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12.ともだち(前編)(白坂 優樹 視点)



「そんでさー!勇気!あーしさ、肉ダイエットってのやろーと思うんだー!」


金森さんはいつものように、元気ハツラツな声で僕にそう言った。


「肉ダイエット?なんだい、それ?」


「最近SNSでバズってたんだけどー、肉だけ食べて痩せるってやつなの!あーし肉好きだし、これ超いいじゃん!と思って!」


「に、肉だけ食べるの?それって本当に効果あるのかな?」


「えー?たぶんあると思うよー?ていうか、このダイエットじゃないとあーしやりたくないもーん」


「もう~。本当は、金森さんがお肉食べたいだけなんじゃないのー?」


「きゃははは!バレちゃったー!」


金森さんは目を細め、口を大きく開けて笑った。


彼女とは、実は一年生の頃に同じクラスだった。


家庭科の授業の時にたまたま同じ班になって、その時に仲良くなれた。


今は別のクラスだけど、たまにばったり会った時は、こうして雑談を交わすことがあった。


底抜けに明るい人だから、男女問わず人気があった。彼氏がいるかどうかは知らないけれど、凄くモテるという話はよく耳にする。


「んじゃ、またねー優樹ー!ばいばーい!」


金森さんは、自分のクラスである2年1組の入り口前に立って、僕に手を振った。


そして、「みんなおはよー!」と元気な声で、教室の中にいる人たちへ挨拶をしていた。


僕はそんな彼女を見送ってから、自分の教室である3組へと入っていった。


「ふー……」


息を吐いて、席に着く。窓の外では雨が続いていて、どんよりと暗くなっていた。


ガタッ、ガタガタ


その時、隣の席に黒影さんがやって来た。


彼女は机の上に鞄を下ろして、ゆっくりと椅子に腰かけた。


そうだ、今日は黒影さんからダーク・ブルーを借してもらう約束をしてたんだ。楽しみだなあ、黒影さんがあれだけ熱弁するんだから、きっと凄く面白いに違いないぞ。


「黒影さん、おはよ!」


僕がそう言って挨拶すると、彼女はこちらへ顔を向けた。


「あ、う、うん……。お、おはよ……」


その時の黒影さんは、なぜか……異様に曇った表情だった。


目線も泳いでいて、妙に落ち着かない様子だった。


(……なんだろう?何かあったのかな)


僕は彼女の顔を覗き込みながら、「大丈夫?」と尋ねてみた。


「もしかして、どこか具合でも悪い?」


「え?あ、い、いや、全然……へ、平気」


「そう?それにしては……顔色がよくないけど」


「ほ、ほんとに平気、だから……。し、心配させて、ごめんなさい……」


そう言って、黒影さんは僕から顔を逸らしてしまった。


僕は結局、それ以上追及することができなかった。




……その日、僕は一度も黒影さんと話すことができなかった。


あからさまに嫌な顔をされたとか、「話しかけないで」と言われたとか、そういう明確な拒絶はなかった。


ただ、目に見えない透明な壁が……僕と彼女の間にあるような感覚だった。黒影さんと初めて出会った頃に感じていた「仲良くなるのに難航しそうな雰囲気」が、また戻ってきたような様子だった。


いつもは授業の合間の休み時間になったら、楽しく漫画の話ができていたのに、今日はもう、目を合わせることさえない……。


(何か嫌なことでもあったのかな?それとも、僕が……何かしてしまったのかな?)


