

『ぐ、うう、失礼します……!』


 最寄り駅でまたおんぶを断りそびれたオレは、道中「降ります」って三回申告した。

 先輩のご両親に挨拶するイベントがこんな早く発生するのは想定外。だし、おんぶで登場ってのは、いくらオレでも気が引ける。


 なのに先輩はオレを背負ったまま、すたすた扉に突撃する。鍼灸院やってるから、自動ドアだ。


阿?あば、このあとすぐ予約ある?」


 入って左側のカーテンをくぐる。

 おしゃれな美容院みたいな、施術室。

 先輩の声に、紺色のケーシーを着た男の人が振り返った。待ってましたとばかりに口角を上げる。


「あるけど常連の田中さんだから、帰りがてら『三十分遅らせて』って言っといた」


 先輩と笑い方、同じだ。背も同じくらい高い。帰りがてらってことは、体育祭観にきてたんだ。

 この人が、先輩のお父さんに違いない。


 オレはどっと汗が出た。息子さんをコキ使ってるのはいろいろ事情がありまして、ってどこから説明すればいい?

 まず挨拶か。先輩の旋毛に額ぶつける勢いでおじぎする。


「はじめまして、讃岐高一年、日高蒼空です!」

「うん、聞いてる聞いてる。野球部じゃない、元気で素直でかわいい後輩がいるって」

「ハイ?」


 話が噛み合わなくて顔を上げると、先輩はお父さんの足に蹴りを入れていた。振動がオレにも伝わってくる。

 でもお父さんの笑顔は変わらない。


「はっはっは。さ、蒼空くん、こっちのベッドに座って。捻挫診ようね」


 もしや――怪我の治療のために攫われた?

 ようやく理解するとともに、恐縮する。


「そなん、たいした怪我やないっス」

「かと言って放っておけないでしょ?」

「うっ」

「保険証、蒼空の親御さんに借りてある」

「うう……」


 何だかんだ逆らえないのまで、同じ。半強制的に施術用ベッドに下ろされる。


 ベッドも焦茶色でおしゃれだ。母ちゃんが腰痛めたときに通った接骨院の、ところどころ剥げた水色のベッドとぜんぜん違う。

 何より施術室は丈士先輩の制服と同じ匂いで満たされてて、居心地がいい。


「救護の先生は何て?」

「軽い捻挫やけん、冷やして安静にって」

「ふむ。患部、ちょっと動かすよ。……うん、確かにⅠ度捻挫だろう。靭帯は無事」


 お父さんはてきぱき手を動かした。

 よく考えたら貴重な機会過ぎる。怪我のこーみょーだっけ?

