隠れていた男に気づくのが遅れたみくには、ナイフで刺されたと思った。
が、そうなる寸前、みくにと男の間に飛び込んできたのは少年だった。
手足を縛られているにも関わらず、身を投げ出してきた少年の身体は、一瞬静止し、それから膝から崩れ落ちて再び床に倒れた。
「グミくん!」
少年の名を知らないみくには、彼の綺麗な瞳の印象からとっさにそう呼んでいた。
倒れた少年の脇腹のあたりが真っ赤に染まり、その下の床に見る見るうちに血だまりができていく。
あたしを守ったせいで……。
青ざめたみくにに、再び男のナイフが迫る。
みくにはとっさにそれをかわした。
男をキッと睨みつけ、反転しながらナイフを蹴り上げる。
男は手から離れたナイフには目もくれず、反対の手でみくにの首をつかみ締め上げてきた。
視界が赤く染まる中、みくには男の腕に飛びつき、足もからめて関節を
男は床に全身を強打し、
「覚えたぞ……おまえのツラ……ぜってー……許さ――」
喉の奥でうめくと気を失った。
男に締め上げられたせいで咳き込みながら、それでもみくには少年の元へ駆け寄った。
さるぐつわを解き、手足を縛っていたロープを引きちぎると、小さな頭を抱えた。
少年のスーツは半分ほどがぐっしょりと血で濡れている。
「グミくん! グミくん! ごめんね! しっかりして!」
泣き叫ぶと、閉じられていた少年の瞳がうっすらと開いた。
「グミ……?」
「あ、ごめん、グミみたいな綺麗な眼だから。君の名前知らないもん」
少年は唇の端にかすかに苦笑を浮かべた。
「僕の名は……王崎……拓真」
それが自分の運命のひとの名だと、みくには胸にしっかりと刻んだ。
「拓真くん、待ってて! すぐに救急車を――」
けれど立ち上がろうとしたみくにの袖を、少年が引っ張って止めた。
「その必要は……ない」
「なに言ってるの!? このままじゃ死んじゃう!」
「こんなのかすり傷……」
拓真の表情が陰り、まなざしには諦念がよぎる。
「それに……きっと……もうすぐ来るから」
「来る? 誰が?」
拓真はそれには答えず「それより……おまえは誰? ……なんで僕を助けに?」と、みくにを見つめてくる。
「あたしはみくに。広小路みくに。連れ去られた君を目撃したから。ホント~に、心配したんだもん」
また涙が溢れだす。
拓真を探していた間の不安がよみがえり、それが今、大怪我を負った拓真への心配と重なり、胸が押しつぶされそうになる。
拓真は口の中で“ひろこうじみくに”と繰り返し、それから震える手で、みくにの目元に触れた。
「泣くなよ」
指でそっと涙をぬぐわれ、みくには顔が一瞬で熱くなった。
胸の鼓動が高鳴り、はじめて会ったばかりだというのに、拓真のことが愛しくてたまらなくなる。
やっぱりこれは運命の恋!
もしかしたら、あたしたちふたりは前世で恋人同士だったのかもしれない!
そんな妄想に気持ちが
「あたし、あなたが好き! 付き合おう!」
大怪我している相手に愛の告白をした。
してしまった。
その非常識さに、本人がいちばん引く。
なにやってんのさ、あたし!
ポカポカと自分の頭を叩くみくにに、拓真は唖然としていた。
が、やがて大人びた――それは傷を繕ったみたいな――微笑を浮かべた。
「いいよ、付き合っても」
「へ?」
みくには耳を疑った。
今、拓真は“いいよ”と応えたのか?
え? ウソ? まさかの両想い!? じょーじゅ!? 恋愛じょーじゅ!? じょーずにじょーじゅ!?(パニック)
目を白黒させるみくにに、拓真は笑みを消して視線を向けた。
それは息を呑むほど冷たい、絶対零度のまなざし。
「君が僕と悪に堕ちるなら、ね」
「え?」
意味がわからず、みくにが首を
建物を揺るがす衝撃と轟音。
その瞬間、事務室だけではなく、フロア全面の壁と天井が吹き飛んだ。
渦巻く強風が駆け巡り、すぐさま去っていく。
いったいなに!?
建物の壁がなくなり、視界は開け、近くのビルや遠くの山並が直接見通せる。
しかも天井がないので穏やかな青空と、そこに浮かぶ白雲を仰ぎ見ることができた。
三階部分の一瞬での消滅。
あまりに非現実的な現象だった。
「いったい……なにが?」
愕然とするみくにとは対照的に、拓真は苦いものを口にしたときの顔で吐き捨てた。
「これが……あのひとのやり方だ」
その拓真の発言が終わるより早く、けたたましいエンジン音が響き渡った。
今度はなによ!?
驚いて顔を向けた先、戸外の空間にヘリコプターが出現した。
旋回するプロペラが強風を吹きつけてくる。
大河原部品工場すぐ横で滞空するヘリ。
その開け放たれたドアには、黒スーツ姿で黒いサングラスをかけた白髪の老人が悠然と座っている。
深いしわだらけの顔。
幼いみくにを見ても、その腕の中の血まみれの拓真を見ても、表情は変わらない。
すべてを品定めするかのように、冷酷に見据えている。
「あれが……」
拓真が口を開いた。
誘拐犯にさらわれ、監禁された際にも見せなかった動揺と怯えとともに。
「僕の父、