滞空するヘリのドア口から身を乗り出した王崎剛造は、一瞬の
軽やかに、空中を歩くような優雅な姿勢で、みくにと拓真がいるフロアに降りたつ。
片手に持っていた杖を床にタンッと突くと、ヘリコプターが吹き起こしている強風がピタリとやんだ。
「え?」
みくには驚きの声を上げた。
ヘリは相変わらず滞空し、プロペラも回っているのに、風だけが嘘のようにピタリとやんだ。
そんな非現実的な状況下で、
このひとが拓真くんの父親……?
みくには一刻も早く拓真を病院へ連れていってほしいと頼もうとした。
が、なぜか喉が詰まって声が出なかった。
剛造が一歩一歩近づいてくるたびに、威圧感が強まり身動きすらできなくなってしまった。
やがてふたりの目前までやってきた剛造は、血まみれの拓真を
「ぶざまじゃのう」
冷酷な声だった。
それは鼓膜を通って脳を
大怪我を負った息子を心配するそぶりは、
みくには呆気にとられた。
なんなんだ、このひと……。
拓真はそんな父親の前で、虚ろな目を床に落とし「ごめんなさい」と消え入りそうな声で呟いた。
「わたしの後継者であるなら、軽々しく謝罪を口にするな」
落ち窪んだ瞳をギラリと光らせる剛造。
「王崎家に背を向けて逃げ出したくせに、かどわかされ、あげくチンピラに刺されるとは、なげかわしいのう」
拓真は震えながら、おずおずと顔を上げた。
「そ、それでも……父さんが助けに来てくれて、僕は……うれしい」
しかし剛造はそれを鼻で笑った。
「これ以上わたしを失望させるでない、拓真。わたしがきさまを助けて、なんのメリットがある?」
「で、でも……」
「わたしは、王崎家から逃げようとしたきさまに絶望を与えに来たにすぎぬ」
「ぜつ……ぼう?」
「きさまは王崎の呪縛から逃げられん。どこに行こうともきさまのすべてはわたしの手中にあることをわからせるためじゃ」
ふいに剛造は持っていた杖を持ち上げ、その尖った先で拓真の腹の傷口を刺した。
拓真の悲鳴を聞いて、ようやくみくにの思考も身体も動いた。
「や、やめて!」
剛造の杖を持つ手にしがみついてやめさせようとする。
が、わずかに振り払われただけで、みくにの身体は四、五メートルほど飛ばされ、床を転がった。
腹を打って息が詰まる。
「誰じゃ? あの娘?」
腹の傷を抉られながら、拓真が答える。
「僕が……さ、さらわれたとき……たまたま近くにいた子供です……犯行を目撃したから……連れて来られたんだと……」
なぜ拓真が嘘をつくのかわからなかった。
みくには声も出せず、力なく拓真を見つめることしかできない。
剛造は一瞬だけみくにに視線を向け、顔をしかめた。
「
しかしすぐに興味を失ったのか、拓真へ視線を戻した。
「記憶を消しておけ」
言い終えると同時に拓真から杖を引き抜いた。
傷口から血が噴きでたが、それは不思議なことに空中に一度浮遊した。
まるで無重力空間に液体を零したみたいにとどまり、つぎの瞬間、その血液が拓真の傷口へ吸い込まれていく。
それにつれ、拓真の呼吸は穏やかに、顔には血色が戻っていく。
十秒も経たないうちに、浮遊していた血液はすべて拓真の体内へ戻り、やがて何事もなかったかのように、拓真が立ち上がる。
「……ありがとうございます」
殊勝に頭を下げる拓真に、剛造はなんの感慨も見せずに背を向けた。
「忘れるな、きさまのすべてはわたしが握っておることを」
それだけ言うと、壁も天井もなくなったフロアを進み、滞空するヘリへ近づいていく。
「その娘の記憶を消したら戻ってくるがよい」
王崎はフロアの端まで行くと、軽やかに跳躍し、数メートル離れたヘリのドア口に飛び乗った。
一度も振り返らないまま、ドアが閉まる。
と同時に、プロペラの回転による強風がよみがえり、みくにたちの顔をそむけさせた。
ヘリは瞬く間に遠ざかり、最後はかすかなエンジン音を残して機影を消した。
大きく息を吐いたのは拓真だった。
みくにもようやく呼吸ができるようになり、のろのろと立ち上がった。
拓真がみくにへ向き直り、陰った視線を向けた。
首筋がひゅっと冷えるようなまなざしだ。
そんな目に見つめられ、みくにの頭には先ほどの剛造の発言が浮かんだ。
“記憶を消しておけ”
それは、みくにの記憶を消せと言うことだろう。
王崎剛造にとって、一連の出来事の中には、他人に(それがたとえ五歳の子供であっても)見られたくないものがあったということか。
それは常人離れした剛造のふるまいか。
彼の身のこなしや腕力、そして拓真の傷を治した
あれはホントにあったことなのかな……。
変な夢でも見ていた気分だ。
しかしそんなことを考える間もなく、拓真がみくにに近づいてくる。
みくには不安を覚えた。
なんだか泣きたくなった。
“記憶を消しておけ”
もう一度、みくにの脳裏に剛造の言葉が不穏によみがえった。