いろいろと、頭の中でぐるぐると考え込んでしまう。


とにかく、放課後にでも話しかけてみよう。僕のせいなら、ちゃんと謝ろう。


それが今の僕にできる、最善だと思うから。




……キーンコーンカーンコーン



放課後を知らせるチャイムが鳴った。


クラスメイトたちが我先にと教室を出ていく中、僕はごくりと唾を飲んで……隣にいる黒影さんへ話しかけてみた。


「あ、あの……黒影さん」


彼女はびくっと肩を震わせて、恐る恐るこちらへ目を向けた。ああ、やっぱり……最初に会った時みたいだ。


「は、はい……。なに?白坂くん」


「今日は、どうかしたの?」


「どうかって……?」


「いや、ずっと……元気、なさそうだったから」


「………………」


「もしかして、僕……君に何か、酷いことしちゃったかな?」


「……ううん、違う」


「違う?」


「ちょっと、今日は……熱っぽくて。具合、悪かっただけ、だから」


「そうだったの?」


「うん」


黒影さんは、強張った笑顔でそう答えた。


朝方、体調について尋ねた時は、大丈夫だって言ってたけど……。僕に心配かけまいと思って、気を遣っていたのかな。


「ボクの……私のせいで、し、白坂くんに、嫌な気持ちにさせちゃったみたいだね。ご、ごめんなさい……」


この時、彼女はなぜか一人称を“ボク”から“私”へと変えていた。


なぜわざわざ言い直したのか気になりながらも、まだそこを尋ねる勇気はなかった。


「大丈夫、僕のことは気にしないでよ。それにしても、休まなくてよかったの?」


「うん、だって今日は……白坂くんに、漫画を、貸す日だったから」


「そんな……。全然明日でもよかったのに」


「………………」


黒影さんは、どこか寂しそうに目を伏せていた。


気がつくと、教室には誰もいなかった。さっきまで人の体温で暖かったこの部屋も、今はひんやりと冷たい空気が流れていた。



ザーーーーー……



外から聞こえる雨の音が、ぼんやりと耳に届いていた。


「……とりあえず、これ、渡すね」


彼女はそう言って、鞄の中から漫画を取り出し、僕へ手渡した。


「……ありがと、黒影さん。わざわざ僕のために、ごめんね」


「ううん」


「今日は家に帰ったら、ゆっくり休んでね。また熱上がっちゃったら、大変だから」


「……うん」


「ダーク・ブルー、じっくり読ませてもらうよ。今日貸して貰えるの、すっごく楽しみだったんだ」


「……うん、よかった」


「いつまでに返せばいい?明日?それとも明後日」


「……私は、いつでも、大丈夫だよ。読み終わったらで、構わないから」


「そっか、わかった。改めてありがとね、黒影さん」


「うん」


僕と彼女は、お互いに固い笑みを浮かべた。


「………………」


「………………」


少しだけ、僕らの会話に間が空いた。僕も彼女も視線を下に向けていて、言葉にし難い気まずさがあった。


「……えっと、そうだ。黒影さん」


場を解したいと思った僕は、彼女へ聞きたかったことを尋ねてみることにした。


黒影さんは顔を上げて、「な、なに?」と、小さく返事をした。


「一人称、“私”に戻したんだね」


「え?」


「いや、ほら、“ボク”って一人称は、確か友だちとのゲームでやってたんだよね?」


「………………」


黒影さんはちょっと顔を強張らせた後、「うん」と答えた。


「もう、そのゲーム期間が終わって、“私”の方に戻したんだね。なんだかちょっと不思議な感じだよ~。僕は黒影さんと話すようになったのは、君が“ボク”って話し始める時だったから、“私”って言われる方がむしろ違和感覚えちゃって。はははは!」


「………………」


「黒影さんは、そのゲーム、なんて人とやってたの?」


「なんて……名前の?」


「うん。ウチのクラスの人?それとも、他のクラス?ほら、もしかしたら、僕も友だちの人かなー?と思ってさ」


「………………」


黒影さんは、また視線を下に向けて、眉をひそめた。




……そして、ぼろぼろと、泣き始めた。




「……え?」


呆気に取られた僕は、思わず身体が固まってしまった。


彼女目の端には、大粒の涙がいっぱい浮かんでいた。そしてそれは、次々に頬へと滑っていった。


「……う、うう、うう……」


「………………」


「ぐすっ……。すんすん、うう……」


「く、黒影、さん……?」


彼女の目は、ウサギのように真っ赤に腫れていた。


口もへの字に曲げられていて、下唇が小刻みに震えていた。


僕はどうしていいか分からなくて、ただただ呆然としていた。


雨の音が、静かに聞こえていた。





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