「母ちゃんこそ、勤務中じゃろ」
母ちゃんが、スマホと、祭りで調達したらしいノンアルビールを手に立っていた。
ドキリとしたのを隠すように言い返す。
オレが朝は祭りに行く気配一ミリも出してなかったからって、眼鏡のリム押し上げてまで、オレと杏奈ちゃんをじろじろ見ないでもらえますかね。
「昼休みじゃわい。それに今はみんなこれ見よって、開店休業状態やけん問題ない」
母ちゃんは動じない。
向けられたスマホに――背番号「1」が映っていた。
帽子には青い「S」のワッペン。
讃岐高のエース、丈士先輩だ。
ローカル局で県予選の中継してるらしい。
それで翼も美羽も、祭り行かないって言ったんだ。今ごろ日高家の居間でテレビにかじりついてるに違いない。
オレは思わず一歩踏み出す。
右下の表示は三回表、2対2。
スマホがミュートになってても、丈士先輩の投げた球がキャッチャーミットに収まる音が聞こえる。
射的で特賞当てても味わえないだろう爽快感が湧き上がった。
もっと見てたいのに、母ちゃんはスマホをしまっちまう。
「ああっ」って未練の声上げたら、母ちゃんの真剣な視線にぶつかった。
「赤点は取るなよ。取ったら家に入れん」
らしくない台詞。ぽかんと口開けるオレを置いて、庁内に戻っていく。
赤点って……?
「蒼空、待たした」
入れ替わりに、英翔と杏奈ちゃんの友だちが、手をつないでやってきた。
英翔、にやけ過ぎ。
仕方ない、交際会見の記者役でもやってやるか。
「別行動の間に何があったんじゃ~?」
飲食エリアに移動して、惚気をたっぷり聞く。
付き合いたてってこんな幸せそうなんだ。今のオレはあやかるどころか若干胃もたれして、スマホをチラ見する。
一度見たら、準決勝がどうしても気になる。テキストの一球速報サイトがあるんだ。
六回表、4対4。
スマホ仕舞う。4点も取られてんのか。
スマホ出す。まだ4対4……。
「蒼ー空。デート中にスマホばっか見んな」
「ご、ごめん」
英翔に指摘され、そそくさと顔を上げる。
初彼女できて浮かれてる英翔が気づいたってことは、杏奈ちゃんも当然気づいてたよな。ばつが悪い。
十四時から、盆踊りが始まる。
輪に加わるけど、婦人会の皆さんの説明は頭に入ってこない。
盆踊りよりラッキーセブン踊りたい。
考えるなって思えば思うほど、丈士先輩の姿が頭に浮かぶ。
鮮やかに焼きついて、離れない。
やっぱり球場に行けばよかった。たとえ何もできなくても、来なくていいって言われても。
盆踊りの後、英翔カップルがふたりきりになりたそうだったし、屋台もひととおり見て回ったしで、閉会を待たずに帰ることにした。
「杏奈ちゃん、送るわい」
オレはチャリを停めてある第一駐車場まで行こうとしたけど、杏奈ちゃんは笑顔で首を振る。
笑顔って言っても、さみしい笑顔だ。
……ああ。これ以上引き延ばすのはよくないよな。鈍感なオレにもわかる。
ヨーヨーとか綿あめの袋提げてほくほくしてる小学生に聞かれないよう、杏奈ちゃんに歩み寄った。
深呼吸をひとつ。
満点の答えは返せなくとも、せめて、「ごめんね」じゃなく――。
「こなん取り柄ないオレを好きになってくれて、ありがとう。嬉しかった。けどオレも、好きな人がおるんや」
告げることで、自覚する。
脈なしでも、杏奈ちゃんと一緒に祭り回っても。
丈士先輩への気持ちは、変わらなかった。
つ、と杏奈ちゃんの顎に水滴が伝う。涙か汗か、判別がつかない。
「うん。わたしはいつも蒼空くんを見よったけん、蒼空くんが誰見よるか知っとるよ。女子のわたしなら勝てるかな思うたけど、甘かったね。わたしのぶんまで頑張って……日高くん」
杏奈ちゃんは、辛いだろうにオレを応援する言葉を残して、路線バスに乗り込んだ。
「ありがと、ほんに! またね!」
オレにはもったいないくらい、かっけえ女の子。
丈士先輩に出会う前のオレだったら、喜んで付き合ってもらったと思う。
ほんのちょっとのタイミングで、うまくいかねえんだな。
恋愛って射的より難しい。
オレは頑張っても倒せそうにない、特賞に焦がれてる。
自分は味わいたくない痛みを人に味わわせた罪悪感を呑み込んで、スマホを取り出した。
準決勝、延長に突入してなければもう終わってる時間だ。
勝ったかな。勝ったよな?
テキスト速報を更新しようとしたとき、後ろから大きな手に捕まった。
「……っ」
この手の形と体温。
土の香りと混ざったお香っぽい匂い。
「丈士センパイ、試合はっ?」
勢いをつけて振り仰ぐ。
ちょうど高校に帰ってきたらしき先輩が、背中に「1」を背負ったまま、オレを見下ろしていた。