 笑いかけられて、オレもつられる。


「お父さんの手、センパイの手みたくぬくうて、安心します」

「そう? だってよ、丈士」


 しゃがんで治療を見張る先輩は、ふいっと横向いちまった。鉢巻きの猫耳触ってたときと似た真顔。そのまま問われる。


「蒼空、捻挫はじめて?」

「ハイ。ダンス、がっつりやっとったわけやないんで」

「じゃあ鍼もはじめてか」

「……痛えっスか?」


 「鍼」と書いて「はり」。とはいえ、どうしても「針」をイメージしちまう。


「でも効くから」

「ぜってえ痛えやつ!」


 反射的に先輩のお父さんに身を寄せた。

 その結果、右足首をがしりと掴まれる。しまった、こっちが親玉だった。

 痛くしないで、と上目遣いで訴える。


「大丈夫大丈夫。丈士にやってるのと違って、細い鍼を数本きりだし」


 って宥められても、オレには想像つかないんですって。

 そうこうするうち、くるぶしにととん、と銀色の鍼を打たれた。見た目は完全に針だ。


 ――お? 手際がいいおかげか、刺さったまんまでも痛くないかも。


「これで早く腫れが引くよ。前距腓ぜんきょひ靭帯が安定するようにしたから、違和感も残らないはず。でも救護の先生の言うとおり、二、三日は安静ね」

「全拒否……? あざっす」


 説明してくれるけど、却ってわかんねえ。いい感じにしてくれたって信じよう。


「丈士、固定用の八の字サポーター持ってきて」

「……ん」


 先輩は立ち上がって、施術室の奥側の通路に消えた。パシられても文句ひとつないのは、お父さんの腕を尊敬してるとみた。

 先輩もこうやって、野球部の練習で酷使した身体を労わってるのかな。


「それにしても蒼空くんの足、白くてちっちゃいねえ。うちの太太たいたいみたい」

「呼んだ?」


 右側のカーテンから、美女が乱入してきた。

 先輩のお母さまだ。一階の向こう半分はピラティススタジオなんだ。

 ピラティスウェアが映える腰の位置の高さと細さ、丈士先輩が弟妹に温存することなく引き継いでるなあ。


 つかオレ、先輩のご両親の前でいいところなしじゃねえか? 怪我して、おんぶさせて、鍼怖がって。

 せめて礼儀はしっかりしよう。


「太太さん、お邪魔しとります!」

「ふふ、『太太』はワタシの名前じゃないよ。『かわいい奥さま』って意味」


 う。下手にしゃべんないほうがオレの印象ましかも。きゅっと口を閉じる。

 でも、二秒後には全開にしていた。


「鍼効かせてる間、おやつどうぞ。腹ぺこだと元気出ないね」

「前回のうっっまいやつ! ええんスか?」


 お母さまが、タピオカドリンクとパイナップルケーキを持ってきてくれたんだ。ドリンクの色、マンゴーっぽい。

 今の時点でもう美味い。

 外面を取り繕うのは後回しにして、「いただきます」と頬張る。


「美味ぁ~、特にマンゴー~」


 絶妙な甘さと絶妙な歯ごたえ。

 余韻に浸るオレを見て、ご両親とも得意げに笑う。


「はっはあ。どっちも太太の地元が本場だからね」

「東京スか?」

「台湾よ」

「おおー。……えっ!?」


 でかい声が出た。都会越えて外国!?

 言われてみれば、先輩のお母さま、推しの華華さまみたいな雰囲気がある。


 当然、丈士先輩も同じく華やかな雰囲気をまとってるわけで。

 名前だって中華圏っぽいし、漢字が上手。


 でも、ぜんぜん気づかなかった。

 先輩の前で華華さま語りしたの、時間差で恥ずい。ほっぺたも足先も熱くなる。


「丈士から聞いてなかった?」

「ハイ。センパイはあんまり自分のこと話さんけん」


 改めてご両親を見上げる。参考に、超うどん級美形射止めた方法とか聞けねえかな。


「お二人は、どうやって結ばれたんスか?」


 しれっと尋ねる。

 お母さまがにっこり笑った。


「ふふ。ワタシは昔、日本でモデルのお仕事をしててね。ヒールの高い靴履いてたら、足痛くなっちゃって。悩んでたとき、行きつけの台湾料理屋の裏に怪しい鍼灸院発見」

「おいおい怪しいって言うなよ。ちゃんと鍼灸の資格も柔整の資格もあるよ」


 お父さんが突っ込むものの、デレてて攻撃力ゼロだ。


「んじゃ、お客さんとして出会うたんスね」

「そう。出会ったら、あとは運命が導いてくれるよ。台湾では同性婚もできるよ!」

「ハイ! ……ハイ?」


 惚気られてたはずが、話がめっちゃ飛躍した気がする。

 結婚――先輩と、オレが?

 オレ、丈士先輩に片想いしてるって言ってないよな!?

 なんでばれたのか確かめたいのに、タピオカが喉に詰まって咳き込む。


「気が早えわ」


 そんなオレに代わって、戻ってきた丈士先輩がお母さまの口を手で塞いだ。

 先輩が焦ったような真顔なのに対して、お母さまは悪戯っぽく笑ってる。


「丈士の割に遅いね?」

「放っとけ」


 先輩はささっとオレの足首の鍼を抜いて、「こっち」と腕を引いた。

 すげえ。自力で歩けるくらい痛くなくなってる。御礼言わないと。


「ご馳走様っした!」


 半身で会釈すると、ご両親は睦まじくにこにこしてた。

 こんなふうに痛みを消し去ってくれるなら、そりゃ運命の恋にも落ちるよな。




 施術室奥の通路は、突き当たりが階段になってる。上っていくと、アジアンカフェみたいなオープンダイニングがあった。

 それも素通りして、焦茶色の扉を開ける。

 もしかして、もしかしなくても。


「センパイの部屋っスか!」

「そ」

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